山縣&桐生、歴史を塗り替えるか 〜世界陸上モスクワ大会展望〜

facebook icon twitter icon
 世界陸上競技選手権モスクワ大会が10日から開幕する。一番の目玉は、陸上の花形種目・男子100メートル。焦点は“世界最速は誰か”というだけでなく、この種目、世界選手権初の日本人ファイナリスト、そして日本人初の9秒台は生まれるのか――。その期待を背負うのが、短距離のエース・山縣亮太(慶應義塾大)と“最速の高校生”桐生祥秀(洛南)だ。山縣と桐生は、世界記録保持者でロンドン五輪短距離3冠のウサイン・ボルト(ジャマイカ)をはじめ、アテネ五輪金のジャスティン・ガトリン(米国)ら世界のトップスプリンターたちに挑む。また優勝候補筆頭のボルトがどんなタイムを叩き出すかにも耳目が集まる。そのほか男子ハンマー投げでは、連覇の懸かる室伏広治(ミズノ)、男子やり投げのベルリン大会銅メダリスト・村上幸史(スズキ浜松AC)、男子20キロ競歩の鈴木雄介(富士通)は表彰台も十分に狙える。外国勢では世界選手権8冠のアリソン・フェリックス(米国)には通算最多獲得金メダルにリーチ。今大会で優勝を果たせば、カール・ルイス、マイケル・ジョンソンといった米国が輩出したスーパースターの記録を超え、単独トップになる。世界のトップアスリートたちが凌ぎを削り合う熱戦の宴は、9日間に渡って催される。
 最速を巡る争い

 大会初日から見どころ満載だ。女子マラソン、男子棒高跳び、同ハンマー投げなど、日本勢の活躍が期待される種目が目白押し。中でも男子100メートルの予選に出場する21歳・山縣と、17歳・桐生の若きスプリンターには、今まで以上の期待感がある。

 今年4月に行なわれた織田幹雄記念国際陸上大会。男子100メートルで“9秒台を出すのでは”と期待されていたロンドン五輪代表の山縣は、17歳の高校生に敗れた。さらに、その桐生は予選では10秒01の日本歴代2位の記録を残し、陸上界に衝撃を与えた。たちまち桐生祥秀の名は世界の陸上界にも駆け巡った。

 レース後の会見で「自分が最初に9秒台を出したい」と桐生が言えば、山縣はこう応じた。「彼は出してくれると思います。だけど、譲るわけではない」。この日を境に2人はメディアから盛んにライバルとして扱われてきた。

 そして2人は再び相まみえる。決戦の舞台は、6月の日本選手権。日本一を決める戦いで、見事勝利したのは山縣だった。10秒を切ることはできなかったが、10秒14と世界選手権の派遣標準記録をクリアしての優勝。2位の桐生と共に代表入りを決めた。

「山縣君は金メダル、桐生君にはインターハイ(全国高校総合体育大会)のスターとして、本番(世界選手権)に来てほしい」。そう2人にノルマを課したのは、日本陸上競技連盟の男子短距離部長を務める伊東浩司。15年破られていない日本記録保持者でもある。山縣はロシアで開催されたユニバーシアードの100メートルで、金には届かなかったが銀メダルを手にした。史上3人目のメダルは及第点と言っていいだろう。一方の桐生は大分で行なわれたインターハイで短距離3冠を達成し、差し出された課題にきっちり応えた。

 そんな2人がモスクワで挑むのは、男子100メートルでの決勝進出である。五輪では32年のロス大会の吉岡隆徳以来、70年以上も決勝に進めていない。世界選手権では朝原宣治の準決勝6着が最高で、ファイナリストに名を刻んだ日本人は、皆無だ。前回の大邱大会にはエントリーすらできていないのが現状である。ちなみに大邱大会の決勝進出ラインは10秒16、ロンドン五輪では10秒02だった。山縣と桐生には自己ベスト(山縣=10秒07、桐生=10秒01)に近いタイムが求められる。

 予選突破、準決勝で勝負するためには、いかに大舞台で自分の力を発揮できるかに懸かっている。その点で言えば、山縣に分がある。ロンドン五輪の一発目のレースで、自己ベストを叩き出した。日本人が五輪で出した最速のタイム。準決勝では6着に終わり、決勝には行けなかったが、日本男子短距離界に光を灯した。ただ、本人は「あれを競技人生のピークにするつもりは毛頭ない」と言い切る。むしろ準決勝で思うような走りをできなかったことに悔いを残し、今大会は「リベンジの場」として捉えている。

