注目のルーキー・オコエ瑠偉外野手(関東第一高→東北楽天)は、キャンプ初日の打撃練習で、大苦戦したという。37スイングでヒット性は9本。詰まった凡打が目立った。

 

 これがニュースになるのが、キャンプのいいところだ。まだ初日なんだし、彼は高校の卒業式も迎えてない18歳のルーキーだ。これからの練習次第で、いくらでも明るい未来は開ける。

 

 南国の生暖かい空気と、誰もが自らの可能性に賭けられる肯定的な雰囲気、もちろん、地元のおいしい食べ物もあいまって、キャンプとは、実に心地よい空間である。

 

 とはいえ、遊んでいるわけではないので、オコエには、翌2月2日、さっそく池山隆寛打撃コーチの熱心な指導があった。様々な指摘や示唆があったようだが、要点をかいつまんでいえば、「バットは体の内側から出せ」ということである。

 

 これ、オコエが昨夏の甲子園でブレイクしたときから、わかっていたことですね。彼のスイングは、明らかにバットがやや遠回りしていた。むしろ、それでも結果を出して躍動したことに、誰もが魅せられ、非凡さを感じとった、ということだろう。

 

 池山コーチの言葉で、あ、そうか、と今さらながら気づいたことがある。その言葉とは、

「金属バットから木製に変わる時は壁があるもの。(山田)哲人も最初はそうだった」(「日刊スポーツ」2月3日付)というもの。

 

 そうでした。そういえば、彼は昨シーズンまで、東京ヤクルトのコーチだったのだ。かのトリプルスリー・山田哲人も一年目は池山コーチが指導したのだそうな。その意味では、オコエにはうってつけの打撃コーチといえるのかもしれない。もっとも、山田は履正社高の頃から、バットはある程度内側から出ていたような気がするけど。むしろ市立尼崎高時代の池山選手のほうがやや遠回りしていませんでしたか。あ、いや、失礼。冗談です!

 

 木製を苦にしない高卒野手

 

 いずれにせよ、高卒でプロ入りする野手にとって、バットが金属から木製に変わるというのは、まさに「プロの壁」である。オコエが、このいわば「永遠のテーマ」をどのように克服するか、注視したいものだ。

 

 ところで、この「木と金属の壁」は、誰にでもあるわけではない。

 

 たとえば、昨年、ついに日本代表の4番に座るまでに成長した筒香嘉智(横浜DeNA)。彼が横浜高校で注目を集めていた頃、このスイングなら木製になっても、全然大丈夫だろうと思ったものだ。しかし実際にはブレイクするまでに5年も要した。この歳月には「木と金属の壁」も、一つの要因として大きく関わっていたにちがいない。この壁には、見た目だけでは、わからない玄妙さがあるのだ。

 

 近年の高校出身野手で、絶対に木製でも問題なく打てる、と感じた打者が二人いる。

 

 一人は森友哉(大阪桐蔭高→埼玉西武)。彼は今年3年目を迎えるけれども、プロ入り後、少なくとも、バッティングで壁に当たったことはないように見える(守備はいろいろあるだろうけれど)。

 

 もう一人は、浅間大基(横浜高→北海道日本ハム)。ルーキーだった昨年は、限られた期間しか一軍にいられなかった。それでも、ごく自然に、それなりの打率は残した。彼の場合、課題はスイングではなく、プロとしての体力を身につけることだろう。今年、外野のレギュラーを獲っても、何の不思議もない、と私は思います。

 

 オコエの場合のように、課題を克服していく過程を目撃するのも、プロ野球を見る楽しみである。一方で、森や浅間のような天性に見惚れるのもまた、快楽というものだ。

 

 その視点から見ると、もう一人、気になるルーキーがいる。千葉ロッテのドラフト1位平沢大河(仙台育英高)である。

 

 キャンプ初のフリー打撃(2月2日)で、52スイングのうち安打性が21本、うち柵越えが6本。

 

「木(木製バット)のほうが、捉えたら飛びますね」

 という、なかなか簡単には言えないコメントを、さらりと残している。

 

