1日、競泳の男子200メートル平泳ぎ決勝が行われ、競泳史上初の3連覇を狙った北島康介(日本コカ・コーラ)は2分8秒35で4位に終わり、100メートルに続き、メダルを逃した。一方、同じく決勝に臨んだ立石諒(NECグリーン)がラストスパートで北島をかわし、2分8秒29で銅メダルを獲得した。また女子200メートルバタフライでは星奈津美(早大)が2分5秒48で銅メダルに輝いた。
<北島、後進へ道拓く>

 3連覇への望みを託し、北島はイチかバチかのレースを仕掛けた。前半から世界記録を上回るペースで飛ばしに飛ばしたのだ。

 準決勝は2分9秒03で全体の5位通過。だが、トップ通過したマイケル・ジェーミソン(英国)らは2分8秒台前半をマークしていた。決勝では世界記録(2分7秒31)前後のハイレベルなレースになることは確実だった。

 勝つには世界記録を出すしかない――北島がそう考えたのは想像に難くない。スタートから飛び出し、50メートルでは世界記録を0秒27、100メートルでは0秒11上回って突っ込んだ。持ち味であるゆったりとした泳ぎで先頭を引っ張り、金メダルへの期待が膨らみかけた。

 だが、世界のライバルたちは先行する北島にピッタリとついていく。そして125メートル付近でついにジュルタ・ダニエル(ハンガリー)がとらえ、一気にかわした。こうなると北島に巻き返す余力は残っていなかった。150メートルのラストターン後にはジェーミソンにも抜かれ、3番手に後退。連覇の夢はほぼ絶たれた。

 だが、北島の泳ぎは後進に確かな道を切り拓いた。隣のレーンで泳いだ立石が偉大な先輩に引っ張られるように上位争いへ食い込む。
「隣に康介さんがいたから、落ち着いてレースができた」
 ラスト25メートルで北島をかわし、3位へ浮上。そのままフィニッシュし、銅メダルを獲得した。

 ゴール後、北島は電光掲示板で自分の順位を確認すると、自ら立石に近づいて祝福の言葉を送った。北島から立石へ――五輪のプールで第一人者のバトンを引き継ぐ儀式のようでもあった。

「悔しいですけど、諒がメダルを獲ってくれたので悔いはない」
 レース後の北島は笑顔も見せつつ、スッキリした顔をしていた。そして、キッパリと言い切った。
「3連覇というより、自分に対しての挑戦だった」
 
 アテネ、北京と2大会連続で2冠を達成し、スイマーとしては最上級の結果を手にした。それでも泳ぎ続けたのは、紛れもなく自分に対するチャレンジだった。二人三脚で歩んできた平井伯昌コーチの下を離れ、拠点も米国に移した。30歳を目前に控えた衰えをハードなトレーニングでカバーした。

 それは日本競泳史上初の五輪4大会連続出場、この4月の日本選手権での日本記録更新(100メートル)という結果になって現われた。メダルは獲れなかったが、出場したすべての五輪で入賞した事実は、移り変わりが激しい競泳界では驚異的と言えるだろう。20代後半になっても記録を伸ばせることを証明した点は、後に続く者たちの大きな励みとなるはずだ。

 10年以上に渡り、北島は日本の競泳界を牽引する大きな存在だった。今回、そのスーパースターを抜いて、新たなメダリストが生まれた。3連覇への挑戦失敗は確かに残念だが、日本競泳界にとっても、北島本人にとっても、これは決して不幸な結末ではないはずだ。

<星、驚異の追い上げで銅>

 100メートルの折り返しは6位、150メートルのラストターンは5位だった。他の選手のペースが鈍る後半、星はグイグイ進み、前を行く2人をかわしてメダルをつかみとった。

 目立たないながらもメダル候補のひとりだった。4月の選考会、日本記録を1秒22も更新して2分4秒69で制した。これは昨年の世界水泳の優勝タイムを上回る成績だった。
「口にはしていなかったですけど、金メダルを目指して本気でトレーニングをしていました。少し悔しいです」
 レース後はそう言って、涙を目に浮かべた。

 100メートルは予選敗退。照準を定めていた200メートルでも予選は2分08秒04と平凡だった。泳ぎを見直した準決勝ではタイムを約2秒も短縮し、決勝のレースにつなげた。初の五輪で銅メダルは立派な成績だ。「目標にしていた五輪のメダリストになれた。自分なりの泳ぎができた」と最後は喜びも口にした。

 これで競泳陣の獲得メダルは7個。すべて銅ながら目標としていた8個は目前だ。平泳ぎの立石しかり、星しかり、個人メドレーの萩野公介(御幸ヶ原SS)しかり、若い世代が台頭する五輪となっている。