ボクシングのダブル世界タイトルマッチが16日、埼玉県のウイング・ハット春日部で行われ、WBA世界スーパーフェザー級では王者の内山高志(ワタナベ)が、挑戦者マイケル・ファレナス(フィリピン)と偶然のバッティングにより、右目上を負傷。3R途中で試合続行不可能となり、規定によりテクニカルドローで内山が5度目の防衛に成功した。またWBCフライ級では挑戦者の五十嵐俊幸(帝拳)が、王者のソニー・ボーイ・ハロ(フィリピン)を2−1の僅差の判定で下し、世界初挑戦でベルトを奪取した。これで日本人男子の現役世界王者は8人に増えた。
(写真:リング上で負傷箇所の応急処置を受け、顔をしかめる内山)
<内山、「試合した感覚ない」>

 本人を含む誰もが「予想外」の結末だった。
 地元・春日部での念願の防衛戦を日本人タイとなる世界戦6連続KOで飾る――それが内山陣営の思い描いていたシナリオだった。挑戦者のファレナスは過去1度もKO負けがないとはいえ、KOダイナマイトの実力を持ってすれば、充分に倒せる相手だった。

 しかし、試合は大きな見せ場もなく、3R1分15秒での負傷ドロー。リングドクターが内山の右目上の傷口をチェックし、レフェリーが試合終了を告げた途端、満員の会場からは「エ〜」という落胆の声が漏れた。

「これだけ集まってくれたのに、しょうもない試合してスミマセン。防衛には失敗してはいないけど、僕のなかでは失敗」
 ザックリと3センチほど切れた右まぶたを痛そうに押さえながら、王者は何度も謝罪の言葉を繰り返した。

 サウスポースタイルから上体を低くして突進してくる相手に2R、3Rと連続して頭をぶつけられた。しかし、低い体勢で向かってくるのはファレナスのこれまでの試合から予想していたシナリオだった。

 むしろ予想外だったのは、挑戦者のスピードだ。「クネクネ動いてやりづらかった」と本人も認めたように、相手は体を上下しながら鋭く踏み込んでパンチを放ってきた。左ストレートが何度も顔面に入り、ジムの渡辺均会長が「あんなに序盤にパンチをもらったのは初めて」と首をかしげる立ち上がりだった。

 内山は右ボディから相手を起こしにかかったものの、「ペースを握れてはいなかった」と明かす。地元での試合で無意識のうちに出た気負いが動きを硬くした。徐々に挑戦者の動きはつかめていたが、このまま試合が続いても勝負の行方はまだ分からなかった。

 世界戦で目の上をカットしたのは昨年1月の三浦隆司(当時横浜光、現帝拳)戦以来2度目だ。三浦も上体低く向かってくるサウスポーだった。この時も3Rにダウンを奪われるなど、序盤に苦戦した。

 圧巻のKO勝利を続けてきた王者がのぞかせたわずかな弱み。近い将来、王座統一戦の期待が高まるWBC同級王者の粟生隆寛(帝拳)もサウスポーだ。試合後、テレビ中継の解説で来場していた粟生は「参考になる部分がありました」と語った。

 ドローでベルトは守ったとはいえ、連続KOもデビュー以来続けていた連勝も止まった。KO記録については「気にしていない」と無関心を装ったが、連勝ストップは「気にしていない」と答えつつ、しばらく考えて「ちょっとイヤかな」と苦笑した。

「試合した感覚も防衛した感覚もない。傷が治ったら、すぐに練習して次に向かって高めていきたい」
 王者のキャリアについた“傷”を癒すには、再びリングで最強を証明するしかない。

<五十嵐、大場政夫の魂受け継ぐ>

 世界のベルトを巻けるかどうかは、最終12ラウンドの3分間にかかっていた。8R時点ではジャッジは2者が五十嵐を支持。しかし、1者はわずか2ポイントの僅差だった。9Rにはハロの右フックを何発も被弾し、ふらつく場面が見られた。11Rには右をもらって左目の上をカット。出血が激しくなるなか、最終ラウンドをモノにしなければ、判定でドローに持ち込まれる可能性が高かった。
(写真:「手応えとしてはギリギリ勝っていると思った」と本人も振り返る接戦を制した)

 苦しい展開ながら、五十嵐は相手の強打を恐れず、最後の力を振り絞って細かくパンチを繰り出した。その圧力に耐え切れず、ハロはラウンド終盤で足を滑らせてリング上に転倒する。ラウンドの優劣が明確になり、事実上、王座が交代した瞬間だった。

「会長から“絶対あきらめるな。根性だ”と言われました。苦しい練習を思い出して、すべてを出し切ろうと思いました」
 試合後、新チャンピオンは“根性”という言葉を何度も口にした。

 西岡利晃(WBC世界スーパーバンタム級名誉王者)、粟生(WBC世界スーパーフェザー級)、山中慎介(WBC世界バンタム級)と3人の現役王者を擁する帝拳ジムからは8人目の世界チャンピオンだ。ただし、フライ級のベルトには特別な意味がある。“永遠の王者”大場政夫の階級だからだ。逆転につぐ逆転で5度の防衛を果たしながら、不慮の交通事故でチャンピオンのまま死去した。

 五十嵐にとっても、アマチュア時代から大場の試合映像を見て、憧れていたボクサーだった。この日も控え室には大場が使っていた減量着を持ってきた。
「大場さんのビデオで(劣勢から)逆転するシーンを思い出した。大場さんみたいに、と思って戦いました」
 まさに伝説の王者の魂が乗り移ったかのような最終ラウンドだった。

 立ち上がりから右ジャブでリズムをつくり、ボディを集めてハロの体力を奪った。前日計量で最初は500グラムオーバーだったフィリピン人は時折、足が止まり、五十嵐の連打に防戦一方になる場面も目立った。

 しかし、フライ級のベルトを延べ23度の防衛に渡って守り続けてきたポンサクレック・ウォンジョンカム(タイ)から2度のダウンを奪って王者となったハロのパンチには破壊力があった。前に出てくる五十嵐を呼び込み、カウンターで強烈な右を見舞う。「パンチ力がずば抜けていた。あんなパンチが重い相手とはやったことがなかった」と五十嵐も舌を巻くパワーだった。

 それでも挑戦者である以上、攻めなければ頂点に立てない。丁寧にジャブを突き、手数でポイントを稼いだ。ガードを固め、足を使って距離をとりながら、危険を承知で踏み込んだ。アマチュア時代は全日本選手権で2度の優勝。アテネ五輪にも出場した実力の持ち主は基本に忠実なボクシングを貫き、最後は相手を気持ちで上回って五輪イヤーにきらめくベルトを手にした。

「防衛回数よりも、自分がチャンピオンだと胸を張れるチャンピオンになりたい」
 そう28歳の新王者は決意を語った。自身を支えてくれた11歳年上の妻・栄子さんには結婚指輪も渡せていない。今回のファイトマネーで胸を張って輝くリングをプレゼントするつもりだ。

(石田洋之)