女子サッカーと言えば澤穂希である。15歳で日本代表入りし、20年以上に渡って女子サッカーを牽引してきた。女子代表チームが「なでしこジャパン」と呼ばれはじめて11年、澤は名実ともに中枢であり続けた。

 

 

 その澤が昨年で引退した。「心と体が一致してトップレベルで戦うことができなくなった」。それを引退の一番の理由にあげた。

 

「サッカーがなければ澤穂希はないと思っています。出会えて本当に感謝しています。W杯優勝に準優勝、オリンピックの銀メダル、日本人が誰もとっていないバロンドール(年間世界最優秀選手)も取ったので自分のサッカー人生に納得ができました」

 

 長いキャリアのハイライトは、世界の頂点に立った2011年のドイツW杯だろう。澤は5得点をあげ、得点王とMVPの2冠に輝いた。

 

 決勝の米国戦では勝利につながる同点ゴールを決めた。そのシーンを振り返ろう。

 

 1対2と敗色濃厚の延長後半12分、日本はコーナーキックのチャンスを得た。キッカーは精度の高いキックを誇る宮間あや。彼女はコーナーに向かう途中、澤にそっと耳打ちした。

 

「ニアに蹴るからね」

 

 宮間は澤がニアポストに走り込みたいことを察知していたのだ。

 

 絶妙なコーナーキックはニアポスト付近へ。澤はそのボールをDFの一歩前で右足のアウトに引っかけ、GKの頭上を抜いてみせたのだ。あれこそは澤のサッカーにかける思いが凝縮した乾坤一擲のゴールだった。

 

 PK戦の前に、なぜか、なでしこの選手たちは円陣の中で笑っていた。それを演出したのも澤だった。

 

 実は澤はPKが大の苦手で、監督の佐々木則夫に「一番最後に蹴らせて」と頼んでいた。それを周囲が「澤さん、ズルイ」と言ってまぜっ返したというのだ。

 

 リーダーでありながらどこか澤には茶目っ気があった。そうした一面もまた、後輩たちから慕われる一因となっていた。

 

 W杯での優勝は東日本大震災後、沈滞ムード一色だったこの国と国民に勇気と希望を与えた。それを理由に、澤たちには「国民栄誉賞」が授与された。

 

 好むと好まざるとに関わらず、澤の存在は女子サッカーの範疇におさまらないほど大きくなっていた。そんな澤を称して、Jリーグ草創期のヒーローで、今も現役を張る三浦知良は「ゴッド」と呼んだ。ついには「キング」をも超えてしまったのである。

 

 さて今後、澤はどんな道を歩むのか。かつては「指導者に興味はない」と語っていた。「自分は人に教えるのは苦手」と思っていたようだ。

 

 ところが、ここにきて心境に変化があったのか、「サッカーをより深く知るために資格(ライセンス)を取るのはいいこと」と微妙にニュアンスが変わってきた。指導者として経験を積み、いずれは、なでしこを率いてひのき舞台で戦いたい、という思いが芽生えてきたのかもしれない。

 

 女子サッカーのレジェンドにはどんな人生の第二幕が待っているのか。楽しみに見守りたいものだ。

 

<この原稿は『サンデー毎日』2016年1月7日号に掲載された原稿を一部再構成したものです>

 


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