レジェンドという言葉はもちろん昔からあったけれど、ことさらスポーツの名選手に冠するようになったのは、たしか、スキージャンプの葛西紀明選手がフライング世界選手権で最年長で表彰台に上った頃からだったように記憶する。

 

 松坂大輔の中日入団が決まったとき、若手選手からは「レジェンド」と形容して歓迎する声が聞かれた。

 

 たしかに、レジェンドと言うべき投手に違いない。松坂の伝説といえば、どうしてもプロ入り初登板の日本ハム戦を思い出す。もっと言えば初回、片岡篤史を空振り三振に仕留めたあの155キロのストレートだろうか。うなりを上げて伸びてくる剛球だった。

 

 以来、幾星霜――。レッドソックスで18勝した年もあるし、WBCでMVPにも輝いた。しかし、2011年の右ヒジ手術後、どこか見るのが痛々しいという感覚にとらわれてきた。ヒジへの不安を隠しながら腕を振っているように見えて仕方なかったのだ。

 

 西武時代の異様に多い完投数に表れているように、若いときに球数を投げすぎたという面もあるだろう。それは、半分は彼の意志でもあったろう。しかし、WBCで日本代表を背負って無理して投げた側面もある。そういうものの蓄積として、たとえばメッツ時代は、どこかそろりと腕を振っているように見えた。

 

 今季の松坂は、そこが決定的に違う。とにかく、思いきり腕を振っている。そこに不安は(あるのだろうけど)、一切介在しないかのようだ。それが、今、松坂を見る気持ちよさにつながっている。

 

 安堵の境地

 

 たとえば、5月30日のオリックス-中日戦。先発した松坂は、6回114球を投げて、無失点と好投した。

 

 6回表2死から小谷野栄一を三振にとった場面は、こんな具合だ。

 

①インハイにシュートが大きくはずれる。

②ツーシーム? 外角からストライクゾーンに入ってくる、ファウル。

③カットボール、空振り。

④外角低めいっぱいのストレート、見逃し三振。

 

 ストレートの球速は138~142キロくらい。カットボールやチェンジアップを交えての投球である。しばしば、スライダー系を低めにたたきつけるようなボールもあって、球数はかさむ。

 

 たしかに往年の球速はない。それでも、すがすがしさを感じるのは、何の憂いもなく、思い切り腕を振るからである。

 

 松坂の復活物語は、見る者に、安堵の境地とでもいうべきものを与えてくれる。

 

 ところで、今季、福岡ソフトバンクは意外な低迷をしている。その要因のひとつが、エース格である千賀滉大の離脱であろう。もちろん、松坂の故障と同様、因果関係はいっさい証明できないけれど、去年のWBCの疲れが影響しているだろうと想像する。

 

 WBCについては、何度でもくりかえすが、シーズン前に開催することの負担は、あまりにも大きい。予選はシーズン後の秋にやって、ベスト8以上のトーナメントをシーズン中、オールスター期間をあててやるとか、何か改善策を講じないかぎり、将来「レジェンド」となりうる選手たちのトップコンディションを奪うことになる。それは、ひいては、われわれ見る側にとっても大きな損失だと思うのだが。

 

 いや、寄り道をしました。


 現在の松坂の投球は、カットボールにスライダー、チェンジアップ、ツーシームと、いわゆる「動くボール」を駆使しながら、ときおりストレートを織り交ぜるスタイルである。黒田博樹も日本球界に復帰したときに強調して見せた、メジャーリーグの流儀の投球である。

 

 古典回帰の様相

 

 メジャーでは、いま、この投球を打ち破るために「フライボール革命」なるものがもてはやされていることは、ご承知だろう。昨年のワールドシリーズを制したアストロズが象徴的だが、要するに、30度~35度の角度のフライを打てば、それがホームランになりやすい、という原理から、カットボールやツーシーム、チェンジアップ全盛の時代に対抗しようというわけだ。


 今季のヤンキースの打線は、その極致といってもいい。マーリンズからジャンカルロ・スタントンを獲得したため、アーロン・ジャッジとスタントンという、昨年の両リーグのホームラン王がそろった。おまけに、グレイバー・トーレスという新人まで出現した。4試合連続ホームランなどという派手なデビューを飾ったが、彼にはパワーだけではなく、体の柔らかさとか、スピードがある。セカンドの守備もうまい。

 

 面白いのは、ここからである。


 この「フライボール革命」を抑えるには、フォーシームの高めのストレートとカーブが有効だというのだ。カットボールやツーシームの、フロントドアとかバックドアではなく……。

 

 なにやら、歴史が一周まわって元に戻ったような案配である。古典回帰とでもいうべきか。


 フォーシームのストレートということは、ふたたび、怪物・松坂のデビュー戦の155キロを思い浮かべる。まさに、あのボールが有効だということだ。

 

 いや、もっとぴったりなのは、もう一代前の怪物ではないか。


 高めに浮き上がるストレートとカーブ、といえば、江川卓である。

 

 作新学院の江川が、2018年のヤンキースを封じる――。そんな淡い夢に誘われながら、今日も大谷翔平の大ホームランを期待することにするか。いや、山川穂高(西武)でも山田哲人(東京ヤクルト)でも、もちろんかまわないのだが。だが、それを言うなら、秋山翔吾(西武)のホームランの美しさ、かな。

 

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール

1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。


◎バックナンバーはこちらから