ちょうど20年前の今頃だった。覚え始めたばかりのスペイン語で、おっかなびっくりインタビューをしたことがある。相手は、次代のスターと目されていた18歳だった。

 

「僕らの世代は、いままでの世代とは違う」

 

 少年の面影……というより、まだ少年そのものだった彼は、しかし、明らかな自信をうかがわせる口調で言ったものだ。

 

 とはいえ、同じようなことを口にする日本人選手がいなかったわけではない。驚きは、なかった。ただ、彼は続けてこう言った。

 

「スポーツはもちろん、最近は芸術や文化的なジャンルでも、活躍するスペイン人が増えてきている。その流れは、きっとサッカーにもつながっている」

 

 恥ずかしながら、20年前のわたしはまったくピンとこなかった。ラリーのサインツ、自転車のインデュライン、テニスのサンチェス兄妹……確かに世界的に名の知られるスペイン人アスリートは増えてきていた。しかし、それがサッカーとどんなつながりがあるというのか。

 

 いまならばわかる。あの時代……W杯優勝の味を知らず、給料をユーロではなくペセタでもらい、国外のリーグでプレーする選手など皆無だった時代の彼は、他の競技での成功に、たまらなく勇気づけられていたのだろう。スペイン人にだってできる。自分にもできる。そう思い込もうとしていたのだろう。

 

 だが、W杯出場の味を知らず、五輪からも27年間遠ざかっている国からきた20代日本人ライターに、そこまでの想像力はなかった。鈴木大地が勝っても、伊達公子が全英でベスト4に入っても、だからサッカーも……とはまるで思わなかった人間なのだから、当然である。

 

 いまならば本当によくわかる。

 

 日本のアスリートたちが国際大会で負けるたびに口にし、それがエクスキューズではなく厳然たる事実のように受け止められていた「肉体的ハンデ」という言葉は、ラグビー日本代表によって徹底的に粉砕された。

 数ある競技の中でも肉体接触の激しさでは屈指とも言えるラグビーで、日本人が世界王者と互角にやりあった。多くの日本人が、肉体的なハンデは越えがたい絶対的な壁ではなく、創意と努力で克服可能な試練でしかないことを知った。

 

 サッカーは、もう肉体的ハンデを敗因としては使えない。これからは多くの国民が、ラグビー同様の奇跡をサッカーに対しても期待するようになる。ハンデを乗り越える術を求めるようになる。

 

 日本は、いまよりもずっと強くなる。なれる。

 

 夢物語ではない。スペインにできて、けれども日本にはできないと考える理由がない――あの時18歳だったラウール・ゴンサレス引退の報に接して、そんなことを思った。

 

<この原稿は15年10月22日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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