日本が史上最多のメダル(38個)を獲得したロンドン五輪から早くも2カ月近くが経つ。重量挙げ女子48キロ級の三宅宏実は競技初日に銀メダルを手にし、チームジャパンに勢いをつけた。自己記録を超える重量を次々と挙げ、記録は日本新の197キロ。アテネ、北京と2大会連続で出場しながら越えられなかった上位の壁を今回、彼女はどのように打ち破ったのか。二宮清純がメダル獲得の裏側を訊いた。
(写真:初のメダルの感触は「こんなに重いのかと思うほどビックリした」)
二宮: 銀メダル、本当におめでとうございます。競技をテレビで観ていて非常に落ち着きを感じました。自己記録を超える重量に挑んでいるにもかかわらず、堂々としていて不安が全く見受けられなかったんです。
三宅: 本番まで悔いなく練習できたことが一番大きかったと思います。それが自信になりました。アテネと北京では、表情にすごく悲壮感が漂っていましたね。今回は練習でやるべきことができたので、それが表情に出たのでしょう。それに日本を出発する時からたくさんの方々に応援してもらったので、皆さんに守られているような安心感もあったんです。

二宮: 少し笑みまで浮かべていましたからね。
三宅: あの舞台に立っていること自体がうれしかったんです。4年に1度の大舞台に怪我もなく立てて、なおかつトップクラスの中国人選手の選手に、ほんの少しでも迫れた。これまでは競ることすらできなかった相手だったので、すごく喜びを感じながら試合ができました。

二宮: 今回、ロンドンでの記録は、スナッチ87キロ(日本新)、クリーン&ジャーク110キロ(日本タイ)、合計197キロ(日本新)。練習でもこの重さは挙げていたのでしょうか?
三宅: 練習では最高でスナッチが90キロ、ジャークが115キロ、合計205キロを挙げていました。実は、試合当日にピークを持っていくつもりだったんですが、今になって振り返ってみると、約2週間前の公開練習日にピークが来ていたように思います。

二宮: 205キロは今回、金メダルを獲った中国人選手の記録です。205キロを挙げたことで、メダルへの手応えはつかめたのではないでしょうか。
三宅: その重量を本番で挙げればメダルは確実です。でも絶対に獲れる保証はどこにもない。だからメダルを意識しないで、とにかく1本1本に集中して成功させることだけを考えていました。そうすればきっと結果はついてくると……。

二宮: 銀メダルを獲得した瞬間の気持ちは?
三宅: 応援して下さった多くの方々から「おめでとう!」って声をかけていただき、本当にうれしかったです。この4年間、メダルを獲ることだけを目標にしてやってきましたから。でも、いざメダルとなった時には「本当に獲ったのかな?」と正直、実感が湧かなかったですね。夢が叶う時ってアッという間に叶ってしまうもので、「私の次の夢は何だろう」とちょっと考えてしまった部分もありました。
(写真:「私からウエイトリフティングを取ったら何も残らない」と今後も競技を続ける意向だ)

二宮: 今回が3度目の五輪。「今度こそ結果を」といった気負いはなかったのでしょうか。
三宅: むしろ人間って後がない状況になると力が出るのかもしれませんね。1本1本、もう、これで最後だという気持ちでやりました。1本目は、応援してくれている日本中の人たちのために絶対挙げようと思いましたね。2本目は目の前にいた母の顔を見ながら、母のために挙げました。栄養管理を含め、たくさん苦労をかけてしまったので、これは絶対に落とせなかった。そして、三本目は今まで競技を始めて12年間支えてきてもらった父のために絶対に落とせないと思って臨みました。

二宮: さまざまな人への感謝の思いを重圧ではなく、力に変えたわけですね。
三宅: はい。いろんな思いを自分の中に重ねながらの挑戦だったので、終わった後はドッと疲れが出ました(笑)。12年間の競技生活の中でもあんなに疲れたのは初めてでしたね。心も疲れて、体も節々が痛い。すべて使い果たした感じです。それほど五輪にすべてをかけて集中していたんだなと思いました。

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