1969年夏に勃発したエルサルバドルとホンジュラスの戦争は、「サッカー戦争」とも呼ばれる。だが字義通り、サッカーが戦争の主因だったわけではない。背景には両国間の国境問題、移民問題があり、双方のフラストレーションは臨界点に近付いていた。サッカーはたまたま戦争の引き金を引いたに過ぎない。

 

 逆説的に言えば、たまたまとはいえ、サッカーには人々の不満を吸い上げ、それを束ねる力があるということだ。その帰結としてナショナリズムの炎に引火する揮発油的な危うさも伴う。

 

 この戦争は70年メキシコW杯北中米カリブ海予選の最中に起きた。ともにホームでの試合に勝利したものの、両国サポーターの暴走により死者が続出した。ホテルは襲撃され、車は焼き払われた。ホンジュラス軍が空爆を開始し、それに応戦するかたちでエルサルバドル軍がホンジュラス領内に攻め入ったのは、両国の対戦が全て終わった直後である。皮肉なことにW杯予選が戦闘開始のホイッスルを鳴らしてしまったのだ。

 

 歴史は繰り返す――。ここにきて中東がきな臭くなってきた。イスラム教スンニ派のサウジアラビアがシーア派の宗教指導者を処刑したことに抗議し、同シーア派のイランの首都テヘランで暴動が発生。サウジ大使館が襲撃されたのだ。

 

 これを受け、即座にサウジはイランとの国交を断絶。イランも応酬した。さらにサウジはイエメンの首都サヌアにあるイラン大使館を空爆。全面戦争も辞さずの構えを見せている。

 

 背景には米国の中東に対する外交スタンスの変化があるようだ。元々、米国はサウジ寄りだったが、シェールオイルの生産量が増したことで、原油価格が下落した。サウジにすれば、ただでさえカリカリしているところへ持ってきてのイラン接近である。米国に対する不満が爆発したと見るべきだろう。

 

 中東の2つの地域大国はアジアにおけるサッカー強国でもある。カタールでのリオデジャネイロ五輪アジア最終予選、両国代表は準々決勝で対戦する可能性がある。対立と融和を繰り返してきた両国には決定的な局面を回避するための“寸止めの知恵”がある、と言われていた。だが今回ばかりは一線を超えているように思われ、予断を許さない。ちなみに開催国のカタールは駐イラン大使を召還するなどサウジ寄りだ。風雲急を告げる冬のペルシャ湾である。

 

<この原稿は16年1月13日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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