NPB最年長選手となった左腕は28年目のシーズンを沖縄・読谷村でスタートした。この8月で46歳になる中日・山本昌だ。今季、白星をあげれば工藤公康(前埼玉西武)を抜き、24年連続勝利のプロ野球記録を樹立する。高卒でプロ入り後、4年目まで0勝ながら、そこから210個の白星を積み重ねてきた。生き馬の目を抜く厳しいプロの世界で長く活躍できた理由はどこにあるのか。二宮清純が自主トレ中のベテランにロングインタビューを敢行した。
(写真:「意外と引退に関しては突き抜けた感がある」と心境を語る)
「まだ行けるか?」
 ベンチに帰ってくるなり、ヘッドコーチの森繁和がぶっきらぼうに声をかけた。
 2010年9月4日、ナゴヤドーム。中日対巨人23回戦。この日まで首位・阪神と2位・中日のゲーム差は1.5。さらに3位・巨人が0.5差で追う展開。ペナントレースは佳境に入っていた。中日のスターター山本昌は7回まで巨人に対し、ひとりのランナーも本塁に還していなかった。

 3対0。勝利投手の権利は既に手に入れていた。7回を投げ終えた時点で山本は「お役御免だろう」と思った。後はチームが誇る最強のリリーフ陣(高橋聡文、浅尾拓也、岩瀬仁紀)に任せればいいと。
 ところがベンチの指示は続投である。山本は思わず森に問い返した。
「行っていいんですか?」
「行きゃいいじゃないか」
「えっ、どうなっても知りませんよ」

 最終回、最後のバッター阿部慎之助をセカンドフライに打ち取ると、ベテランはマウンドでポンとグラブを叩き、ホッとしたような表情をみせた。45歳24日での完封劇。若林忠志(毎日)が1950年に達成した日本プロ野球史上最年長完封記録(42歳8カ月)を60年ぶりに塗り替えた瞬間だった。
「実は試合後、記者に言われるまで史上最年長記録のことはすっかり忘れてしまっていたんです。大事な試合で巨人に勝てた。しかも完封で。それで舞い上がっていたんでしょうね。後で(記録のことを聞いて)“あぁ、そうだったんだ”って」

 昨季、中日は阪神、巨人との三つ巴の優勝争いを制した。8月に1軍登録された山本は5勝(1敗)をあげ、竜の救世主となった。進退をかけて臨んだシーズンでベテランは不死鳥のごとく甦った。
「また大好きな野球が今年もできる。それが何よりもうれしい」
 45歳のサウスポーは親からグラブを買ってもらったばかりの野球少年のようにニコッと笑った。

 左足のふくらはぎが「ビキーッ」と音を立てたのは昨年6月13日のことだ。2軍のウエスタンリーグでのオリックス戦。山本はわずか1球投げただけでマウンドを降りざるを得なかった。
「これはショックでした。3日くらい、ものすごく落ち込みました。まともに練習できなくてボーッとしていましたよ。(プロで)27年間も野球をやってきて、最後がこれかって。もう体が付いていかないんだなって。普通、ベテラン選手って8月いっぱいくらいで引退を発表するでしょう? それを覚悟しなければいけないんだなと……」

 このシーンをベンチから見ていた川相昌弘(当時中日2軍監督、現巨人2軍監督)の証言。
「彼はプレートに軸足を引っかけて投げるタイプ。久々の登板で緊張もあったんでしょう。1球目、ストレート。“おっ、ナイスボール!”と思ってマウンドを見たら、マサが両手で×印をつくっている。正直言って“あぁ、これで山本昌はもうダメなんだな”って思いましたね」

