確かに劇的な一戦ではあった。アジアの頂を争う戦いで、相手は韓国で、しかも0-2からの逆転である。間違いなく前代未聞にしてひょっとしたらもう二度とお目にかかれないぐらいに稀有な戦いでもあった。
だが、感動はなかった。
まったく興奮しなかった、と言えばウソになる。だが、ラグビーW杯における日本対南アフリカ戦に比べると、込み上げてくるものの熱や質がまるで違っていた。ラグビーで感じたのが「感動」だとしたら同じ言葉を当てはめるのが憚られるぐらい、気持ちの中に熱くなれない部分があった。
原因ははっきりしている。
決勝までの全6戦。日本が戦ったスタジアムはすべてガラガラだった。素晴らしい試合が成立する上で絶対に欠かせない「最高のオーディエンス」というピースが、完全に欠落してしまっていたのである。
わたしが心底失望させられたのは、開催国のカタールが登場する試合ですら、スタジアムが満員になっていなかった、ということである。勝てば本大会出場が決まる、韓国との準決勝でさえも、スタンドには空席が目立っていた。見たところ、せいぜい1万5000人程度のキャパしかないスタジアムだというのに、である。
こんな国で、W杯を開催していいのだろうか。
カタールでW杯が開催されるまでは、まだ6年の猶予がある。とはいえ、もしW杯でも今回のような事態が起きれば、大会の印象は痛ましいまでに暴落することになる。
たとえW杯本大会への出場経験がなかろうとも、サッカーが根付いた国であれば、開催することに反対しようとは思わない。だが、こうも招致に成功した理由がオイルマネーしかないことを見せつけられると、このまま放置しておいてよいものか、との考えが頭をもたげてくる。
だが、日本人に彼らを批判する資格がないこともわかっている。
最高の試合を演出するためには、最高の観客が不可欠である。そして、最高の観客は、最高のスタジアムでなければ発生しえない。
カタールには、観客がいなかった。ただ、彼らにはまだ6年の月日があり、最悪、動員をかけてスタジアムを埋めることも考えられる。それがどれほど奇矯なものであるかは、今回、北朝鮮の“応援団”が証明していたが、いないよりはマシだ。
日本には、スタジアム自体がない。
陸上トラックのついたスタジアムは、無人のスタンドと同じぐらい、サッカーを、あるいはラグビーをスポイルする。
そして、まだ時間的余裕のあるカタールと違い、日本のラグビーW杯開幕までは、あと3年しかないのである。
「こんな国で、W杯を開催していいのだろうか」――ラグビーを愛する英国人にそう言われたら、わたしには返す言葉がない。
<この原稿は16年2月4日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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