今年のプロ野球は多くの名選手がユニホームを脱いだ。セ・パ両リーグで本塁打王を獲得した山武司もそのひとりだ。中日、オリックス、東北楽天、再び中日と渡り歩き、歴代18位となる403本塁打を放った。引退の危機を何度も乗り越え、27年間もプロ生活を続けられてきた理由はどこにあったのか。そして、自身の経験を踏まえて若い選手たちに伝えたいことは何なのか。二宮清純がインタビューした。
(写真:今後、指導者になった際には「小力があって、ホームランにこだわるバッターも育ててみたい」と語る)
二宮: 27年に及ぶ現役生活お疲れ様でした。04年限りでオリックスを退団した際には「引退を考えた」と以前、伺いました。2年前に楽天を去る時には、「まだ現役でできる」と感じたと?
山: 楽天での最後の1年はいろいろありました。当初は「来季も選手としてやってほしい」という話だったのに、途中から「もう辞めろ」と星野仙一監督から言われてしまったんです。お世話になった野村克也元監督に相談したら、「それはお前の決めることだ」と言っていただきました。自分の中でも、まだやりたい気持ちが強かったので、チームを離れることになりました。

二宮: 古巣の中日に復帰するかたちになりましたが、他の球団へ移籍する可能性はあったのでしょうか。
山: もう現役を続けるとしたら中日に戻るしかないと思っていましたから、他の球団に行くつもりは全くなかったんです。実は中日には自分から「やりたい」とセールスしたんです。最初は「ちょっと無理だ」と言われたんですけど、「もう年俸はいくらでもいいんでお願いします」と頼み込みました。それでフロントが高木守道監督(当時)に確認してOKを出していただきました。

二宮: 今年の交流戦では楽天戦で代打サヨナラ打を放ち、“恩返し”をしました。その楽天が今季は日本一になりましたが、原動力となったのは言わずと知れたエースの田中将大投手です。中日に移籍して田中投手と対戦する機会もありましたが、彼の凄さはどこにあるのでしょう。
山: 彼はいろいろなボールを持っていますが、僕はシュート系のボールが厄介でした。ストレートだと思うと、ちょっと内に食い込んでくる。完全なシュートというより、おそらくツーシームではないかと思います。その上で、外へ大きく滑るスライダー、よく落ちるフォークがありますから簡単には打てませんよ。

二宮: ストレートとは見分けがつかないと?
山: インサイドへのストレートを投げる際には、基本的にはこのボールが多いんです。きっとインサイドを突くにあたって、絶対に甘く入らないように若干、人差し指を縫い目にかけて投げるんでしょう。逆に左バッターで長打を警戒するバッターには、少しスライダー気味に投げて芯を外す。メジャーリーグではツーシームが主流なので、そのあたりも勉強していろいろやっているのでしょうね。

二宮: 最終的には44歳目前までプレーをしました。長続きの秘訣は何だったのでしょう。
山: これは野村さんが再三言っていた「無形の力」でしょうね。年齢を重ねると、どうしても力は落ちてくる。その時にいかに考えて野球をやるか。「パワーや技術は落ちてくるけど、それを補うのは頭や。頭を使ってプラスマイナスゼロにせい」と教えてもらいました。

二宮: 中日は現役最年長投手の山本昌を筆頭に、今回、選手兼任監督に就任した谷繁元信、中軸の和田一浩、抑えの岩瀬仁紀らベテランが頑張っています。
山: みんな、メチャクチャ努力していますよ。岩瀬なんか1年中、練習しているのではないでしょうか。彼とは中日に戻ってロッカーが隣だったのですが、球場に来る時は死人のような顔をしていますよ(苦笑)。「もう今日はダメです。首が曲がらない。肩が上がらない」とか弱音ばかり吐いている。でも、ちょっとずつ体を動かして練習の間に体と気持ちの状態を上げていく。そうやって出番に合わせてピークを持ってくるから、長く活躍できるのでしょう。

二宮: 反面、若手の伸び悩みを指摘する声もあります。
山: 中日は選手にめちゃくちゃ優しい球団なんですよ。僕なんか去年の時点でクビになってもおかしくないのに、「こちらからは辞めろとは言わない。お前の好きなようにやっていい。やりたかったらやればいい」と話をしていただきました。中日に戻った時にも年俸は下がりましたけど、ヒット1本、打点1から出来高をつけてもらったので、“冬のボーナス”をいただけたんです。若手も2軍で活躍できないような選手でも、すぐクビにならない。1、2年くらいは“執行猶予”がつくんです。選手にとってはありがたい反面、若い選手の考え方が甘い面も見受けられましたね。

二宮: 球団によって環境も風土も違う。複数の球団でいろいろな体験ができたのは、今後の野球人生にプラスになるのでは?
山: 名古屋で通用したことが、他では通用しない場合がいっぱいあると移籍してみて初めて気づきました。選手に対する扱いも全く異なる。パ・リーグは活躍の見込みがなければ、すぐに“実刑”をくらう傾向が強い。中日一筋というのも素晴らしいことだし、幸せかもしれませんけど、僕はパ・リーグを経験できて良かったと感謝しています。

二宮: 以前、交流戦でパ・リーグが強い理由について山さんから興味深い話を聞きました。「パ・リーグのほうが札幌から福岡まで移動距離が長いから、選手がタフになる」と。
山: 交流戦になるとセ・リーグの選手は「移動が多い」とか、めちゃくちゃ文句を言うんですけど、僕からみれば「何言っているの?」って感じですよ。パ・リーグの選手はシーズン中、飛行機であっちこっち行って、ギリギリで球場入りすることだってあるんです。

二宮: 新規参入の楽天で1年目から在籍したのも今となっては貴重な経験では? あの時はすべてが手探り状態でしたからね。
山: 最初はプロチームとして、いろいろな面が整っていなくて、しょっちゅう怒っていましたよ。試合前後の食事から、事細かに言わないといけないレベルでしたから。たとえば地方で試合をして、そのまま仙台にバスで戻る時があっても車中で何も出ない。「お腹空いているのに弁当くらい出してよ!」と(苦笑)。

二宮: 今季は阪神の桧山進次郎選手、宮本慎也選手、前田智徳選手ら同世代の選手が相次いで引退を表明しました。味のあるベテランが少なくなるのは寂しさも感じます。
山: 僕も非常に寂しいですよ。僕らの世代は、まだ上下関係が厳しくて、その中で学んだこともたくさんあります。最近の若い選手は個人、個人で分かれてしまって、そういうつながりが薄れてきている。同時代を生きてきた選手がいなくなって良い部分が失われていくのは残念ですね。

二宮: 若手に、ここだけはしっかりしてほしいと感じる部分は?
山: どこの世界もそうかもしれませんが、今の選手は反応が悪いんです。話しかけても、すぐに返事が返ってこない。最悪の場合は返事すらしないこともある。僕らなんて先輩から何か言われたら、少々、中身が理解できなくても、とにかく真っ先に「ハイ!」と返事をしていたものです。「お前、本当に分かっているのか!」と逆に叱られたこともありますけど(笑)、そのくらいの勢いがあっていい。僕らは特にスポーツ選手なので反応が遅いのは、プレーにも影響すると思いますよ。

<現在発売中の『第三文明』2014年1月号でも、山さんのインタビューが掲載されています。こちらもぜひご覧ください>