4日、競泳は最終日を迎え、全種目の締めくくりとして400メートルメドレーリレーが行われた。男女とも決勝に進んだ日本は男子(入江陵介、北島康介、松田丈志、藤井拓郎)が3分31秒26で銀メダル、女子(寺川綾、鈴木聡美、加藤ゆか、上田春佳)が3分55秒73の日本新記録で銅メダルを獲得した。女子は3大会ぶり、男子は3大会連続のメダル獲得だが、銀は初めて。今大会、日本勢は競泳で戦後最多となる11個(銀3、銅8)のメダルを量産し、好成績を収めた。
<北島、集大成の力泳>

 五輪では最後になるかもしれないレースでみせた集大成の泳ぎだった。
 北島は、残る力のすべてを振り絞った。長年、日本の競泳界を牽引してきた第一人者の思いに後輩たちが見事に応え、最高の結果が生まれた。

 予選は全体の3位通過。同種目で7連覇中の米国は別格で、日本はオーストラリア、英国とのメダル争いが予想された。ところがフタを開けると、日本は米国と堂々のトップ争いを演じる。

 まず入江が持ち味の後半での強さを発揮し、米国に次いで2位で北島へ。北島は勢いよく飛び込むと、長年のライバルだった米国のブレンダン・ハンセンに並び、レースを引っ張る。さらにターン後はハンセンから頭ひとつリードを奪い、1位で松田に引き継いだ。リレーで記録には残らないが、100メートルの速報タイムは自己ベストを上回る58秒64。泳ぎに全盛期を彷彿とさせる伸びがあった。

「自分の役割をしっかりこなしてタケシ(松田)につなぎたかった」と語る北島へ、松田は強い決意を持ってレースに臨んでいた。
「康介さんを手ぶらで日本に帰らせるわけにいかない」
 対する米国の第3泳者はマイケル・フェルプスだ。松田はスタートから飛ばして、フェルプスに先行し、一時は半身ほどリードする。後半の50メートルはフェルプスも追い上げ、0秒26差でかわされたものの、後続を引き離して2位でアンカーの藤井につないだ。

 その藤井に北島は「いい流れだから、落ち着いていけ」と声をかける。気持ちだけが先走ると動きが悪くなり、失速する。長年、世界のトップで泳いできた男の的確なアドバイスだった。藤井は1位の米国が一気に差を広げるなか、自分を見失うことなく2位をキープ。今大会100メートル自由型銀のジェームズ・マグヌッセン(オーストラリア)から強烈な追い上げを受けながらも、そのままフィニッシュした。

 北島にとっては、このロンドンは苦しくもあり、悔しい場所だったに違いない。3大会連続2冠の可能性が高いと見られながら、優勝どころかメダルにも届かず。世界の急速なレベルアップに加え、自ら泳ぎを崩して勝負できなかった。

 そんな中、ようやくつかんだ今大会初のメダルに北島は「みんなのおかげ」と後輩たちを称えた。実は4度目の五輪で初の銀メダル。アテネ、北京で獲った4つの金メダルとは、また違った輝きがあるはずだ。五輪で数々の栄光を手にしたスイマーは、最後も強いインパクトを残し、ロンドンのプールを後にした。

<女子、団結力で銅>

 4位のロシアとはわずかの差だった。
 寺川、鈴木と今大会のメダリストが2名入り、史上最強メンバーとも言える日本が激しい争いを制して、メダルをもぎとった。

 勝因は団結力と言っていいだろう。寺川、鈴木の泳ぎに注目が集まるなか、メダル獲得に貢献したのはバタフライの加藤、自由形の上田の頑張りだった。

 100メートル背泳ぎ銅の寺川が第1泳者で2位、100メートル平泳ぎ銅、200メートル平泳ぎ銀の鈴木が第2泳者で3位。いい流れで加藤に引き継いだとはいえ、先行する米国に続き、オーストラリア、ロシアとはほぼ横一線だった。この2人がどこまで粘れるかにメダルの行方はかかっていた。

 そのなかで、まず加藤が素晴らしい泳ぎをみせる。「絶対に諦めずに泳ぎたい」と語った加藤はスタートから飛び出し、2位に浮上。後半の50メートルでオーストラリアにかわされたものの、3位を保ってレースはアンカー勝負にもつれ込んだ。

 そして上田が、外国との差が最も出る自由形で対等の泳ぎをみせる。最初の50メートルでは後続のロシアに抜かれ、わずかの差ながら4位に落ちるが、「絶対にメダルを持って帰りたい」との思いでラスト50メートルに余力を振り絞る。ロシアを再び抜き返し、後ろから追ってきた中国から逃げる。

「ドキドキしました」と本人は振り返るように、ギリギリの勝負ではあったが、最後はロシア、中国を振り切り、3位を死守した。ゴール板にタッチし、順位が出た瞬間、4選手は抱き合って感極まった表情。スタンドの応援席からは歓声があがった。平井伯昌ヘッドコーチと円陣を組んで喜びを分かち合う場面も見られるなど、まさに競泳チーム全体で獲ったメダルであることを象徴するような光景が広がった。

 今大会、女子では個人で平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライと計4個(銀1、銅3)のメダルを手にした。特定の種目に偏らず、競泳陣として総合的なレベルアップを図ってきたことが12年ぶりの表彰台につながった。