「根性」という言葉を聞くと、オートマチックにアレルギー反応が出てしまうタチである。大切なのは技術であり戦術。根性なるもので勝てれば世話はない。中学生のころから、長くそう思い込んできた。

 

 ただ、年をとるにつれ、少しずつ変化が出てきた。「根性」を連呼したがる指導者は相変わらず苦手だが、同時に、自分はあまりにもメンタルというものを軽視しすぎてはいなかったか、という反省が頭をもたげてきた。

 

 最初のきっかけとなったのは、ドーハで聞いたラモスさんの言葉だった。宿敵・韓国を倒し、悲願のW杯初出場に大きく近づいた時、彼はむしろ、激怒していたのだ。感激のあまり、涙を流す仲間たちに。

 

「まだ何も終わってないのに、何泣いてんだよ!」

 

 あの時、わたしには怒りの意味がわからなかった。“悲劇”が起きた時も、目標への過程で感情を解き放ってしまったことが、ほぼ手中にしていた出場権を失う一因になった、とはまるで思っていなかった。

 

 初めて腑に落ちたのは、98年のW杯だった。準決勝で死闘の末にオランダを下したブラジルには、勝利の瞬間、思わず涙を流す選手がいた。案の定と言うべきか、彼らは決勝でフランスにまさかの敗北を喫した。

 

 かねて、W杯では国情が不安な国が躍進する、という言い伝えがあった。実を言うと、個人的には単なるオカルトと受け止めていた部分があったのだが、5年前、完全な思い違いだったと痛感させられた。

 

 なでしこたちのW杯優勝である。

 

 誤解を恐れずに言い切ってしまえば、あの優勝は、未曽有の大災害なくしてはありえなかった。国中を襲った激甚なる痛みを、前に進むエネルギーに変換したからこその優勝だった。自らの躍進を闇に差す一筋の光にしようと興奮したがゆえの、優勝だった。

 

 今回もまた、スポーツにおける気持ちやメンタルといった要素の大きさを改めて実感している。

 

 9回2死から4点差を追いついたソフトバンク。圧倒的不利を予想されながら、土壇場までJ2首位を快走するC大阪を追い詰めた北九州。その他にも、熊本や九州に縁のあるチーム、選手が信じられないような力を発揮した今週末だった。

 

 スポーツライター生島淳さんが書かれた「エディー・ウォーズ」(文藝春秋)は、ラグビーW杯に出場した日本代表の内側を描いた迫真のノンフィクションだが、その中では、メンタル・トレーナーが果たした役割の大きさについても描かれている。

 

 精神力は、むろん万能の超能力ではない。ただ、時に奇跡を起こすことがあるのも、精神の力。メンタルというものについて、本格的に勉強してみる必要性を、改めて感じている。

 

<この原稿は16年4月21日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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