そうか、大谷翔平(北海道日本ハム)はWBCには出ないのか――。愕然とした人も多いだろう。もちろん私もその1人である。

 

“辞退”会見をする栗山英樹監督の表情を見ていて、何というか、覚悟のほどを感じた。

 迷っただろうし、悩みもしたに違いない。憔悴した顔からは、疲労の色は隠せないし、「翔平の気持ちとか、日本の野球のためを考えると、心が死にそうになる…」(スポーツニッポン2月2日付)というコメントも、きっと心の底から自然と口をついた言葉だろう。

 

 だが、じつは映像を見ながら、ある種の感動を覚えたのである。

 WBC初戦、3月7日のキューバ戦の先発が内定し、日本中の期待を背負うエースを辞退させるのだから、その決断にはものすごいものがある(そんなに右足首が悪かったのなら、もっと早く言うべきではないか、という反論もあると思うが、いや、この場合、何とか出られないかと、結論を後ろ倒しするのが人情というものだ)。

 

 おしなべて監督には、戦略・戦術とともに、決断力も不可欠だが、栗山監督にその素質は十分に備わっているのだろう。これで昨年の日本シリーズ第6戦の先発が、なぜ中6日の大谷ではなく、中5日の増井浩俊だったのかも説明がつく。痛めたシーンは第4戦だったから。

 

 当時、栗山監督は「戦略上の理由」としか説明しなかったので、もしかしてこの人、密かに第7戦で「大谷vs.黒田博樹」という日本中が喜ぶ展開を期待したのかな、と勘繰ったほどだ(ま、普通、そんなわけはありませんが)。

 

 ただ、あの時も、痛めてはいただろうけど、無理をすれば第6戦に先発できたのではないかと推測する。選手は、日本シリーズという一種の興奮状態におかれているのだから、少々の無理はきくはずだ。もちろん、それはけっして美談などではなく、後の選手生命にかかわるリスクを孕む危うい選択でもある。

 

 それを回避する決断力こそが、栗山監督に日本シリーズを勝たせたのかもしれない。

 

 前途多難な行き違い

 

 ところが、世の中は何事もスッキリいかないものである。

 日本代表(侍ジャパン)の小久保裕紀監督は、この決断を、2月1日(日本時間)に会見が開かれるまで「詳細はまったく把握していなかった」というのだ。

<侍ジャパンを運営するNPBエンタープライズの今村司社長は「(正式な辞退の報告は)ないです。どういう形(場面)で日本ハムが話したのかも分かっていない。(略)正式なものは代表から発表されるのが筋」とした>(スポーツニッポン2月2日付)

 

 おやおや。これはどう見ても、日本代表を運営する側と、選手を送り出す球団側の、連絡不行き届きですね。ところが、翌日には、NPBは井原敦事務局長が<「(球団発表は)大谷君を思ってのこと(略)」と一定の理解を示し>、日本ハムの島田利正球団代表は<「非があるとしたら自分にある」と謝罪の言葉も語った>(「スポーツニッポン」2月3日付)のだそうだ。

 

 お互い少しずつ謝って、早々に騒ぎを沈静化しようとしているように見える。「日本的」というのでしょうか。だけど、たまたま大谷というスーパースターに関することだったから事態が大げさになったのであって、もし、こういう齟齬が常に起きうるのだとしたら、前途多難だなあ。内情は知りませんけど。

 

 ところで、代表監督とは何なのだろう。

 第1回WBCは、王貞治監督である。このときは、誰かが代表監督を選ぶというよりは、最初から、もう他にあり得ない感じでしたね。

 

「スタートしてみないことには、なにも生み出せない」だっただろうか。記憶で書いているので厳密には違うが、ようするに、海のものとも山のものともしれないWBCという大会に参加するにあたっては、懐疑的な意見もあった。それに対して、これから始めようとすることなのだから不備はあるだろう、しかし、参加してわれわれが大会を育てなければ、なにも成果は生み出せませんよ、という趣旨のことをおっしゃった。名言でした。

 

 第2回は当時の加藤良三コミッショナーがWBC体制検討会議を招集して、監督の人選に入った。星野仙一さんが有力と思われたが、北京五輪代表監督として敗退していたこともあり、原辰徳監督に決定した。

 

 第3回は、日本プロ野球選手会が、一度は不参加を決定するなど紆余曲折があり、一時は落合博満監督誕生の期待も高まったが、山本浩二監督が就任した。

 