 09年、わずか1勝(4敗)に終わった山本の10年のシーズンにかける意気込みは並ではなかった。その何よりの証拠がフォーム改造である。左ヒジの位置を数センチ上げることを決断したのだ。
「だんだん(ヒジの位置が)下がってきていたので、もう1回、真上から放れるようなフォームにしようと。真っすぐの角度、変化球の曲がり、これらを良くしようと思えばヒジの位置を上げるしかない。そうは言っても、ほんの数センチですよ。自分の中では10センチくらい上がったようなイメージですが……」
 たった1勝しかできなかったことで、逆に踏ん切りがついた。もう失うものは何もない。新しいフォームに挑戦し、やるだけやってダメならユニホームを脱ごう。山本はそう腹を決めた。
(写真:新フォームにはヒジが上がって、左右のブレが少なくなるためコントロールが改善する利点もあるという)

 春のキャンプは順調だった。投げ込みの球数も、チームで2番目に多かった。山本は徐々に復活への手応えをつかみ始めていた。
 しかし、悲しいことに体はもう若くない。キャンプが終盤に入った頃、投げ込みがたたったのか左の肩甲骨が悲鳴をあげた。精密検査の結果は肩甲骨付近の肉離れ。痛みは激しく、キャッチボールすらままならない日々が続いた。
 そんな苦境をくぐり抜け、やっと訪れたチャンスでの“1球降板”。神も仏もあったものではない。
 だが、それでもベテランは諦めなかった。わずかな機会を辛抱強く待ち続けた。大好きな野球を簡単に放り出したくはなかった。

 210勝男・山本昌とは、いかなる人物なのか。
「あんなにあっさりしていない人、珍しいですよ」
 後輩の今中慎二は苦笑を浮かべてこう語る。
「バッティングを見ればわかるじゃないですか。三振して、とっととベンチに帰ってくればいいような場面でも、簡単には終わらないでしょう。僕なんか“もういいや”と思って空振りするんですが、最後までしぶとくボールに喰らいついている。といって、全然バッティングがいいわけじゃない。あの粘り強さには頭が下がりますね」

 2軍の投手コーチとして、2年間、山本を見てきた高木宣宏は「根気強さこそがマサの最大の持ち味」と評する。
「ピッチング練習に、それがはっきり表れています。“困ったらアウトロー”が彼のピッチングの基本。その練習を鬼気迫るような表情で繰り返す。時折、狙ったところにいかないと機嫌が悪い。元広島の北別府学さん(通算213勝)がそうでした」

 チャンスは巡ってきた。
 8月7日、ナゴヤドームでの阪神戦。山本にとっては09年9月以来、約11カ月ぶりの1軍戦先発である。若手なら、たとえKOされても、また次のチャンスがある。しかしベテランには引退が待っている。もう次はない。
「KOされたら、もうその時は自動的に引退発表ってことになる。もしKOされたら、最後に一礼だけしてグラウンドを去ろう。それだけは決めていました」

 この日まで阪神はリーグ最高のチーム打率(2割8分)をマークしていた。09年1勝、このシーズン初登板のピッチャーには荷の重い相手だった。
「リーグ一の強力打線。抑えられるイメージなんて全くなかったですよ」
 初回を何とか無失点で終えた山本は2回、かすかな手応えをつかむ。

「バッターはこの回先頭のクレイグ・ブラゼル。5球目か6球目、139キロが出たんです。詰まった打球がバックネット後方に飛んだ。“あぁ、オレ、まだこんなにスピードが出るんだ。10カ月かけてつくり上げてきたフォームは間違いじゃなかったんだ”って。“意外といいじゃん”と思って投げているうちに6回まで行ってしまったんです」

 ゲームは4対1で中日が勝った。山本は6回を投げ、4安打1失点。通算206勝目は27年間のプロ野球生活の中でも最も思い出に残る勝ち星となった。
「あの勝利は奇跡に近い。もう1回やれといわれても多分できないと思います。好きで始めて、追っかけても追っかけても、まだ追っかけきれない。僕にとってはそれが野球なんです。ピッチャーやってて良かったなと思った瞬間でした」
 昨季、優勝した中日と2位・阪神のゲーム差は、わずかに1。値千金の1勝だった。

(後編につづく)

<この原稿は2011年2月5日号『週刊現代』に掲載された内容です>