国内最年長の現役ボクサーで47歳の西澤ヨシノリが5日、都内のヨネクラジムで会見を開き、現役引退を表明した。07年に日本ボクシングコミッション(JBC)から引退勧告を受けた西澤は、オーストラリアでライセンスを取得し、活動を続けてきた。11年にはいずれもJBC非公認の世界タイトルマッチ(UBC世界クルーザー級、WPBF同級、WBF英連邦同級王座決定戦)に勝利したものの、その一戦を最後に試合ができない状態になっていた。西澤は「ボクシングでやることはやりきった。後悔はない」とサッパリした表情で語った。8日に現在保持している3つのタイトルをすべて返上する。
(写真:3つの世界のベルトを持ち、王者のまま引退することを明かした西澤)
 長い現役生活のピリオドを打つ場所に選んだのは、入門当初から練習に明け暮れたヨネクラジムだった。長野から上京し、初めてジムにやってきたのが1985年5月19日。奇しくもボクシングの日に入門した男は、「ボクシング人生を始めた場所で引退を発表したかった」と、28年の現役生活を振り返り始めた。

 86年にプロデビューしたものの、ケガが多く、日本王座獲得までは時間がかかった。花開いたのは30歳を過ぎてからだ。97年、31歳で4度目の挑戦にして日本ミドル級王座を獲得。99年にはOPBF東洋太平洋スーパーミドル級王者となった。04年1月にはWBA世界スーパーミドル級王座、同年12月にWBC同級王座に挑戦するも、いずれも失敗。日本ではプロボクサーの年齢制限は37歳だが、西澤の存在により、元王者などに適用される特例が設けられ、06年11月には40歳でOPBF東洋太平洋ライトヘビー級王座に輝いた。しかし、07年1月、OPBF同級王座から陥落。JBCは引退勧告を行い、西澤のボクサーライセンスを停止していた。

「(OPBF王座を失った)あの時は5Rでギックリ腰になったけど、12Rまで戦えた。ベストの状態なら負けない自信があったし、体力データを測定しても20代前半の選手と変わらない。引退は考えなかった」
 現役続行を希望した西澤はオーストラリアに拠点を移すと、07年にはWBFアジア太平洋ライトヘビー級王者に就く。そして11年12月にはマイナー団体ながら、念願の世界ベルトを手中に収めた。

「45歳を超えて、心技体ともにピークにもってこられた。コンディションが一番いい状態で結果を残せて、その時点でやりきった思いはありました」
 体力的には「今も全く問題がない。やれる自信はある」と本人は明かすが、異国の地でリングに上がり続けるのは金銭面では決してラクではなかった。昨秋に予定されていた防衛戦が条件面での折り合いがつかず、中止となり、これ以上の現役続行は厳しいと判断した。

「家族の支えなしには、ここまで続けられなかった」と語る西澤が当初、引退表明を予定していたのは8月2日。その日は妻・英美さんの誕生日だった。前日に亀田和毅がWBO世界バンタム級王者となったことを考慮して日程を変更したものの、それは家族への感謝の気持ちの表れだった。また、8日にベルトを返上するのも、末広がりの八と、元高校球児として夏の甲子園開幕日に合わせたという。

 現在は都内で西澤ボクシングジムを開講し、ジュニアから60代まで幅広い年齢層の会員を指導している。「63歳の方でも進化している。目標に向かって努力すれば、自分を変えられるし、進化できる。その勇気を伝えてきたい」と意気込む47歳の次なる目標は「チャンピオンの育成」だ。現状は日本プロボクシング協会に未加盟だが、いずれはプロボクサーを育て、自らの経験を伝えたいとの思いがある。

 戦績は58戦31勝(18KO)21敗6分。日本王座を皮切りに9本のベルトを腰に巻いた。
「20歳でデビューして45歳まで1年たりとも試合をしなかった年はなかった。これは誇りに思っています」
 戦い続けた者が勝つ――。それをまさに体現したボクサーは、今後は後進育成という新たなリングに立つ。

>>二宮清純「唯我独論」第514回「犠牲伴う、45歳・西澤の挑戦」はこちら(2011年12月掲載)

(石田洋之)