 そして今回は、「侍ジャパンに関する事業拡大を図り、世界一を目指す」目的で、2014年、株式会社NPBエンタープライズが設立され、小久保裕紀監督が発表された。ちなみに、NPBエンタープライズは、日本野球機構(NPB)とプロ野球12球団の共同出資で設立されている(にわか勉強ですけど)。

 

 “すっきり”よりも“どろどろ”の選考過程を

 

 ただ、歴史を紐解いてわかるのは、代表監督選任を巡る難しさである。

 

 第2回の例がわかりやすい。

 監督の選任権は、一見、検討会議のメンバー(このときは、加藤コミッショナーのほか、王貞治、星野仙一、野村克也、高田繁、野村謙二郎の5氏)が握っているというふうに見える。だけど、ではその5人のメンバーは誰が決めたのか。コミッショナーを中心にして会議のメンバーを選ぶことに決めたのは、プロ野球実行委員会だった。プロ野球実行委員会とは、12球団のオーナーまたは球団社長1名ずつで構成される委員会である。

 

 ではオーナーたちの希望と5人の意志が一致するかといえば、そんな保証はあるまい。しかも、検討会議も世論の動向を気にする。では、世論すなわち野球ファンの希望通りになるのかといえば、世論も多様であって決して一律ではないし、もともと、だからこそ検討会議に決定を委ねた、ともいえる。

 

 要するに、選ぶ権限を持つ最終決定者が、循環しているのだ。この、最高権力が循環するという構造は、やはり、国家の代表を付与する過程だからこそ起きる。いわば、主権は国民にあるということと、選挙と、総理大臣の関係のようなものだ(たとえば、会社の社長を決めるときには、こういう循環は起きないでしょ)。そこに、「国の代表」の本質がある。

 

 第2回に戻れば、検討会議の動向とは別に、各球団には、球団の現役監督は避けたい、という意向も働いた。さまざまに揺れ動いたあげく、巨人の現役監督であった原監督に決まったのである。結果はご承知の通り、優勝したのだから、大正解だったことになる。しかし、ある種の迷走を繰り返したことこそが、代表監督選びの本質といっていい。絶対的な決定権者は不在なのだから。

 

 そう考えてみると、今回の小久保監督は、NPBの側からいかにもすっきりと発表された観がある。これには、日本代表(侍ジャパン)の活動は、株式会社NBPエンタープライズが運営する、ということになったのが大きいだろう(国から会社へと、位相が移っているのである)。

 

 もちろん、小久保監督は全力で取り組んでいる。それは、報道を見るだけでも、十分に伝わってくる。彼には何の問題もないのだが、気になるのは、あの循環の、根拠のない混迷のようなどろどろをくぐり抜けていないことだ。

 

 妙な比較になるが、投手・大谷のWBC辞退を発表した栗山監督と、寝耳に水でそんな会見をされて困惑する小久保監督をくらべてみる。小久保監督にしてみれば、おれはこんなに一所懸命やっているのに、なんだよ、と思ったことだろう、もちろん邪推ですが。でも、「突然、一方的に会見が開かれて、今聞いたばかりなので」(「スポーツニッポン」2月2日付)という言葉から容易にうかがい知れる感情というものはある。

 

 ただし、彼はあくまでも前を向くしかない。大谷が辞退しようが、WBCに勝たねばならないことに変わりはない。そのようにミッションを単純化して立ち向かえる。その点、“辞退”会見をした栗山監督には、まったく救いのない暗さがある。結局、大谷はWBCメンバーから外れることが決まった。

 

 ふと思う。栗山監督の経験のほうが、あの循環のどろどろに近いのではないだろうか。おそらく、彼に決断の果断さを植え付けたのは、日本シリーズの経験である。その意味では、日本代表監督には、日本シリーズ経験者のほうがいいのかもしれない。

 

 もちろん、WBCでは小久保監督と28人の日本代表を熱烈に応援する。次回のWBCがどうなるかは不透明だと言われるが、しかし、2020年には否応なしに東京五輪が開催される。時に、大谷翔平26歳。「3番ピッチャー大谷」で金メダルを取るのは、3年後の夢としよう。ただ、そのときの代表監督は、どろどろの選考過程のあげくに決めてほしい。

 

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール

1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。


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