160424topics 車椅子バスケットボール元日本代表の根木慎志は、2000年シドニーパラリンピックに出場し、主将としてチームを牽引した。現役時代から根木は普及活動に携わるなど、25年も前からパラスポーツの普及や理解促進に取り組んできた。そんな折、昨年5月に2020年東京パラリンピック大会の成功とパラスポーツの振興を目的とした「日本財団パラリンピックサポートセンター」(略称パラサポ)が設立。パラサポの推進戦略部「あすチャレ!」プロジェクトディレクターに就いた根木に、パラスポーツ界の現状と今後について訊いた。


伊藤: 今回のゲストは車椅子バスケットボール元日本代表でシドニーパラリンピックに出場された根木慎志さんです。昨年5月に設立されたばかりのパラサポで、推進戦略部「あすチャレ!」プロジェクトディレクターに就任したということで、今回は昨年11月にオープンしたばかりのパラサポのオフィスでインタビューを行っています。

根木: 宜しくお願いいたします。現在、パラサポ内は26の競技団体の共同オフィスとなっています。パラサポの特徴は非常にオープンであること。各団体の事務局に仕切りはなく、それぞれを分け隔てる扉はなく、とても開かれたスペースになっています。

 

二宮: 確かに開放的なイメージがありますね。他にはどういった特徴が?
根木: フロアは硬い木の素材でできていて、車椅子が漕ぎやすいつくりになっていますね。机やコピー機などの事務機器も、車椅子に合わせた高さに設定されているんです。                            

二宮: なるほど。ユニバーサルデザインとなっているわけですね。パラサポでは各競技団体に対してどのようなサポートを行っているのでしょうか。

根木: 選手強化の部分は日本パラリンピック委員会(JPC)がしていますので、それ以外の部分、例えば会計面など事務的なところでの支援をいろいろなかたちで行っていくつもりです。

 

 次なるステージへ

 

二宮: これまでは独立した事務所を構える団体は少なかったと聞きました。

根木: はい。これまでは、パラスポーツ団体の事務局は、会長の自宅ということも少なくはありませんでした。専任のスタッフを置くことも難しい状態でした。

 

伊藤: 今までは人件費として使える助成金があっても、スタッフに働いてもらう場所がなかった。まず何よりその場所ができたということが大きいですよね。

根木: パラサポという拠点ができたことで、各団体が集まって勉強会をやることもできます。他にはパラサポ内に会議室があるので、スポンサーを招いたりしていろいろな打ち合わせも可能です。そういった会議を一つするにも、今までは外で会議室を取る手間と経費がかかりました。パラリンピアンズ協会の理事会を開かせていただいたこともあります。ここは本当に使いやすいし、話もしやすい場所なんです。

 

二宮: 情報交換ができることはとてもいいですよね。今まで別々の場所で活動していた各団体が、このパラサポで一同に会することによって、それぞれの動きを目にすることができますね。

伊藤: 今はものすごく大きなステップを踏み出したわけですね。これまでは他の団体が何をやっているかは見えていなかった。こうやって一同に集まり、可視化できることで、"私たちもこんなことをしてみよう"と考える団体も出てくるかもしれませんね。

根木: 他の団体が地道にやっていた広報活動がわかったりもしますから「このパンフレットどこで作っているの?」「紹介してよ」といった会話にもなるわけですよね。実際、各競技団体がお互いの資料を見合いっこしていますよ。これからは競争にもなると思います。

 

二宮: やっと各団体が同じラインに立ったと。

根木: そうだと思います。これまでは競技団体によっては、メディアから取材を受けたり大会を見に来てもらえるチャンスすらなかった。それぞれの団体に「社会に伝えたい」という思いはあったとしても、手段がなかったと言った方が正しいのだと思います。

 

二宮: 意識の高い低いではないと。

根木: ええ。ただ、これからチャンスはみんなに生まれてくるものだと思うんです。さらにパラリンピック正式競技以外にも、パラスポーツが少しずつ世間から注目されてきている。厳しい言い方をすれば、これからは各競技団体がどうあるべきかが問われることになるんです。今は情報を共有しようと、パラサポで勉強会を開いています。パラスポーツの競技団体は次のステージに向かっていると言っていいと思うんです。

 

(第2回につづく)

 

1604ch根木慎志(ねぎ・しんじ)プロフィール>
1964年9月28日、岡山県生まれ。高3の冬、交通事故で脊髄を損傷し車椅子生活となる。知人からの誘いで車椅子バスケットボールを始め、98年の世界選手権で初の代表入り。2000年のシドニーパラリンピックに出場し、主将としてチームを牽引した。現在は、アスリートネットワーク副理事長、日本パラリンピック委員会運営委員、日本パラリンピアンズ協会副会長、Adapted Sports.com 代表を務め、小・中・高等学校などに向けて講演活動を行うなど幅広く活躍している。昨年5月に設立された日本財団パラリンピックサポートセンターでは、推進戦略部「あすチャレ!」プロジェクトリーダーを務める。


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