元ロッテの平沼定晴といえば、多くの野球ファンが真っ先に思い出すのが、清原和博(当時西武)との大乱闘だろう。1989年9月23日、西武球場での西武−ロッテ戦。7−0と西武が大量リードしていた4回、平沼は清原に対し、初球からインコースに厳しいボールを投じた。清原は微動だにせず、投球を左ヒジに受けると、猛然とマウンドへダッシュ。手にしていたバットを平沼目がけて投げつけた。両軍入り乱れての大乱闘の末、清原は2日間の出場停止などの処分を受け、平沼は左ヒザに全治2週間のケガを負った。あれから23年。現在は中日の球団スタッフ(用具担当)をしている平沼に、二宮清純が改めて当時の様子を訊いた。
二宮: 大乱闘前の打席で、平沼さんは清原に満塁ホームランを打たれていますね。
平沼: そうです。確か初球のカーブだったと思います。

二宮: 当時、清原に聞いたら「次の打席では当てられそうな雰囲気があった」と言っていました。
平沼: 別に当てるつもりはありませんでしたよ。ただ、前の打席でホームランを浴びていて、また甘いカーブとかを投げてしまったら、ベンチからは「気が弱い」とみなされてしまう。僕らの時代は「やられたらやり返せ」という教えを受けていましたから、厳しいところには投げないといけないと思っていました。

二宮: 確かに投じたボールは胸元の厳しいコースでしたが、決して避けられないものではなかったと?
平沼: サインはインハイの真っすぐでした。真っすぐといっても、僕の場合は今で言うツーシーム。インコースに食い込むシュート系のボールを投げました。ただ、たいしたボールではないですよ。避けられるコースだったと思います。

二宮: ところが清原はまったく動かず、ボールをヒジに受け、激怒して、バットを投げつけました。
平沼: 最初は「どこ投げてんだ!」とか言ってきたんですね。そしてバットを投げた。まさかバットを投げるなんて思ってもいなかったんですよ。投げるフリだけかと思ったら、バックネット裏の観客と重なって見えなくなった。気づいたら、バットが目の前に飛んできて、避けようと思っても間に合いませんでした。ワンバウンドしてグリップエンドが左ヒザにまともに当たりました。

二宮: バット直撃ですから、かなり痛かったでしょう?
平沼: いや、その時は興奮していたので痛みは感じませんでしたよ。頭にきたんで、こっちも清原に向かっていきました。そしたら、清原がジャンプしてポーンと飛ばされてしまったんです。ヒザはあとになって、かなり腫れました。

二宮: バット投げはもちろん、ジャンピングニーアタックを仕掛けてくるとは予想外だったでしょう?
平沼: もちろんです。僕はカッとなっていたんで、つかみかかってやろうと思っていました。そしたら突然、ジャンプしてきた。どうすることもできずに倒されてしまって、起き上った時にはもう清原はいなかった……。

二宮: その後、踵を返して本塁方向に走っていきましたからね。まさか、こんな事態になるとは思いもしなかったのでは?
平沼: ただ、新聞で清原が「今度、もしも当てられたら、相手が誰だろうが絶対いったる」といったコメントを出していたのは読んでいました。清原はインコースが弱かったので、どの球団も徹底して内角を攻めていましたからね。当然、死球も多かった。まだ彼も若かったし、もし当てたのが僕じゃなくても、こういう騒動は起きていたんじゃないでしょうか。

二宮: 平沼さんは中日時代から何度か乱闘騒ぎに巻き込まれていました。それでもインコースを厳しく突く投球スタイルは譲れなかったと?
平沼: 僕らの時代は監督、コーチから「インサイドを投げられないようじゃ、ピッチャーとして終わりだぞ」と口癖のように言われていました。僕自身もバッターの懐に投げる勇気がなくなかったら、ピッチャーを辞めるつもりでいました。

二宮: 今は昔と比べると執拗な内角攻めは少なくなくなりましたね。
平沼: 乱闘自体、少なくなりましたよね。昔なら、1試合に2回も当てられたら、ほぼ乱闘になっていた。今は何回ぶつけられても、よほどのことがない限り、選手たちは怒りませんね。でもグラウンドは戦いの場ですから、エキサイトしてもいいと思うんですよね。もちろん、わざとぶつけるのはダメですが、もうちょっと感情を出してもいいんじゃないかと。

二宮: 良くも悪くも平沼さんは、あの乱闘で全国区になりました。改めて振り返ってみて、今はどんなことを感じますか?
平沼: あんな騒ぎになって良いことはなかったですね。当時は選手名鑑に自宅の住所が載っていたので、カミソリ入りの封筒が送り付けられたりしました。電話番号を公開してなかったのに、家に脅迫電話が何回もかかってきましたね……。
 それに今では息子にも言われるんですよ。「オマエ、根性ないぞ」とか叱っても、「お父さんは清原に負けたくせに」と言い返される。その時、まだ息子は生まれていませんが、きっとYouTubeとかで当時の映像を見たんでしょう。この言葉が一番ツライんですよ(苦笑)。

<現在発売中の『文藝春秋』2012年5月号では「プロ野球伝説の検証」と題し、平沼さんらの証言を元に、この大乱闘の真相をさらに解き明かしています。こちらも併せてご覧ください>