君は清宮を見たか

facebook icon twitter icon

 その瞬間は、十分に書きとめておくに値するものだった。7月28日、全国高校野球選手権西東京大会準決勝。早実-八王子学園八王子の一戦である。

 

 早実2-1とリードで迎えた7回表、先頭打者として打席に入ったのは清宮幸太郎だ。

 

 八王子の米原大地投手も、覚悟をきめて勝負に出た(ちなみに彼は腰痛から復帰して間もないそうだが、将来性のある投手に見える)。

 

 初球は、外角へ落ちるボール。シンカーか。見逃してボール。

 

 2球目。インローにくい込む、ボールになるストレート。ややサイド気味に懐を攻めて、清宮は腰を引いてよける。

 

 さあ、舞台は整った。

 3球目。米原投手は計算通り、外角低めにシンカーを沈める。コースも良く、なかなかの切れ味だ。

 

 これをとらえた清宮の打球は左中間へライナーとなって飛んでいく。そして、そのままフェンスを越えて中段につきささった。

 

 高校通算最多タイとされる107号本塁打の瞬間である。

 

 打たれた後、米原は白い歯を見せて笑っていた。いや、笑うしかない、破格の当たりだった。

 

 この夏の清宮は、春までとは少し違って見えた。子どもの野球の中に1人だけ大人が交じっているような、他を圧する存在感を身につけていたのである。

 

 ここまでの感じというのは誰以来だろう、と考えてみる。

 高校野球の打者としては、清原和博か松井秀喜か。近年では、筒香嘉智か。

 

 ただ、この3人とは印象が少し異なる。彼らはみんな力強いスイングをしたが、清宮には、上体に幅があるにもかかわらず、柔らかさがある。

 

 江川卓という怪物

 

 打者と投手の違いはあるが、つい思い出すのは江川卓だ。

 

 子どもの中に1人だけ大人が入ったような存在感、体に幅があって、ややずんぐりに見える体型。

 

 江川には、いくつもの伝説がある。よく論争になるのは、いつの江川が一番速かったか、という問いである。高校3年のセンバツ初戦となった北陽戦かな、なんていうのは、この論争では素人だ。人それぞれに説はあるが、有力なのは、2年の秋季関東地区大会だという説である。ピンポイントで、決勝の横浜戦だといえば、あなたはこの論争の中級者です。

 

 個人的に好きなのは、知人が当時の作新学院職員から聞いた、という話。

 江川がブルペンで投球練習を始めると、毎日、みんなでそれを見物に行ったというのだ。

 

 あ、ワンバウンドかな、と思ったらそこからグーンと伸びて、キャッチャーは立ち上がって捕球する。それを見届けた観衆は「ほーお」と1球ごとに歓声を上げた。

 

 これ、昔の記憶を辿っているのだから、当然誇張があると思っていた。ところが……。「日刊スポーツ」に「『野球の国から』高校野球編」という連載がある。この「シリーズⅠ」が江川卓だったのだが、その第4回に、なんとブルペンで投げる江川の写真が掲載されていた。たしかに、ブルペンの背後は黒山の人だかり。老いも若きも女性も男性も群がって見物しているのだ。同じ連載では、地方球場の試合で、バックスクリーンまで観客が鈴なりに入りこんでいる写真も掲載された。

 

 これでわかることがある。たしかに江川は「怪物」だった。なぜならば、当時、人は野球を観に行ったのではない。「怪物」を見物しに行っていたのだ。

 

 それこそ太田幸司から荒木大輔、あるいは桑田・清原、松坂大輔と、高校野球はアイドル並みのスターを輩出してきた。彼ら人気選手が浴びたファンの視線と、江川がいわば「見世物」として、「観衆」ならぬ「見物客」から浴びた視線は、少し違うのではあるまいか。スターにではなく、「怪物」に注がれた視線なのだ。これをもって、高校野球史上、「怪物」という呼称は、江川に固有のものなのだといいたい。

 

 3年後への期待

 

 と、ここまで書いて清宮に戻る。

 西東京大会を見ていて、高校野球の打者にはじめて「怪物」が出現したのかもしれないという思いにとらわれている自分がいたのだ。

 

 ことさら、技術的な話をするつもりはない。ただ、1つだけ言えるとしたら、これまでに見た清宮よりも、グリップのトップの位置で、ほんの一瞬、一呼吸の間ができていた。

 

 トップが決まって、ボールに対する間ができた分、春と比べても、どんなボールにも対応できるように進化したのではないか。

 

 もちろん、「常にボールを手元に呼び込めるスイングスピード、上体の柔らかさ、選球眼の良さ…」(「スポーツニッポン」(7月31日付「田淵幸一の目」)」が、その前提になっているのだが。

 

 ここまでくると、気になるのは進路である。最終的には「メジャーでホームラン王」を目標にしているそうだから、生涯日本のプロ野球にとどまることはないのだろう。

 

 この秋は、花巻東の菊池雄星や大谷翔平のときのように、気をもむことになるのだろうか。

 

 打者ではないが、ダルビッシュ有を例にとりたい。

 

 彼が右ヒジじん帯を傷めて、トミー・ジョン手術を受けたのは、いたしかたなかったことである。もはや、他の選択肢はないのだから。その事を承知のうえで、手術前と手術後のどちらが好きか、と問うてみる。

 

 私は、どちらの試合のビデオもよく見直すのだが、正直言えば手術前のほうが好きだ。

 体にまきつくような、しなやかな腕の振りからくり出される剛球に、ほれぼれする。

 

 ツーシームだろうがフォーシームだろうが、どこかでしなやかさも秘めた強さなのだ。

 

 日本プロ野球左腕最速158キロを記録した菊池雄星は、「腕は振るのではなく、体に巻き付いて振られる」(「スポーツニッポン」8月4日付)と言っている。この感覚が近いかも知れない。

 

 あえていえば、日本野球的な感覚である。

 

 手術後のダルビッシュは、まさに剛球である。リハビリ中に肉体改造して厚みを増した体を利して、メジャーでも屈指の力強いボールがいく。これぞ、メジャーリーグを代表する投手というべきだろう。ただし、しなやかさは、影を潜めているように見える。

 

 おそらく、打者のスイングにも同じことが言える。

 清宮には、日本野球のスイングの神髄を身に付けたうえで、メジャーに挑戦してもらいたいのだ。

 

 たとえば、大谷翔平のスイング。力強く、実に大きなアークを描くけれども、でも、しなやかさがあるでしょう。メジャーの伝説的な強打者、たとえば、アルバート・プホルズやミゲール・カブレラを思い出してみるといい。カブレラにはもしかしたら柔軟性もあるかもしれない。しかし、しなやかではない。剛直な強さである。

 

 田淵さんも触れておられるとおり、清宮にはごつい体のわりに柔軟性がある。まずは、日本野球の至極を極め、それからメジャーにわたるという道ではないか。

 早稲田(なんですか? 大学なら)もいいけど、プロに行きなよ。大谷を見ろよ。

 

 3年後のオリンピック。二刀流の完成した大谷翔平と、究極のホームランバッターに成長した清宮幸太郎の、並び立つ打線を見てみたい。

 

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール

1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。

facebook icon twitter icon
Back to TOP TOP