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(写真:ブラッドリー戦後の会見でも爽やかな笑顔はいつも通りだった)

 4月9日、マニー・パッキャオ(フィリピン)は一部では危機論も囁かれて迎えたティモシー・ブラッドリー(アメリカ)との3度目の対戦で、明白な判定勝利を飾った。

 終始リズミカルに攻め抜き、2度のダウンを奪った末の完勝。全盛期のバネとキラーインスティンクト(負けん気)こそなかったが、かつての輝きの片鱗は十分に見せ、ファンを喜ばせる内容だったことは間違いない。

 

 試合後、パッキャオは改めて現役を退く意向を表明した。直後に「復帰の可能性は50/50」と口にするという奇妙な発表であり、遠くない未来のカムバックを予想する関係者は後を絶たない。ただ、例えそうだとしても、フィリピンの英雄のキャリアが1つの節目を迎えたのは事実だろう。

 

 今後に何戦を行おうと、その内容、結果はおそらくパッキャオのレガシーに大きく影響することはあるまい。フィリピンのミンダナオ島で始まり、全世界のスポーツファンを震撼させた奇跡のストーリーは、ここで終章を迎えたのだ。

 

 残された記録が圧倒的である。通算成績は58勝(38KO)6敗2分。フライ級からスーパーウェルター級まで8階級に渡って世界のトップで活躍し、6階級で主要なアルファベットタイトルを獲得した。

 

 スーパーフェザー級以下で戦っていた頃、マルコ・アントニオ・バレラ、エリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケスといったメキシコの英雄たちと熾烈なライバル関係を形成した。ほとんど忘れられかけている感もあるが、この3人と複数回に渡って拳を交え、全員に勝ち越した時点で、パッキャオはすでに将来の殿堂入りは確実のボクサーだったのだ。

 

 別次元に突入した中量級時代

 

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(写真:ラスベガスにおいて、一時期のパッキャオの試合はメイウェザー戦に匹敵するビッグイベントとなった)

 しかし、スーパーライト級から上の中量級に昇級後、物語は別次元に達する。2008~2010年の間、パッキャオはオスカー・デラホーヤ(アメリカ)、リッキー・ハットン(イギリス)、ミゲール・コット(プエルトリコ)、アントニオ・マルガリート(メキシコ)といった各国のスター選手たちを連破していく。その爆発的な快進撃は世界中のファンの心を捉え、パッキャオは一躍莫大な影響力を誇るプロアスリートとなっていった。

 

「信じられない……」

 普段からボクシングをよく見ていた筆者の友人が、ひと回り大きな身体のデラホーヤをパッキャオが滅多打ちにするのを見て、思わずそう呟いていたのを昨日のことのように覚えている。

 

「このパッキャオっていうのは本当に凄いな!」

 ハットンを衝撃的な2ラウンドKOで下したという結果を聞いて、ゲームを終えたばかりのボストン・セルティックス(NBA)のスーパースター、ポール・ピアース(アメリカ)が自分のことのように興奮していた姿も忘れられない。

 

 パッキャオのキャリアを振り返れば、熱心なボクシングファンはこのように印象的な試合を何戦かは挙げられるはずだ。そのときに自分がどこいて、何をしていたのか、鮮明に思い出すことすらできる人も多いだろう。結局、パッキャオが世界的な人気を誇るボクサーとなった最大の理由は、積極的に大物と戦い、インパクトのあるファイトを幾つも残したことに他ならない。

 

 軽快なフットワーク、飽くなき闘争心、衰え知らずのスピードと手数、自分より大きな相手をもなぎ倒すパワー、そして強敵との対戦に挑む勇気……全盛期のパッキャオは、マニアからカジュアルなファンまで、多くの人々が“ボクサーとはこうであって欲しい”と望む要素の多くを備えていた。

 

 対極の存在・メイウェザー

 

