日本ボクシング界に新たなスターが誕生した。井岡一翔、22歳。2月のWBC世界ミニマム級タイトルマッチで日本人最速となるプロ7戦目での戴冠を果たすと、8月の初防衛戦では同級1位の挑戦者を寄せつけなかった。父は元プロボクサーで、叔父は元2階級制覇王者の井岡弘樹という“サラブレッド”。だが、彼は単なる話題性のみで終わらず、王者にふさわしい実力が備わっていることをリングの上で証明した。若きチャンプが、この先、目指すものを二宮清純が訊いた。
(写真:サッカーの香川真司、プロ野球の田中将大らとは同学年。スポーツ界の黄金世代のひとり)
二宮: ボクシングの世界王者の多くが「チャンピオンになると世界が変わる」と口にしています。井岡さんはいかがですか?
井岡: 自分自身は変わった感覚はないですけど、いろんな意味で相手の接し方が変わってきているのは感じますね。自分の人生の景色が少しずつ変わっている。ボクシングは毎試合、どうなるか分からない。壁が邪魔していて、向こう側の景色が見えない状態です。でも、そこで勝てば壁から頭を出して違う景色が見られる。世界チャンピオンになった直後はテレビに呼んでいただいたり、初めてのことも多くてホンマ何が何だかわからないまま時間が流れました。でも、初防衛戦を終えて一通りの流れもわかって余裕ができてきたように思います。

二宮: その点は会長が元世界チャンピオンだけに、いろいろとアドバイスがあったのでは?
井岡: 特にはないです。会長は「オレはこうやったから、こうしろ」と言うことはあまりない。お父さんや他の方に聞くと、会長は自分に厳しい方やったんだなと思いますが、僕たちに対してはすごく優しい。チャンピオンになるまでは正直、「井岡弘樹の甥で、将来的に世界チャンピオンになる逸材」といった紹介をされるのがイヤでした。それは会長と比較されることがイヤなのではなく、そういう風にしか見てもらえない自分自身がイヤだったんです。だから早く世界チャンピオンになりたかった。今は周りから「チャンピオン」と呼んでもらえるのがすごくうれしいですね。

二宮: 確かに、自分の実力以外で注目を集めるのは選手としては複雑な心境でしょうね。
井岡: でも今になってみれば会長がいたから、早い時期から注目してもらえた部分もある。その点は良かったと思っています。 

二宮: 世界タイトルを獲った直後に「4階級制覇」を目標を掲げましたね。2階級制覇の叔父さんが果たせなかった夢を叶えたいというところでしょうか?
井岡: 本当は3階級制覇を目標にしていたんですけど、亀田興毅選手が先に達成しましたからね。ボクシングをあまり知らない方にも、3階級制覇のすごさ、重みを知ってもらうためにも、まずはそこを狙いたいと考えています。ただ、まだ4階級制覇は日本では誰もやっていない記録。そこに挑戦することで注目してもらえる。だから「4階級制覇」と言ったんです

二宮: 叔父さんはアウトボクシングが巧い印象がありましたが、井岡さんはインファイトも強い。
井岡: アウトボクサーとかファイターといった固定概念に縛られたくないですね。相手に合わせて、どんな状況であっても対応できる引き出しを身につけたい。練習でもひとつのことだけでなく、いろんなパターンを試してみたいんです。そういう意味では毎日が勉強です。
(写真:オーソドックススタイルだが、左フックも得意だ)

二宮: 過去、現在問わず、目標にしているボクサーは?
井岡: 僕はボクシングがすごい好きなので、いろんな選手を見て、いいところは盗みたいという気持ちです。他の選手の映像を見ても、単に見るだけじゃなくて、「自分がもし対戦相手だったら、こうするな」といった視点になってしまいますね。もちろん自分のベースはありますが、そこを大事にしつつ、他の選手のいい部分を吸収して少しずつ成長していきたいと思っています。

二宮: ボクサーにとって最も必要なものを挙げろと問われて、パンチのスピードや打たれ強さよりも、相手との「距離感」と答える選手は少なくない。井岡さんは?
井岡: 距離感はすごく大切ですね。ホンマ、ちょっとした何ミリの差が明暗を分ける。そこを体で感じて、頭で計算するんです。距離感を早くつかめば、相手はパンチを当てづらいし、リズムもとりにくい。最初にペースを握られると誰しも焦るので、先にいい流れに乗っていくことが大事です。

二宮: 世界挑戦時から数々の世界王者を育てたイスマエル・サラストレーナーの指導を受けています。どんなアドバイスを?
井岡: もちろん世界のスーパースターを教えている方なので細かい指導は受けていますが、今回の防衛戦にあたって一番言われたのは「ベストチャンピオンになれ」と。単に勝つだけじゃなくて、「ベストな試合をして、誰もが疑う余地のないチャンピオンだと思える試合をしなさい」と話をしてくれました。サラスさんは情熱があって、温かみがある。会長のつながりで直接指導してもらえることになって本当に感謝しています。

二宮: その「ベストチャンピオン」を頂上だとすると、今は何合目?
井岡: だいぶ頂上には近づいたと思いますけど、あとはどんな山を考えるかでしょうね。確かに普通の山にたとえれば、世界チャンピオンになったことで結構なところまで来ていると思います。でも、富士山やエベレストの頂上を目指すなら、まだまだ満足できない。自分自身で、どれだけ大きくて高い山を想定するかが大事じゃないでしょうか。

二宮: 年末には2度目の防衛戦が控えています。「井岡一翔のここを見てほしい」という部分はありますか?
井岡: どうのこうの言葉で説明するよりも、とにかく1度、試合を見てもらいたいですね。伝えたいことはすべて試合で表現したいので。魅せるためにはパフォーマンスも大事かもしれませんけど、僕にとってはあまり必要ないです。ボクシングはショーじゃない。試合の内容でファンを引き付けられるような実力をつけたい。それにはひとつひとつ段階を踏んでやらないといけないことがたくさんある。早く試合がしたいですよ。強くなるためにゆっくりしている時間はないですから。

<10月20日発売の『ビッグコミックオリジナル』(小学館2011年11月5日号)に井岡選手のインタビュー記事が掲載されています。こちらもぜひご覧ください>