第180回「パラリンピックに想う」
オリンピックに続いてリオネジャネイロで開催されているパラリンピック。過去の大会に比べると日本国内も盛り上がってきたようで、報道で目にする機会も、日常会話の中に話題が出てくることも多くなった。前回大会まではなかったメダル獲得のニュース速報なども流れてくるし、特集記事や番組も多く、素晴らしい話題を提供してくれていると思う。もちろん東京開催時に向けてメディアや東京都、文科省などが中心になり力を入れていることは確かだ。しかし観客の意識や受け入れ態勢は間に合うのか……。そしてメディアの取り上げ方も、まだ試行錯誤であることも否めない。
ロンドンで成功を収め、ようやく日の目を見た感のあるパラリンピック。それまではどうしてもオリンピックの陰に隠れている印象が強かった。成功へと導いたのは、やはりロンドンという文化成熟度の高い街だったからだろう。そもそも欧米では、バリアフリーに対する意識が高く、公共施設や飲食店などの設計はもちろん、市民の意識も進んでいる。ハンディキャップがある人が社会で活動することも、それを周りの人がどのように接するかを見ても、欧米以外の国々とその差は歴然だ。
リオでも大会運営自体は上手くいっていても、観客の入りが悪かったり、受け入れで苦戦しているのを聞く。やはり欧米とのギャップを感じずにはいられない。そして、その点では日本もまだ追いついていない。一般のトライアスロン大会などでも、欧米の大会では普通にハンディキャップアスリートが参加しているが、国内大会で見かけることはほとんどない。選手の意識も大会の意識もそこまで到達していないというのが現状だ。スポーツへの理解とともに、ハンディキャップへの考え方を変えていかなければならないと思う。
理解を妨げている複雑さ
パラリンピックの複雑さも理解を妨げている一因だろう。「障がい者」と一言に言っても、視覚障がい、知的障がい、運動障がいとクラス分けされ、さらに「運動障がい」は「脳性麻痺」、「欠損機能障がい」「低身長症」などに区分される。加えて「立位」と「車いす」があり、欠損部位や範囲などで分けていくと、かなりの数になる。1競技にこれだけのクラスがあると、ものすごく煩雑でたくさんの種目になり、観ている方にも分かりにくい。
当然、種目数にも限度がある。よって、競技団体はどの「クラス」を採用するのかを決めなければいけならない。選手がパラに向けて研鑽を積んできても、自分のクラスでの開催がなくなり、出場の機会すらなくなるケースも出てきたりする。しかし、戦う選手の障がいの度合いを合わせないと、競技スポーツとして成立しなくなってしまう。このあたりをいかにバランスよく調整し、分かりやすく観せられるのかが、今後のポイントとなるのだろう。
メディアの取材の仕方も難しい。どうしても障がいという特性からお涙頂戴もののドキュメントになりがちである。通常のスポーツ報道でさえ、日本では人物にフォーカスした作りが多いので、仕方がないことなのかもしれない。しかし、これはスポーツであり、必要なのはスポーツ報道なのだ。このバランスをどうとっていくのかも、課題であるだろう。
いずれにしても、このリオ大会の後はもう東京である。時間も機会も限られている。一般人ができること、メディアができること、そして社会ができること、それぞれの立場でやるべきことをやるしかない。でも、東京大会でそれができたならば、きっと障がい者にとっても、高齢者にとっても暮らしやすい街に、素敵な国になっていることは間違いない。
東京の、いや日本の成熟度が試されるパラリンピック。実はオリンピックのメダル数以上に大切なことなのではないか。そんなことを思いながら、僕は今日もパラリンピックを観戦中だ。
白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール
スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦していた。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための会社「株式会社アスロニア」を設立、代表取締役を務める。著本に『仕事ができる人はなぜトライアスロンに挑むのか!?』(マガジンハウス)、石田淳氏との共著『挫けない力 逆境に負けないセルフマネジメント術』(清流出版)などがある。