東北楽天ゴールデンイーグルスの若き右腕が、チームのエースに挑戦状を叩きつけた。
 今季プロ5年目を迎える田中将大だ。プロ4年間で46勝を積み上げた。五輪、WBCでは日本代表も経験し、ここまで順調に成長を続ける若武者は今季、エースの岩隈久志から開幕投手の座を奪いにいく。チームの大黒柱としての自覚が芽生え始めた彼のきっかけはどこにあったのか。絶対的エースの道へとひた進む22歳に二宮清純がキャンプ地の久米島で取材を敢行した。
(写真:「エースかどうかは周りが決めること。そう呼ばれるように頑張りたい」と語る)
 この日も立ち上がりに乱れた。主力選手が並ぶ相手打線に初回に3本のヒットを浴び、四球もからんで3失点。2回、3回と無失点で切り抜けただけに、出だしの不安が余計にクローズアップされた。

 2月15日、キャンプ地である沖縄・久米島での紅白戦。「打たれたことで逆に収穫があった」。東北楽天のマー君こと田中将大は冷静な口調で言った。
 立ち上がりの悪さは、以下のデータではっきりと裏付けられる。昨季のマー君のイニング別失点は次のとおり。
 初回・11点、2回・1点、3回・8点、4回・8点、5回・3点、6回・4点、7回・6点、8回・5点、9回・1点。2ケタ台の失点は初回だけだ。
 ピッチャーにとって初球と初回の入り方は永遠の課題であるとよく言われる。さらなるステップアップを目指すマー君にとって、この課題は避けては通れない。

 初回にまとめて3点も取られて、いったい何が「収穫」だったのか。
 マー君は言った。
「ブルペンではできるだけ力みが出ないように投げていた。そのせいか立ち上がり、腕の振りが鈍かった。それが失点の原因だったと思います。そのことに気づき、2回以降は意識的に腕の振りを強くした。マウンドでの感覚をはっきりと取り戻すことができました」
 先のデータを突きつけると、一瞬、表情が険しくなった。
「初回にこれだけ失点してちゃいけませんよね。初回を3人で終わらせれば、こちらの攻撃のリズムも出てくる。初回については十分、意識しているつもりですが、逆に意識し過ぎているのかもしれない……」

 今キャンプ最大のスターである斎藤佑樹(北海道日本ハム)との甲子園での死闘は今でも語り草だ。
 駒大苫小牧高から2007年、ドラフト1位で東北楽天に入団し、今季で5年目を迎える。ここまでの歩みは順調そのものだ。
 07年 11勝7敗、防御率3.82
 08年 9勝7敗1セーブ、防御率3.49(北京五輪出場)
 09年 15勝6敗1セーブ、防御率2.33(WBC出場)
 2010年 11勝6敗、防御率2.50
 それでも気になるポイントがひとつある。昨季の155回という投球回数だ。これは入団以来、最少だった。一昨年のシーズンは189回2/3も投げている。

 いったいマー君の身に何があったのか。
「実は1月の自主トレで右足をひねったんです。球場で段差に気づかず、足を踏み外しちゃった。これが原因で、7月には右のハムストリングス(ふくらはぎ)の肉離れ、8月には大胸筋部分断裂を引き起こしてしまった。ケガした箇所は右足首、右足、右胸と全部右側なんですよ。右足のねんざの影響によるものだとしか思えない」

 このように昨季はケガに泣き続けた。ねんざした右足はテーピングで固定したまま、痛みに耐えて投げた。それでも2ケタ勝つのだから、やはりタモノではない。
「ケガをして以来、行動が用心深くなりました。これまではスッと動き始めることが多かったんですが、いろんな危険性を考え、慎重に行動しようと。
 こうした経験をプラスにするのもマイナスにするのも自分自身。2度と同じ過ちを繰り返さないためにはどうすべきか。それを考えるようになっただけでもプラス材料だったと思っています」
(写真:久米島のキャンプでは自己最多となる207球の投げ込みを実施した)

 あの夏から、もう5年が経つ。マー君は駒大苫小牧(南北海道)のエースとして夏の甲子園3連覇に王手をかけていた。
 決勝の相手は早稲田実業(西東京)。“ハンカチ王子”と呼ばれ、フィーバーを起こすことになる斎藤佑樹が古豪復活の原動力となっていた。
 マー君は不調だった。監督の香田誉士史(現・鶴見大学硬式野球部コーチ)によればウイルス性腸炎を患っていたのだ。
「甲子園に入ってから熱を出し、下痢もおさまらない。ずっと脱水症状が続いていました。開会式に出させるかどうか迷ったくらいひどかった」
 決勝は2年生の菊地翔太が先発した。香田が「将大、どうする?」と聞くと「リリーフで行かせてください」と答えた。
 3回1死一、二塁の場面で田中はマウンドに上がり、延長15回まで投げ切った。一方の斎藤は完投した。
 1対1。延長15回引き分け。マー君は165球、斎藤は178球を投げた。

 翌日、再試合。この日も先発のマウンドは下級生に譲った。初回、早実打線は四球を絡めてしつこく攻めた。駒大苫小牧は1点を先制され、なおも2死一、二塁。ここで香田はマー君をマウンドに送った。
「アイツはランナーを背負うとスイッチが入るんです」と香田。後続を断ち、最後まで投げ切った。
 4対3。軍配は早実に上がった。マー君は最後のバッターになった。斎藤のストレートにバットは虚しく空を斬った。
 真っ向勝負を挑んだ理由を聞かれた斎藤は「男として負けたくなかった」と珍しく語気を強めた。
 マー君は「やりきった気持ちが強い。見逃しではなく、自分のスイングができた。悔いは残らない」と淡々と答えた。

――5年前の夏の思い出は?
「もう昔の話ですよ」
 マー君はサラリと言った。
 彼がいま、立っている場所は古い地図にはない。

(後編につづく)

<この原稿は2011年3月12日号『週刊現代』に掲載された内容です>