T−岡田にとっての転機はプロ3年目、08年の秋だった。入団時、打撃の指導を受けた藤井康雄(現ソフトバンク打撃コーチ)が二軍打撃コーチとしてグラウンドに戻ってきたのである。
 T−岡田はルーキーイヤーの06年、3試合だけ一軍の試合に出場したものの、07、08年は二軍暮らしだった。潜在能力の高さには誰もが目を見張ったが、プレーが洗練されていなかった。原油を石油に精製する、その術が見つからなかったのだ。
(写真:イチローには2年目のオフに初めて会った際に「下半身と上半身のバランスが合わない時がある」と指摘を受けた)
 そこに現れたのが、ルーキーイヤーのT−岡田を知る藤井だった。阪急・オリックスでホームラン30本台を3度記録したことのある藤井は指導者になってからバッティングについて深く考察するようになった。
 行き着いたのが4スタンス理論である。ひらたく言えば、体重のかけ方によってバッターは4つのタイプに分けられるというもので、武道の教えをベースにしていた。

 いったい、どんな指導を受けたのか。教わった本人の弁。
「要するに体幹の使い方。右肩と左の股関節を近づけ(写真)、今度は左肩と右の股関節を近づけるようにバットを振る。これが一番理にかなっていると……」
 ここは師匠に聞いてみるしかない。
「バッターは大きく移動型と回転型に分けることができる。岡田の場合は移動型なんです。軸足のかかとに乗った体重を前に移動させて打つタイプ。だから軸足(左)の股関節に乗った体重が逃げないように逆の股関節に乗せないと100%の力を発揮できないんです」

 難解な理論を、弟子はすぐに受け入れたのか。
「彼は意外と頑固でした。納得しないとやろうとしない。それは顔を見ればわかります。“あぁ、これは納得していないな”と……。
 そのかわり“こうすると力が出るでしょう”“これじゃ出ないでしょう”と論理的にきちんと説明し、納得すると一生懸命やる。見かけはのほほんとしていますが、内面は実にしっかりしています」

 翌年、T−岡田は打率1割5分8厘ながら7本ホームランを記録し、素質の一端をのぞかせる。そして翌10年、A−岡田から薦められたノーステップ打法により、大輪の花を咲かせるのである。
「別にホームランは打てんでええから、打率をもうちょっと上げろ」
 これが指揮官からの命令だった。

 結果的にはホームランを量産し、打率も上げた。129試合に出場し、打率2割8分4厘、33本塁打、96打点。5月にはアレックス・カブレラに代わって4番に入った。
「最初はノーステップ打法と言われても抵抗感がありました。“こんなフォームでホームラン打てるんかなぁ……”と。だけど、その時は打率が低過ぎたので、まずはボールをバットの芯に当てるところから始めようと思いました。
 自信を掴んだのは交流戦でMVP(打率3割1分7厘、6本塁打、24打点)を獲ってから。負けはしましたけど巨人戦で山口鉄也さんから東京ドームでホームランを打ったことも大きかった。バックスクリーンに飛び込みましたから」

 今季のプロ野球は低反発の統一球、いわゆる“飛ばないボール”の影響もあって、ホームラン数が激減している。球界全体で前年比マイナス40%だ。
 思い出すのは土地バブルを冷やすための「総量規制」だ。不動産価格の抑制には成功したが、深刻な景気後退を招いた。目的は正しくても、あまりドラスティックにやり過ぎると現場は混乱する。

「(統一球は)バッティングコーチ泣かせですよ」
 苦笑を浮かべてオリックスの打撃コーチ水口栄二は言い、続けた。
「バットを最短距離で出せるか出せないか。(統一球は)差し込まれたら絶対にダメですね。詰まらされたら、もう飛びません」

 T−岡田の春先の不振の原因も、そこにあったのか。
「きっと4番の重圧もあったんでしょう。落ちるボールや低めのボール球に手を出していた。引っ張ろうとする意識が強過ぎたんです。
 ただ、ここにきて逆方向にも打てるようになってきた。だいぶボールが見えるようになってきました。
 彼の場合、当たれば飛ぶんです。引っ張ろうとすると、どうしても右肩が開いてしまう。悪い時は右肩が一塁ベンチを向いてしまうんです。下半身を使わず上半身だけで打ちにいく。このかたちになると悪循環に陥ってしまう。そこに注意してバットを内側から出せと。アドバイスするのはこの点ですね」

 4番の重圧――。将来、チームを背負うバッターが一度は経験する真のエリートになるためのストレステストである。これを乗り越えなければ単なる一発屋で終わってしまう。
「エースと4番は育てられない」
 かつて、こう語ったのが野村克也だ。阪神の監督時代、ノムさんはオーナーの久万俊二郎(9月9日、90歳で他界)と補強をめぐって何度もバトルを繰り返した。

 持論を展開するノムさんに久万は迫った。
「あなたくらいのキャリアがあれば(4番は)育てられるでしょう」
 すかさず、ノムさんは言い返す。
「阪神の70年の歴史で、育てた4番バッターがいますか。田淵に(ランディ・)バースに(トーマス・)オマリー。アマの大物か外国人だけですよ。唯一、掛布(雅之)を除いては……。オーナーは次の掛布が育つまで、あと60年、いや70年待つつもりですか」
 4番打者を育てるのは、そのくらい難しい作業だとノムさんは言いたかったのである。

「中心なき組織は機能しない」
 知将はそうも語っている。打線における中心が4番であることは言を俟たない。
 話をT−岡田に戻そう。彼に4番としての帝王学を授けたのは藤井である。T−岡田は語る。

「まだ二軍にいる頃、藤井さんから“オマエは将来4番を打つんや”と言われました。
“4番はな、バッティング練習の時から、お客さんを魅了せなアカン”と。“すごいなぁと思わせてこそ4番なんや”と。
 それからですね。4番について意識するようになったのは。首脳陣からも選手からもファンからも一番、信頼されているのが4番。チームの顔やと思うんです。
 岡田監督からは“4番が打たな勝てん”と言われますが、それも期待の裏返しやと思っています。今年は、ここまで随分チームに迷惑をかけていますから、今からその分を取り戻さないといけない。少しでも長いシーズンにしたいものですから……」

 この秋、肉食恐竜の逆襲はあるのか。ボールパークをジュラシックパークに変えてこそ、T−レックスの化身である。

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<この原稿は2011年10月8日号『週刊現代』に掲載された内容です>