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(写真:「危機的状況」を打破するために改革に踏み切った日本陸連)

 日本陸上競技連盟は18日、都内ホテルで会見を行い、2020年東京五輪におけるマラソン日本代表選考の方針を発表した。これまでの複数の競技会から3枠を選出する方法を変更。2019年9月以降に、選考レースとなる「マラソングランドチャンピオンレース」(仮称、MGCレース)の実施を決めた。MGCレースの優勝者は東京五輪代表に内定。2位、3位でも条件次第で代表入りできる。同レースへの出場条件は17~18年度の該当レース(MGCシリーズ)で、タイム及び順位などの条件を満たした場合に得られる。

 

 お家芸復活へ、改革を断行する時がやってきた。

「2008年からの3大会はかなりの不振。危機的状況ととらえました」

 そう日本陸連の尾縣貢専務理事が語ったように、北京五輪からの3大会は男子の中本健太郎(安川電機)が6位に入賞(2012年ロンドン大会)したのみで、女子にいたっては入賞者すら現れていないのが実状だ。瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーも「マラソンでメダルを獲りたい、獲らせたい。そのためには3年かけて強化しないと間に合わない」と危機感を口にする。

 

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(写真:記者会見で質疑に答える瀬古プロジェクトリーダー<左>)

 尾縣専務理事は「これまでの選考は強化にならなかった。選考は強化の重要なツールだと認識しています。それで大きな改革に至った」と述べた。河野匡長距離・マラソンディレクターがスクリーンを使って、紹介した日本陸連の分析によると<オリンピックイヤーは記録の向上及び一定レベルの結果を残しているが、それ以外の年は限られたメンバーしかマラソンに取り組んでいない状況であった>という。<「選考レースのための強化」となり、「オリンピックで戦う強化」にはなっていない>。だからこその選考方法にメスを入れたのだ。

 

 従来は前年の世界選手権を含む複数のレースの結果を踏まえ、日本代表を決めていた。しかし代表枠を上回る選考レースの数があるため、決まった代表選考について揉めることも少なくなかった。以前から一発選考を求める声もあったが、興行的な“大人の事情”も絡み、それは実現しなかった。新たな選考会となるMGCレースは開催日が19年秋以降と確定していないが、優勝者は五輪代表第1号に内定する。日本陸連が設定した派遣設定記録(男子=2時間5分30秒、女子=2時間21分)をクリアしていれば、2位または3位でも代表入りは可能。この時点で2つの椅子が埋まる。完全なる一発選考ではないものの、それに近いレースが誕生したと見ることもできるだろう。

 

 今後はこれまで選考会の位置付けだった国内の男子5レース(福岡国際マラソン、東京マラソン、びわ湖毎日マラソン、別府大分毎日マラソン、北海道マラソン)、女子4レース(さいたま国際マラソン、大阪国際女子マラソン、名古屋ウィメンズマラソン、北海道マラソン)はMGCシリーズとし、MGCレースへの“予選”というかたちをとる。五輪イヤーとなる19年度のレース(男子は福岡国際マラソン、東京マラソン、びわ湖毎日マラソン。女子はさいたま国際マラソン、大阪国際女子マラソン、名古屋ウィメンズマラソン)がMGCファイナルチャレンジとして、実質の“最終予選”となる。

 

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(写真:新方式により「選手たちがやる気になってくれれば」とモチベーションアップに期待する瀬古プロジェクトリーダー)

 五輪への対象レースが増えたことにより、複雑化した感もある。だが、新方式は従来よりも、そして一発勝負よりもマラソンに“強い”選手を見つけることができるのではないか。1回の選考レースで好成績を残した選手が選ばれるのではなく、最低でも2回の実績が必要となるからだ。日本陸連の強化委員会としても<複数レースにおける「実績」を有し、かつ「大舞台」で100%実力を発揮できる選手>を求めている。河野ディレクターは選手たちに「本番で力を発揮するという意味で、緊張感の中でどれだけのレースができるかが絶対求められる。ペースが早いときに行くべきか、行かぬべきかの判断力。オリンピックで起こりうるレースをどれだけ想定して準備できるか」を期待する。

 

 自国開催の東京五輪で、お家芸復活へ――。日本陸連はメダル奪取を目標に掲げる。瀬古プロジェクトリーダーは言う。

「東京五輪で結果が出なかったら、このままマラソンの大会をやっていただけるのか危機感があります。先も考えて今から強化をしていかないと2020年以降もないと思っています。それくらい陸上界をあげて危機感を持ってやっていかないといけない」

 日本陸連が鳴らした警鐘は、これから始まるであろうマラソン日本代表サバイバルレースのゴングでもある。

 

(文・写真/杉浦泰介)