モハメド・アリ死去の報を受け、伝説と化している“キンシャサの奇跡”をビデオで観た。先週も書いたが、1974年10月30日、アリは圧倒的不利の予想を覆し、日の出の勢いの世界ヘビー級王者ジョージ・フォアマンを沈め、王座に返り咲いた。ロープを背負いながらフォアマンの打ち疲れを待ち、一瞬のスキを突いて急所を射抜く作戦は「ロープ・ア・ドープ」と呼ばれるものだった。

 

 この試合をテレビで観たのは、もう42年も前だ。古い記憶ほどあてにならないものはない。8ラウンドにガードを解き、鮮やかなワンツーでフィニッシュするまでアリはずっとロープを背に“籠城”していたとばかり思っていた。

 

 だが、そうではなかった。1ラウンドのゴングが鳴って最初に仕掛けたのはアリの方だった。軽快なフットワークを駆使して、何度かワンツーをクリーンヒットさせている。ロープを背負うのは、いよいよラウンドも終盤になってからだ。

 

 実はこの戦法を授けた伝説のトレーナーがいる。フロイド・パターソン、ホセ・トーレスの2人を世界王者に育て、後にマイク・タイソンを見出したカス・ダマトである。米国の作家ジャック・ニューフィールドが著した「ドン・キングの真実」(デコイ出版)によると、試合前にアリから助言を求められたダマトは、こう指示する。「私に言えるのは一つだけだ。しょっぱなのパンチでフォアマンを痛めつけろ。フォアマンはがき大将と同じだ。最初に痛めつけられれば心理的に参るはずだ。とにかく最初の一撃を心してかかれ」

 

 アリはアリでフォアマンの弱点を見抜いていた。フォアマンがケン・ノートンを2ラウンドで眠らせたカラカスのリングサイドにはアリもいた。キンシャサの7カ月前のことだ。試合後、アリは興奮気味にまくしたてた。「5ラウンドまでもつれ込み、ノートンがなおも力を温存していたら、フォアマンは引退に追い込まれていただろう。序盤さえ切り抜ければ、左ジャブと右クロスでフォアマンは引退だ」

 

 ほぼ予言どおりの試合となった。アリは自ら試合の構想を練り、具体策については希代の戦術家であるダマトの知恵を借りた。周囲には「奇跡」でも、アリにとっては必然の帰結だったかもしれない。

 

<この原稿は16年6月15日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


◎バックナンバーはこちらから