 今や押しも押されぬ日本短距離界のエース。日本選手権で見せた「自分の走りを貫き通す」という力みのない水平移動ができれば、山縣亮太の名を世界に刻めるはずだ。

 一方の桐生も織田記念のように無欲で臨めれば、世界に再びインパクトを与える力はある。10秒01をマークした織田記念でも、時計を意識してゴールの直前でバランスを崩している。「ここで満足していたら次に進めない。自分の走りを追求していきたい」。向上心の高さ、力感の無いスムーズな走り。桐生は山縣に似た特徴を持っている。

「どちらが先に日本記録を出すのか」と、“10秒の壁”を破ることにばかり話題がいきがちだが、まずはライバルの切磋琢磨で世界の強豪たちを打ち破って欲しい。時計を気にするのは、それからだ。

 金メダル争いに関しては、大本命がボルトであることに誰も異論はないだろう。ライバルと目されていたタイソン・ゲイ(米国)はドーピング問題で欠場、大邱大会の金メダリストのヨハン・ブレーク(ジャマイカ)はケガで出場をとり止めた。まさに死角はなしと言ったところだ。

 前回の大邱大会は決勝でフライングとなり、まさかの失格。優勝を同胞のブレークに譲ったかたちとなった。しかし、ロンドン五輪では100メートル、200メートル、400メートルリレーの3冠を達成。北京五輪に続く2大会連続の3冠を達成している。今シーズンは序盤にもたついたものの、7月のダイヤモンドリーグで9秒85を出しており、徐々にエンジンを上げてきている。もはや誰が勝つのか、ではなくボルトが何秒で勝つのか。そこに焦点が絞られてしまう恐れすらある。

 個人種目では、決勝進出が目標の日本短距離陣だが、最終日の400メートルリレーに関してはメダルも十分にあり得ると言われている。桐生、山縣の1、2走に加えて、ロンドン五輪を経験している高瀬慧(富士通)、飯塚翔太(中央大)がバトンを引き継ぐ予定だ。桐生、山縣、高瀬、飯塚の4人は、シーズンベストのタイムから“歴代最強”との呼び声も高い。

 この種目は北京五輪で銅メダルを獲得しているだけに、周囲の期待は大きい。世界選手権では過去4位が最高。初のメダルを獲るために目指すは日本記録の38秒03の更新だ。男子短距離の土江寛裕コーチは「(ゲイやジャマイカのアサファ・パウエル、ブレークの欠場は)リレーに関して有力な駒を失っていることになります。過去のデータを見れば、日本記録を出せば表彰台も狙える」と分析する。前回の大邱大会では予選敗退に終わってるだけに、最低限入賞をミッションにしたい。

 リオに向けての試金石

 ロンドン五輪後の世界選手権。新生日本は、3年後のリオデジャネイロ五輪に向けて、大きな弾みをつけたいところだ。ロンドンでは銅メダル1個、入賞は2つだけだった。前回の大邱大会は金メダル1、入賞4。日本陸連は今大会、大邱を上回る「メダル1、入賞5」を目標に掲げている。

 男子400メートリレー以外では、個人種目でメダル候補が3人いる。まずは6月の日本選手権では前人未到の19連覇を達成した男子ハンマー投げの室伏だ。ロンドン五輪では銅メダルを獲得し、前回の大邱大会のチャンピオンである。8回目の出場となる世界選手権は、日本人初の連覇が懸かる。

 ただ、室伏も今年で39歳になる。現実問題としては、連覇は難しいと見られている。これまで一度も出場を明言しなかったのは、コンディションが万全ではないとの現れでもあるのだろう。今シーズン、唯一出場した大会が日本選手権。そこでの76メートル42の投てきは、出場者30人中23番目である。決して芳しい記録とは言えないが、そこは百戦錬磨の室伏。出るからには、ピーキングをしっかり持ってくるはずだ。

 室伏は、ここまで2001年のエドモントン大会をはじめに、世界選手権と五輪を合わせて5つのメダルを獲得してきた。そして日本選手権では19年間もトップに君臨し続けている。これは優れた自己管理能力、競技への飽くなき探求心の為せる業と言っていい。古代の剣闘士を思わせる筋骨隆々の肉体から放たれるハンマーは、モスクワの空を高らかに舞っていくだろう――。「どこまでできるかは半年ごと」。室伏が大舞台で投てきする姿を見る機会は、もう多くはない。陸上界の生ける伝説の雄姿に括目せよ。

