水球の“ポセイドン・ジャパン”がリオ五輪への切符を勝ち取った。実に32年ぶりの出場である。サッカーが28年ぶりの出場を決めた時、わたしはメキシコでの銅メダルを江戸時代並みに遠く感じていたから、水球関係者の喜びと感慨はひとしおだろう。
「勝てる見込みがほとんどない」と、最終予選への参加を辞退したのは、たった4年前のこと。かくも短期間で“水泳界のお荷物”から脱出したのには、むろん、選手や関係者の並々ならぬ努力があったのは言うまでもない。ただ、そこに加えて、日本人のメンタリティーの変化も関係しているのではないか、という気もしている。
ほんの数年前まで、日本のほとんどのスポーツは戦う前から言い訳を用意していた。「肉体的なハンデ」という言い訳である。極論をすれば、日本人であるということ自体が、勝てない理由として使われてしまっていたのである。
わたしの知る限り、日本人の体格がここ数年で劇的に変化した、などということはない。だが、日本スポーツの国際競争力は、ここ数年で飛躍的に向上した印象がある。
たとえばテニス。錦織圭の出現により、日本人によるグランドスラム制覇は、荒唐無稽なおとぎ話から、現実可能な目標へと変わった。
たとえばフィギュア・スケート。荒川静香さんによって開かれた世界の頂点へとつながる扉は、いまや常に日本人を受け入れるようになった。それも女子だけでなく、男子まで。
そして、たとえばラグビー。「サッカーと違って、日本人が世界一を目指すのはちょっと難しいから」。関係者からそんな愚痴を聞いたのは一度や二度ではないが、すべては今年、覆った。
正直、ここのところ激増している、日本人が日本と日本人を自画自賛するテレビ番組には辟易するところもあるが、ことスポーツに関する限り、長く巣くってきた自虐的な精神構造が改善されつつあるのは、大いに喜ぶべきことだと感じている。
もはや、サッカー代表がアフリカ勢に敗れたとしても、運動能力の差を言い訳には使えないし、いままでほどには日本人の心に響くこともない。ラグビーの快挙を思えば、「努力が足りませんでした」という言葉を変換しただけにすぎないからである。
素晴らしい時代になった。
卓球も強くなった。バドミントンも強くなった。日本人が国際大会で勝つことが、決して特別なことではない時代になった。子供のころから世界一になる日本人アスリートを見慣れた世代が大人になれば、黄金時代の到来もありうる。
そのきっかけを作ったアスリートの一人が、現役を退く。彼女と仲間たちの感動的な戦いがなければ、日本スポーツの現在地は、いまとは少し違ったものになっていたのでは、と思う。
ありがとう澤穂希。お疲れ様。
<この原稿は15年12月24日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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