160301久保ランニング(加工済み) 2年生の終盤にトップチームの先発の座を奪った久保飛翔は「3年生になったら、自分がチームを引っ張ってやろう」と胸に誓い、2年の年度末に行なわれた鹿児島遠征を迎える。しかし、ここで久保は扁桃炎を患い、39度近い高熱を出してしまう。当然、遠征先で試合に出場することができず、久保のポジションには新チームで副将を務める3年生が代わりに入った。そして4月を迎え、久保は3年生となっても定位置を失ったままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

<2016年2月の原稿を再掲載しております>

 

 

「ポジションを取られてリーグ戦は7節まで出られませんでした。試合に出られたのは8節からです。やっとチャンスをもらえて、先発に定着できました」

 

 関東大学サッカーリーグは4月に開幕し、8節を迎える頃はおおよそ5月の2週目だ。久保にとって6週間ぶりのチャンスである。当時の慶應は前節まで連敗をしていて、8節の相手はリーグ無敗で首位を走っていた順天堂大学だった。この試合で慶應は1-0で勝利を収め、以降、久保もレギュラーに定着したのだ。久保は2年の時もチームの流れが悪い時に与えられたチャンスをモノにした。不思議と久保はこういう場面で結果を残す。

 

 そういえば、久保が興味深いことを言っていた。「普段、何か気を付けていることはあるのか」と水を向けると、「運を引き寄せようとはします。私生活でも、真面目に悪いことをしないとか(笑)。高校に通っていた時は、学校からグラウンドまで行く間に祖父のお墓があるんです。お墓の前までは行かないにしても“今日も頑張ります”とか、試合前は“勝たせてね”とお願いしたりしていました。少しでも、そういうのは大事にしようと思いまして」と答えた。

 

 勝負は細部に宿る――。厳しい勝負の世界に身を置く久保は、常にこの言葉を胸に秘めているのだろう。前年はギリギリで1部残留を果たした慶應は、2014シーズンはリーグ戦を6位で終え、北信越リーグ2位の金沢星稜大学とのプレーオフを制し、インカレに出場する。惜しくも2回戦で敗退するが、前年の成績を考えたら御の字である。

 

名前に込められた想い

 


 4年になると久保は主将に任命される。慶應は学生間で話し合って主将を決めるという。強豪大学のサッカー部キャプテンでプロにも内定している人物は、コンスタントに試合に出ているとばかりと思っていた。久保は「僕が一番(今のトップチームで)安定してないんです」と笑いながら振り返った。

 

 試合に出られない時期も腐らずに陰で努力し、その都度這い上がってきた姿を周囲の選手も見ていたからこその推薦だったのだろう。久保をキャプテンに据えた慶應は順調に勝ち星を重ね、優勝争いを演じるまでになる。関東大学リーグ2015年シーズンの最終結果は3位だった。慶應の守護神・宮原隆志は「久保のところで大きくボールをはね返せる。そのセカンドボールを拾って自分たちのリズムを作るのが慶應の形でした」と語った。2014年シーズンは23得点だったチームは、2015年は40得点と約2倍に増えた。後方からの丁寧なビルドアップや最終ラインでボールをはね返してチームに貢献した久保の功績とも言えるだろう。

 

 久保は活躍が評価され、関東大学リーグのベストイレブンに選出される。リーグを代表するセンターバックにまで成長した証だ。久保は「特に何もしていないですし、絶対入らないと思っていました」と明かす。浮かれることもなく、謙虚な久保らしい感想だ。

 

160229久保君の背中(加工済み) キャプテンとして、この1年間、チームをまとめてきた。大学生活最後の試合となったインカレの大阪体育大学戦後、後輩たちに想いを託すべく言葉をかけていた姿が印象的だった。チームを指揮する須田芳正監督は、巣立っていった久保のことをこう評価する。

「行動で部員を引っ張ってくれました。彼の背中を見て、みんながついていくタイプのキャプテンだったと思います」

 

 プロの世界に進む教え子に須田監督は「非常に高さもあって、球際が強いのも彼の特徴です。今後、プロに行っても、自分の特徴を前面に出してやっていけるんじゃないかな」と活躍を期待していた。久保が選んだチームはJ2のファジアーノ岡山。大学進学と同時に関東に向かう久保を快く送り出した母・ミキは「兄はずっと地元だったので、親元を離すというのが私も初めての経験でした。手元でずっと育てて、試合はいつも一緒。私も(一緒に試合に行くのを)楽しみにね。(今度は岡山で)車で行けるので、凄く気持ちが楽です」と喜んだ。済美高校時代のサッカー部顧問・土屋誠も同様に「(岡山は近いから)今年は見に行きたいなと思っているんです」と語っていた。

 

 久保の人間性に周囲は魅力を感じ、色々な人が今も彼の背中を温かく見守っている。久保はみんなの意見を聞いて回り、個性派集団をまとめあげてきた。試合では最終ラインからチームを支え、自分が試合に出られない時期も自己成長のために愚直に努力を続けた。その真摯な姿勢は、岡山の地でもきっと愛されるだろう。

 

 インタビューの最後に、サインをお願いすると久保は照れくさそうに言った。

「僕、自分の名前、好きなんですよ」

 

 久保飛翔(つばさ)――。飛翔という名は「夢に向かって大きく羽ばたいてほしい」との意味で付けられた。その名の通り、彼はプロの世界へと飛翔する。

 

(おわり)

 

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<久保飛翔(くぼ・つばさ)プロフィール>

 1993年11月10日、愛媛県松山市出身。小学2年からサッカーを始める。帝人サッカースクール-愛媛FCジュニアユース-済美高。済美高在学時に本格的にDFにコンバート。全国高校選手権に主将として出場し、同校のベスト16入りに貢献した。慶應義塾大進学後は2年時からトップチームの試合に出場し始める。4年時には大学でも主将に就任し、チームをまとめた。今季からはJ2岡山へ入団。身長186センチ、体重84キロ。

 

 

 

 

 

(文・写真/大木雄貴)


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