 男子やり投げの村上も、世界選手権の表彰台に立ったことのある数少ない国内の現役選手だ。4年前のベルリン大会、予選で自己ベストを更新する日本歴代2位(当時)の83メートル10を記録した。決勝では82メートル97をマークし、銅メダルを獲得。室伏に続く投てき種目2人目のメダリストとなった。

 一時は、日本選手権12連覇するなど、国内で独壇場だったが、昨年からディーン元気(早稲田大)というライバルが出てきた。日本選手権では、そのディーンに敗れ、ロンドン五輪でも予選落ちと振るわなかった。今シーズンはそのライバルに全勝し、織田記念では85メートル96のビッグスローを放った。今季世界ランク4位。ロンドン五輪では金メダル、前回の大邱大会でも銀メダルに相当する好記録である。

 村上は日本選手権では2年ぶりに王者に返り咲いたが、80メートル台は1本しか出ず、「評価できない」と内容に不満を漏らした。そしてライバルのディーンは世界選手権の切符すら掴めなかった。“共にモスクワで戦いたい”との思いが強かった村上にとっては、無念だったに違いない。男子やり投げにエントリーできたのは村上ひとり。競技を背負う上でも、次代に希望をつなぐアーチを描きたい。

 そして、3人目のメダル候補は男子競歩20キロの鈴木。本人も3度目の世界選手権に意気揚々と臨む。
「昨年までは120%の力を発揮しなければ、入賞やメダルが届かなかった。でも、今年のタイムや調子で言えば、現状の力を出し切れば、メダル獲得の自信がある」

 前回の大邱大会では8位入賞し健闘したものの、ロンドン五輪では36位に終わった。だが今年に入っての好調ぶりは目を見張るものがある。2月の日本選手権では日本記録を13年ぶりに更新。さらに3月の地元・石川で行なわれた全日本競歩能美大会では、30秒近く自らの日本記録を塗り替えた。日本人初の1時間18分台に到達。今シーズン世界歴代2位であり、今大会出場選手の中ではトップである。ライバルとなるのは世界選手権連覇中の強豪・ロシアと、ロンドン五輪で2つのメダルを獲って勢いに乗る中国。果たして、日本人初の競歩でのメダリスト誕生へ――。鈴木の歩きぶりに注目したい。

 その他にも復活を期する男女のマラソン、初のフルエントリーを果たした男子棒高跳びなど、日本勢の入賞への可能性は十二分にある。目標である「メダル1、入賞5」は極めて現実的な数字。逆に言えば、それを達成できなければ、リオ五輪へ向け暗雲が立ち込める。日本選手団44名の精鋭たちは、モスクワを舞台に未来へ光を射すようなパフォーマンスを発揮できるか。注目の世界選手権は、明日10日に号砲が鳴る。

【主な競技日程】

■初 日
女子マラソン
男子1万メートル決勝

■2日目
男子20キロ競歩
女子走り幅跳び決勝
女子円盤投げ決勝
男子十種競技最終日
女子1万メートル決勝
男子100メートル決勝

■3日目
男子棒高跳び決勝
女子砲丸投げ決勝
男子ハンマー投げ決勝
女子400メートル決勝
男子110メートルハードル決勝
女子200メートル決勝

■4日目
女子20キロ競歩
男子円盤投げ決勝
女子棒高跳び決勝
女子七種競技最終日
男子800メートル決勝
女子3000メートル障害決勝
男子400メートル決勝

■5日目
男子50キロ競歩

■6日目
男子走り高跳び決勝
女子三段跳び決勝
男子3000メートル障害決勝
男女400メートルハードル決勝
女子1500メートル決勝

■7日目
女子ハンマー投げ決勝
男子走り幅跳び決勝
男子砲丸投げ決勝
男子5000メートル決勝
女子200メートル決勝
男子1600メートルリレー決勝

■8日目
男子マラソン
女子走り高跳び決勝
男子やり投げ決勝
女子5000メートル決勝
女子100メートルハードル決勝
女子1600メートルリレー決勝
男子200メートル決勝

■最終目
女子やり投げ決勝
男子三段跳び決勝
男子1500メートル決勝
女子800メートル決勝
男女400メートルリレー決勝

(杉浦泰介)
facebook icon twitter icon
Back to TOP TOP