2年前まで無名だったサウスポーが、JX−ENEOS移籍1年でプロの道を切り開いた。嘉弥真新也、22歳だ。沖縄県出身の彼は、八重山農林高校時代は中堅手兼控え投手だった。最後の夏は県大会1回戦で敗退。その彼に声をかける大学、社会人チームはなく、卒業後、野球を続けることはできないと思っていた。その彼がどんな野球人生を歩み、プロへの階段を駆け上がってきたのか。一風変わった嘉弥真の野球人生に迫った。
―― 福岡ソフトバンクからの5位指名について。
嘉弥真: 調査書は8球団から来ていましたが、正直、指名される自信はありませんでした。名前が挙がった時にはビックリしましたし、素晴らしい選手ばかりのいる球団に入れることに喜びを感じました。

―― どんなところを評価されたのか?
嘉弥真: 変化球で打たせて取るタイプなので、中継ぎとして期待されての指名だと思います。よく森福允彦さんに似ていると言われるのですが、まだまだ森福さんのようなコントロールはないですし、常にベストボールが投げられる精神力も不足しています。これから森福さんに少しでも近づけるように頑張りたいと思います。

―― 理想のピッチングとは?
嘉弥真: 中継ぎでは、やはりゼロで抑えることですね。ただ、将来的には先発もしたいなと思っているので、和田毅さんや杉内俊哉さんのように、試合をつくれるピッチャーになりたいと思っています。2人とも、コントロールもいいですし、何よりバッターの打ち取り方がわかっている感じがします。調子が悪くても、結局は抑えるので、チームからの信頼も厚い。そういうピッチャーになりたいですね。

―― 昨秋の神奈川県企業大会では東芝相手に、8回まで無安打。9回は先頭打者にヒットを許したものの、1安打無四球完封勝利を収めた。
嘉弥真: その試合が指名される最大の要因になったと思います。当日、調子自体はいつも通りという感じで、打者が一巡する3回までは普通だったんです。でも、だんだんと調子が上がってきて、途中で「まだノーヒットだぞ」と言われたんですけど、意識しないようにして投げていました。でも、9回は「あと1イニング抑えれば、完全試合だ」と意識してしまった。そしたら先頭バッターにライト前にクリーンヒットを打たれてしまいました。

―― そこからどうやって気持ちを切り替えたのか?
嘉弥真: 調子が上がってきていたので、「次の打者を抑えればいいや」と思うことができました。キャッチャーからは「バントで来るだろうから、思い切ってセカンドを狙いにいっていいよ」という指示があったんです。案の定、次のバッターが送りバントをしてきたので、一目散に打球を拾いに行ったら、自分にとってすごくいい所に転がってきてくれて、ダブルプレーが取れました。これが大きかったですね。

 プロへの道を切り拓いた東芝戦

 高校3年の夏、初戦敗退を喫した嘉弥真は、12月になっても卒業後の進路を決められずにいた。そんな彼に救いの手を差し伸べたのが、那覇市の「ビッグ開発ベースボールクラブ」だった。熱心な指揮官の指導の下、嘉弥真は少しずつその実力を開花していく。そして3年目の春、沖縄でキャンプを張っていた亜細亜大学の練習に参加。そこで同大監督の生田勉の目に留まり、生田の紹介で社会人野球の名門・JX−ENEOSへの移籍が決まった。それが、嘉弥真の野球人生を大きく変えた転機となったのだ。

―― 高校時代は控え投手。最後の夏は初戦で敗れ、一時は野球を諦めようと思っていた。
嘉弥真: 12月まで何も決まっていない状態だったので、もう野球はやれないと思っていました。そんな時に「ビッグ開発ベースボールクラブ」を紹介してもらったんです。仕事ができて、野球もできるんですから、何の迷いもなかったですね。

―― 実際に行ってみてどうだったか?
嘉弥真: 結構、練習はきつかったですよ。冬のオフには、かなり追いこみました。そのおかげで球のスピードが増しました。高校時代はおそらく120キロ後半くらいだったのが、3年目の冬には139キロまで出るようになっていました。

―― 3年目の冬にはJX−ENEOSに移籍を果たした。
嘉弥真: それが大きな転機となりました。3年目の春、亜細亜大学のキャンプに3日間、参加させてもらったんです。その時、亜大の生田監督からは「高校時代に、うちに呼べばよかったな」というふうに言ってもらえました。おそらく生田監督が話をしてくれたと思うのですが、その年の夏にJX−ENEOSから練習参加の誘いがあったんです。それがきっかけで、その年の12月に契約をしてもらいました。JX−ENEOSにはプロを目指している選手がたくさんいるので、「自分も頑張れば、プロに行けるのかな」と。プロを意識するようになったのは、その頃からです。

―― JX−ENEOS時代に成長したことは?
嘉弥真: クラブ時代、139キロで止まっていた球速が、1年未満で142キロまで伸びました。これはピッチングコーチの指導のおかげなんです。それまでの僕は、右足で踏み切って投げた後、左足が前に乗り出していなかったんです。それでピッチングコーチに、「左足をもっと勢いよく蹴り上げるような感じで投げてごらん」と言われて投げたら、ボールがビュンっていくようになったんです。

―― オーバーとサイド、両方を投げ分けている。
嘉弥真: クラブ時代に遊びでサイドからスライダーを投げたら、ものすごく曲がったんです。実際に試合でも使って見たら、結構良かったので、基本的にはオーバーなんですけど、バッターやカウントによって、サイドから投げています。プロでも、まずはこのままのスタイルでやってみようと思っています。

 座右の銘は“切磋琢磨”。中学校の石碑に書いてあったこの言葉に魅かれたのだという。元来、負けず嫌いの嘉弥真にとって、チームメイトは自分を発奮させ、成長させてくれる“仲間”であり“ライバル”だった。それは生き馬の目を抜くプロの世界では、より重要になってくるに違いない。決してエリートコースを歩んできたわけではない、いわゆる“雑草”の嘉弥真が、果たしてプロの世界でどんなピッチングを見せてくれるのか。全国の少年たちに希望を与える活躍を願わずにはいられない。

嘉弥真新也(かやま・しんや)プロフィール>
1989年11月23日、沖縄県生まれ。小学4年から野球を始め、八重山農林高時代は外野手兼控え投手。高校卒業後、地元のビッグ開発ベースボールに就職し、投手として活躍。3年目の2010年には都市対抗1次予選突破に大きく貢献した。同年12月にJX−ENEOSに移籍し、翌春から公式戦に登板。秋の神奈川県企業大会では2試合に先発し、第3戦の東芝戦では1安打無四球完封勝ちを収めた。170センチ、59キロ。左投左打。

(聞き手・斎藤寿子)

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