国際武道大学時代には、MVP1度、首位打者2度、ベストナイン3度と実績を残してきた川端崇義。4年時には日本代表に選出され、長野久義(巨人)らとともにプレーした。卒業後は社会人名門のJR東日本に入社。毎年のようにドラフト候補にあげられながら、川端の名前が呼ばれることはなかった。だが、26歳となった2011年、ようやくドラフト会議の会場に彼の名が響き渡った。「順位は関係ない」と川端。悲願のプロ入りを果たした彼に意気込みを訊いた。
―― ドラフトで名前を呼ばれたときの気持ちは?
川端: 僕の場合は、毎年のように候補にあがりながら、なかなか指名されませんでした。だから正直、「あぁ、今回もダメかな」と。そう思っていた矢先に名前が呼ばれたので、本当に嬉しかったですね。

―― オリックスへのイメージは?
川端: 2011シーズンは9連勝したりと、勢いのあるチームだなと感じています。岡田彰布監督は、勝負に対して熱い人だなという印象があります。

―― どんなところを評価されたのか?
川端: スカウトの方からも言っていただいたのですが、右の外野手ということで、打撃を買われたと思っています。僕は長距離というよりも、中距離ヒッターなので、内野の間を抜けるような低い打球を、広角に打てるバッターになりたいです。

―― 社会人での成長は?
川端: やっぱり逆方向に長打が打てるようになったことですね。大学までは引っ張ってばかりで、ライト方向には打ってもシングルヒットだったんですけど、社会人に入ってからは右中間に抜けたり、ライトオーバーの打球を打てるようになりました。

―― その要因は?
川端: 特にトレーニングを変えたりはしていないんです。大きかったのは強く意識するようになったことかなと思いますね。やっぱり右に長打が打てるようになりたいと思っていましたから、先輩方の打ち方を参考にしたりして、いろいろと試す中で、力の入れ方がわかってきたのかなと。

 牧田、増井に続く“焼津の星”へ

 川端の故郷である静岡県焼津市の出身者には、2011年パ・リーグ新人王に輝いた牧田和久(埼玉西武)、そしてプロ2年目の昨シーズンはセットアッパーとして56試合に登板し、防御率1.84、リーグ3位の34ホールドを挙げ、チームに大きく貢献した増井浩俊(北海道日本ハム)がいる。小学校時代から顔見知りだという2人の活躍は、川端には大きな刺激を与えているようだ。

―― これまでの野球人生で転機は?
川端: 大学4年の時に、日本代表に入ったことですね。今、巨人で活躍されている長野久義選手ら、レベルの高い人たちと一緒にやれたことで、野球に対する気持ちがだいぶ高められたなと。特に印象に残っているのは、やはり長野選手。逆方向に大きなホームランを打っていたんです。それを見て、「自分も負けたくない、頑張ろう」と思いました。そのことが、今につながっているんだと思います。

―― 既にプロの第一線で活躍している牧田と、増井とは、同じ焼津出身の同級生。
川端: 牧田とは小学生の時に対戦したことありますが、当時は僕の方がいいピッチャーでしたよ(笑)。増井は小学校の時から、すごい球を投げていましたね。

―― 同じ社会人からプロに入った2人を見て、感じることは?
川端: プロの世界は本当に厳しいんだなと思いますね。その中でやっていくには、しっかりと目標をもつことが大事かなと。

―― プロでの目標は?
川端: まずは開幕1軍を目指して、キャンプから走攻守でアピールしていきたいと思います。

 ようやくつかんだプロへの切符。26歳という年齢を考えれば、1年目からの活躍が期待されるのは当然だろう。もちろん、本人も十分にわかっているはずだ。増井、牧田に続いて、パ・リーグに焼津出身の星がもう一つ輝く時は、そう遠くはない。

川端崇義(かわばた・たかよし)プロフィール>
1985年2月4日、静岡県生まれ。小学3年から野球を始め、東海大相模高に野球留学する。国際武道大時代にはMVP1度、首位打者2度、ベストナイン3度を獲得。4年時には日本代表に選出され、世界選手権に出場。同年秋の明治神宮大会ではベスト8進出を果たした。2007年JR東日本に入社し、11年は都市対抗大会初優勝に大きく貢献した。176センチ、80キロ。右投右打。

(聞き手・斎藤寿子)

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