8二宮: 昔に比べ、カットボール、ツーシームと変化球も多彩になってきましたね。

杉村: 最近は落ちるボールを投げるピッチャーがすごく増えてきましたね。これらのボールに145キロ以上の速球を組み合わせてくる。対応するためには、球種に合わせてバットの軌道を変えなければいけないんです。今までは外側にきたボールは呼び込んでライト方向に、内側に来たボールは引っ張って打ち返すだけでよかった。しかし、落ちるボールに対し、同じような感覚では全部凡打になります。これを避けるために、選手たちには、“新しいバット軌道”を習得させているところです。

 

二宮: 新しいバット軌道とは?

杉村: 落ちる変化球の場合、すくい上げるようにバットを振るイメージです。ボールが打者に向かってくる軌道と同じように打ち返してセンターに飛ばす。右バッターは多少泳いでも、距離をとって左肩さえ開かなければ、大きい当たりはホームランになります。メジャーリーグの試合を見ていると、バックスクリーンにホームランを打つ光景がよく見られます。あれが理想なんです。

 

二宮: その一方で速球に対しては、どのような対策を?

杉村: 速いボールには、一度ヘッドを立ててからボールを叩きにいかせます。つまりダウンスイングですね。本来であれば、下からバットを当てた方がボールは飛んでいきます。ウラディミール・バレンティンのような選手は、振り上げるアッパースイングで問題ありません。しかし、日本人選手は外国人選手と比べてパワーがないので、打球にスピンをかけて飛ばしたいんです。

 

7二宮: 左打者も同じですか?

杉村: いいえ。左の場合はレベルスイングをさせます。左だと走りながら打つ選手が多いので、まずバットを線(ボールが飛んでくる軌道)に入れて、ミートポイントを広くとらせる。俊足の選手であれば、バットを線に入れさえすれば、あとはとにかくどこでもいいからボールに当てて走ればいいんです。右の場合、ボールを呼び込んでから、しっかり上から叩くので右と左とではバットの軌道が全く変わってきますね。

 

二宮: 他球団の話になりますが、左打者の秋山翔吾(埼玉西武)が日本記録となる1シーズン216安打を達成しました。杉村さんの目には、どう映りますか?

杉村: 本当に素晴らしい成績ですよね。リーグが違うので、きちんとスイングを見たことありませんが、彼の急成長には驚きます。左の場合、さきほど説明した “バット軌道”とバットをボールに当てる“ポイント”さえ掴めれば、一気に覚醒します。足の速い左打者であれば、この2つを意識するだけで、ある程度の成績は残せますね。

 

来季のキーマンはWユウヘイ

 

二宮: レギュラーシーズンを振り返ると、昨年ベストナインに選出された雄平選手や打率2割9分8厘の中村悠平選手は、いずれも打率を落とすなど、今季は苦しみました。

杉村: 雄平に関しては精神的な影響があったのかもしれませんね。今年、バレンティンが離脱していた分、山田哲人と畠山和洋と雄平のマークが厳しかった。山田と畠山は対応力があって、すぐに状態を上げてきたけど、雄平だけがなかなか上がらなかったので、焦る気持ちがあったと思います。でも、バレンティンも戻ってきた終盤は見違えるほどカンカン打つようになりましたね。

 

二宮: もうひとりの“ユウヘイ”中村選手はどうでしょう?

杉村: 一言で言うと、バット軌道が悪い。今のスイングだとヘッドが一回落ちるので、速い球を打つと詰まった打球やポップフライになるんです。去年は3割近く打ったから何も言わなかったけど、今年の打率2割3分1厘という成績をみると、やはり彼のバッティングを変えなければなりませんね。

 

二宮: 彼自身も何か変えたいと?

杉村: 自分でも分かっていると思いますよ。彼は今年、野村克則バッテリーコーチの指導を受けたおかげで守備面が凄く成長して、だいぶキャッチャーらしくなりました。もとから肩が強いので、打撃に磨きがかかれば、セリーグNo.1捕手になることは間違いありません。今年思うような成績を残せなかった雄平と中村が、どこまで伸びるか。2人は、来季のキーマンですね。

 

(最終回へつづく)

 

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3<杉村繁(すぎむら・しげる)プロフィール>

1957年7月31日、高知県高知市出身。高知高時代は、3度甲子園に出場。3年春は東海大相模高との決勝で、延長13回表に決勝打を放ち、優勝に貢献した。「中西太二世」の異名を取り、76年にドラフト1位指名でヤクルトに入団。11年のプロ生活で147安打を記録し、87年に現役を引退した。その後は球団広報などフロント業務を務め、00年からは若松勉監督のもと打撃補佐コーチに就任する。08年に横浜の一、二軍巡回打撃コーチとなり、13年には二軍打撃コーチとして再び古巣に復帰。14年から一軍打撃コーチに昇格した。背番号74。

 

(構成・写真/安部晴奈) 

 

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