<後楽園ではどうして勝てないのだろうか。これで1勝6敗である。どこの球場へ行ってもことしのカープはまるでホームグラウンドさながらに暴れ回っているのに、後楽園に来ると、借りてきたネコか道化役さながらに巨人の引き立て役になってしまう>。1975年8月25日付けの中国新聞の名物コラム「球心」に、こんな記述がある。

 

 75年と言えば、広島カープが球団創設26年目にして初優勝を果たした年である。このコラムを長年に渡って担当した津田一男のボヤキは続く。<試合前の練習中に一団になって外野を走っていると、反対側から巨人の選手が一人やってくる。するとカープ集団は一斉にカーブしてどうぞどうぞと一人の巨人さんをお通しする。「あれじゃ勝てんよ」と白石監督が苦笑いしていたのを思い出す>

 

 球界の盟主と万年Bクラスチーム。球団格差は、こんなところにも表れていた。68年に巨人から広島にトレードされ、75年の初優勝時には主に守備要員として活躍した深沢修一から、かつて聞いた話。「僕が広島で1軍に上がった頃、若手は巨人戦のため遠征すると、地下鉄の駅から後楽園までいろいろなものを運ばされた。僕は自分の荷物以外にヘルメット10個入りの袋。マスコットバットにノックバットも。現場に着くと、もうヘトヘトでした。翻って巨人の選手たちは遠征先でも手ぶらでした」

 

 中島みゆきの歌ではないが、そんな時代もあったのだ。季節は移り、時代はめぐった。こうした格差は、ほぼ消えた。にもかかわらず、である。2位巨人に6ゲーム差をつけ25年ぶりのリーグ優勝に向け独走態勢を固めつつあるカープが、なぜか東京ドームでは勝てない。ここまで1勝4敗である。4敗のうち3つが1点差ゲームだ。旧後楽園コンプレックスを未だに引きずっているのだろうか。一方の巨人にすれば、このジンクスを利用してホームで広島を徹底的に叩き、浮上のきっかけにしたいところだ。

 

 話を75年に戻そう。津田のコラムに発奮したのか、広島は後楽園での残り4試合で3勝1分と巨人を圧倒した。監督の古葉竹識が宙に舞ったのも後楽園だった。

 

 25年も優勝から見放された広島の今季を75年に重ねる向きは少なくない。41年たっても都の北側に位置する球場は悲願への鬼門のようである。

 

<この原稿は16年6月22日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


◎バックナンバーはこちらから