アリーゴ・サッキと言えば、靴のセールスマンからイタリア代表の指揮官にまでのし上がった伝説的な人物である。監督就任にあたり、サッカー経験の乏しさを指摘するメディアに対し、「騎手になるからといって、馬に生まれる必要はない」とやり返したのは有名な逸話である。実際、彼が編み出したゾーンプレスという戦術は全世界的な流行となり、クライフのバルセロナにも、大きな影響と衝撃を与えている。

 

 いまはリバプールで指揮をとるユルゲン・クロップも、現役時代はさえないマイナー・リーガーでしかない。それでも、監督としてマインツで結果を残せばドルトムントへ、ドルトムントで結果を残せばプレミアへと、才能のある選手同様、所属チームをステップアップさせていった。

 

 なぜか、同じことが日本では起こらない。選手の場合、J2からJ1、スモールクラブからビッグクラブ、ビッグクラブから海外という流れが生まれつつあるが、なぜか、監督の世界には波及してこない。

 

 最たる例が、ベルマーレのチョウ・キジェ監督だろう。多くの専門家がその独自性を絶賛し、降格が決まってもなお称賛の声が聞こえる監督だが、なぜか、ビッグクラブは獲得に動こうとしない。これが欧州であれば、前回2部に落ちた時にすぐ引き抜きの声がかかっていたはずだが、チョウ・キジェ監督によると、そうした接触は皆無だったという。

 

 考えてみれば、発足して四半世紀近くになるJリーグは、数々のスター選手を生み出してはきたが、ただの一人としてスター監督を輩出できていない。あまりサッカーに関心のない方に、日本でもっとも有名な日本人のサッカー監督はと質問すれば、いまなお「岡田さん」と答える人が多数派だろう。いうまでもなく、彼の知名度はJリーグによって育まれたものではない。

 

 素材がいないわけではもちろんない。チョウ・キジェ監督はもちろん、川崎Fの風間監督や広島の森保監督などは、ビッグクラブによる争奪戦や、代表監督待望論が湧き起こっていてもおかしくないぐらい、魅力的なサッカーを展開している。

 

 そこが正当な評価を受けない限り、日本サッカーのさらなる発展は難しい。

 

 ただ、先週、嬉しいニュースが飛び込んできた。滝川二で多くのJリーガー、日本代表選手を育て上げた黒田和生さんが、台湾A代表の監督就任要請を受けたというのである。

 

 10年近く前からプロリーグ発足を目指しつつ、しかしまだ形にできていない台湾代表のサッカーは、黒田さんに言わせると「JFLぐらいのレベルちゃうかな」とのことである。だが、だからこそできることもあるだろうし、何より、学校の先生からA代表の監督へというストーリーは、日本中の多くの指導者に大きな夢を与えることにもなるだろう。

 

 選手には夢がある。だが、監督たちにはなかった。このニュースが、そんな日本と決別するきっかけになればと思う。

 

<この原稿は16年10月27日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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