初めて仕事で東南アジアを訪れたのは、92年バルセロナ五輪予選が開催されたマレーシアだった。
現在から振り返れば、「日本サッカーの夜明け前」とも言うべき時期だったが、もちろん、当時はそんなことがわかるはずもない。中国に競り負け、韓国相手に耐えきれず……記者席での思い出は悔しいものばかりだ。
ただ、マレーシアでの滞在自体はとんでもなく楽しかった。
まず、とにかく物価が安い。可愛がってくれた先輩記者と、毎晩ベロベロになるまで飲み歩いた記憶がある。スポニチとの縁もこの時に生まれたようなものだがら、時には深酒も悪いものではない。
最近になって思う。なぜあのころのわたしは、東南アジアへ行くとハメを外せたのだろう。というのも、ここ数年は訪れるたびにこちらの心境が変わってきているのを感じるからだ。
初めて訪れたマレーシアは、はっきり言えば完全な発展途上国だった。先進国の人間からすると、遅れているところ、手がつけられていないジャンルも多々あった。ただ、わたしに関して言えば、そうした遅れこそが、リラックスできる一因だったように思えてきた。
近年、東南アジアの経済発展にはめざましいものがある。ほこりっぽかったクアラルンプールの街は、いまや六本木と見紛うほどの最先端都市に様変わりした。シンガポールの物価は、ひょっとすると日本より高いものもある。
以前であれば、東南アジアで羽振りのいい東洋人と言えば日本人と相場が決まっていたが、いまやその立場は中国人に取って代わられた。訪れるたび、日本という国が占めていたテリトリーのようなものが、確実に小さくなっているのを感じる。
だが、例外もある。
9月2日、シンガポールの有力紙「ストレーツ・タイムス」のスポーツ面が大々的に取り上げたのは、UAEに逆転負けを喫した日本の試合だった。アジア各地でW杯最終予選が始まったにもかかわらず、トップを張ったのは韓国でもタイでもなく、日本だった。
かつては、日本が取り上げられるのは経済の話題だけ、だったのだが。
東南アジアにおける日本の存在感が縮小傾向にあるのは、むろん、日本経済の状況に原因がある。ならば、なぜサッカーは例外なのか。
歴代の日本代表が見せてきたサッカーの質が、東南アジアの人々に愛されたからではなかったか。
ただ、勝てばいい。そんな国が多い中、常によりよいサッカーを追及してきたからではなかったか。
だとしたら――。
タイを倒した日本から、わたしは高みを目指そうといいう志を感じなかった。初戦を落としたから? ならば次を待とう。次のイラク戦を見れば、いまの日本代表が目指すところが、はっきりとわかるはずだ。
<この原稿は16年9月8日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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