 実は、正直に言うと、高校3年のセンバツに出場したとき、たしかにいい打者だが、前評判ほどではないのかな、という印象をもってしまった。ところが、夏の甲子園では、ご存知の通りの大活躍である。

 

 今見ると、たしかにいいスイングをしていると思える。では、あのセンバツの時のイマイチな感覚は、何だったのだろう。あらためて気づくのは、見る側の私自身が、心の中に、無意識のうちに「木と金属の壁」を設定してしまっているのかもしれない、ということだ。もはや、壁は楽しむしかない、ということか。

 

 チャンスに懸けるベテラン

 

 と、ここまで主として希望にあふれる高卒ルーキーについて述べてきたが、最後に、彼らとはまるで違うキャンプをすごす選手についても書いておきたい。

 

 西武ライオンズのキャンプにテスト生として参加した木村昇吾である。

 

 木村は昨年まで広島に所属していた、いわばバイプレイヤーである。2002年のドラフト会議で横浜ベイスターズから11巡目指名されて入団。2008年に広島に移籍した。

 

 移籍した当初は、もっぱら代走で起用され、たまに打席に立っても、まるで打てそうな雰囲気がなかったことを覚えている。

 

 ところが、2010年8月に当時の正二塁手・東出輝裕が負傷離脱。これにともなって先発出場の機会を得て、3割を超える結果を残した。続く2011年もレギュラーではなかったが、こんどは正遊撃手・梵英心が負傷離脱。代わって先発出場し、再び結果を出した。さらに、2012~2013年は再び控えにまわるも、こんどは三塁手・堂林翔太の負傷にともなって先発出場。2013年など、3割2分5厘の成績を残している。人の「生き方」というものを感じさせる経歴でしょう。

 

 で、2015年のシーズンオフ、彼は敢然とFA宣言する。すでに35歳。年俸は4000万円を超えると言われ、基本的には控えの内野手。他球団がそう簡単に手を出したくなる人材とはとうてい思えない。

 

 個人的には、低迷を続けていた広島が念願のクライマックスシリーズ進出を果たした2013年までの数年間の過程において、野手のMVPは木村だったと思っている。故障者に代わって出場した彼がある程度打つことによって、チームの得点力がそれまでより上がっていった面がある。だが、昨年、緒方孝市新監督には、彼を先発に起用するという発想はまるで見られなかった。新監督らしく、新鮮な戦力で戦いに臨みたかったのだろう。木村のFA宣言は、出場機会を得るための賭けのようなものだったのだと推測する。

 

 案の定、どの球団も手をあげないのかなと思っていたら、なんと「テスト生」という形で西武が声をかけた、ということのようだ。

 

 木村は、浅間や平沢や、ましてや筒香のような素質には恵まれていないだろう。オコエほどの華やかなスター性もない。なにしろ、はじめて見たときには、この選手はプロではヒットを打てないのかもしれない、と思ったくらいなのだ。

 

 しかし、少なくともこの5年間、私は木村ファンであった。野手はショートで先発出場するのが一番カッコいいという考えの持ち主と伝え聞く。たしかに、先発出場した試合で、ベンチからショートの守備位置まで全力疾走する姿は、はやりの言葉を使えばルーティンだが、ショートという空間への思い入れを感じさせる。

 

 愛知学院大学からプロ入りしているので、高卒ルーキー達のように「木と金属の壁」に悩まされたりはしなかったのかもしれない。しかし、プロの壁には、ぶち当たってきたはずだ。それを12年かけて克服してきた姿が、現在の独特のオープンスタンスからのスイングなのだろう。いまは、3割も可能なスイングに見えるのだが。

 

 オコエが躍動し、平沢が立浪和義以来の高卒ルーキー正遊撃手になる。そんな新鮮なプロ野球を、多くの人が期待しているだろう。可能性は、見るものを誘惑する。その一方で、2月5日、木村はめでたく西武との正式契約にこぎ着けた。夏場には、あれ、けっこう先発で出ているじゃないか、という姿も、ぜひ見てみたい。それもまた、可能性の形だ。

 

 2月の風物詩、プロ野球のキャンプとは、あらゆる可能性の坩堝である。

 

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。


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