 どんなサイズ、タイプの相手でも、無頓着なほどに恐れずリングへ上がり続けた。勝っても負けても、試合後には笑顔で対戦相手を讃えてきた。例え敗れても、悪びれず、またリングに戻ってきて、戦いをやめなかった。こういったパッキャオの特徴を並べていくと、常に比較され続けたフロイド・メイウェザー(アメリカ)と彼は、本当に様々な意味で対極の存在だったことにも改めて気づかされる。

 

 慎重に対戦相手を吟味し、リング上でもディフェンシブに戦い続けることで連勝記録、評価、商品価値を守ってきたメイウェザー。強豪とばかり連戦し、エキサイティングなファイトの連続でファンを魅了したパッキャオ。自身にないものを完璧な形で備えた宿敵が同世代に生きていなかったら、2人はここまで大きな存在にはならなかったのではないか。

 

 直接対決が遅すぎたのは残念だったが、対戦が噂され、比べられ続けることで、両雄はそれぞれの商品価値を高めていった。そう考えていくと、パッキャオの最大のライバルは計4度(2勝1敗1分)も拳を交えたマルケスではなく、やはりメイウェザーだったのである。

 

 そしていつしか、アジアの島国出身の小さなボクサーは、ボクシングの本場アメリカで、そのアメリカ人のスーパースターであるメイウェザーをも凌駕するほどの人気と評価を勝ち得ていった。

 

 同じ時代に生きた幸運

 

 どんな業界、分野でも、外国人がNo.1になることは並大抵の難しさではない。特にしばらく海外で生活した経験がある人なら、パッキャオの成し遂げたことが奇跡に近かったことと実感できるのではないか。

 

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(写真:パッキャオの試合時には多くのアジア人がラスベガスを訪れるようになった。アジア人に門戸を開いたことも功績の1つだ)

「マニー(・パッキャオ)のおかげで多くの素晴らしい体験ができた。そのことに関して、私も彼に心から感謝したい」

 ブラッドリー第3戦を終えた後、記者会見の壇上で、ボブ・アラム・プロモーターがしみじみとそう述べていた。そんな想いは、現代のほぼすべてのボクシングファンに共通のものだっただろう。

 

  野性味溢れるパッキャオの快進撃によって、私たちはほとんど忘れていた原始的でスリリングな興奮を思い出すことができた。その戦いを何度かはリングサイドで取材できたことは、筆者にとっても名誉であり、記者冥利に尽きる喜びだった。今、こうして節目となるファイトを終えて、アラム同様、心からお礼が言いたいくらいの気持ちである。

 

 最後になるが、これまで数々の不可能を可能にしてきた選手であるがゆえに、“微妙な引退宣言”の後で、鮮烈なエピローグを期待したくなるのも人情ではある。ブラッドリー第3戦の出来は、実際に現役続行を支持するのに十分なものではあった。例えば急上昇中のWBO世界スーパーライト級王者、テレンス・クロフォード(アメリカ)との世代交代ファイトを観たくないと思うファンはいないだろう。

 

 ただ、その一方でパッキャオだけは、長く戦い過ぎず、健康な身体を保ったまま現役を終えて欲しいと願わずにもいられない。筆者も一時はクロフォード戦を望んでいたが、最近になって考えは変わった。引退時期を誤った人気ボクサーの晩年ほど切ないものはない。

 

 同じ世代に生きれたことが幸運だったと感じるからこそ、パッキャオが起こした奇跡を今後も明るく語り継いでいきたい。

 だからこそ、これまでのファイト同様、笑顔を浮かべてリングを離れてもらいたい。それこそが、アメリカで“パッキャオの時代”を見守った筆者の、最後の願いでもある。

 

杉浦大介(すぎうら だいすけ)プロフィール

東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、NFL、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『スラッガー』『ダンクシュート』『アメリカンフットボールマガジン』『ボクシングマガジン』『日本経済新聞』など多数の媒体に記事、コラムを寄稿している。著書に『MLBに挑んだ7人のサムライ』(サンクチュアリ出版)『日本人投手黄金時代 メジャーリーグにおける真の評価』(KKベストセラーズ)。

※杉浦大介オフィシャルサイト>>スポーツ見聞録 in NY
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