野球殿堂博物館は17日、今年の野球殿堂入り表彰者を発表し、プレーヤー部門で福岡ソフトバンクの秋山幸二監督と、メジャーリーグでも活躍した佐々木主浩、野茂英雄両氏を選出した。野球殿堂のプレーヤー部門は引退後5年〜20年の元選手が対象者となり、15年以上の取材経験を持つ記者の投票で75%以上の得票を集めることが条件。2008年7月に引退を表明した野茂氏は今回、初めて候補者の資格を得た。候補1年目で殿堂入りするのはビクトル・スタルヒン氏、王貞治氏に次いで3人目。また45歳4カ月での殿堂入りは史上最年少となった。
 非難から称賛へ――。日本球界を変えたパイオニアが野球人として最高の栄誉を手にした。

 1990年にプロ入りした野茂氏は独特のトルネード投法を武器に1年目から近鉄で活躍。4年連続の最多勝と最多奪三振などの記録を残し、94年オフにはメジャーリーグ挑戦を表明する。当時は日本のトップ選手がメジャー移籍した前例がなく、球界を揺るがす騒動に発展した。
 
 近鉄を任意引退となり、95年2月にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結ぶと5月にはメジャー昇格。国内では自らの希望を押し通した野茂氏への批判も多かったが、本場のマウンドでメジャーの強打者からバッタバッタと三振を奪う姿に評価は一変した。

 終わってみれば13勝(8敗)をあげて新人王と最多奪三振のタイトルを獲得。日本人で初めてオールスターゲーム出場を果たし、先発も任された。トルネード投法は米国のファンにも人気を集め、前年からのストライキで離れていたファンを再び球場に呼び戻すことに貢献した。

 その後も野茂氏は両リーグでのノーヒットノーラン(96年、01年)、7度の2ケタ勝利、2度目の奪三振王(01年)と結果を出し続け、日本人がメジャーリーグに挑む流れは一気に加速する。イチロー、松井秀喜、松坂大輔、ダルビッシュ有、田中将大……。今やトップ選手が海を渡るのは当然の風潮になった。 

 その功績が認められ、昨年11月には米国でも野球殿堂の候補者としてノミネート。得票が少なく落選したとはいえ、投手なら300勝が殿堂入りの目安とされる中、メジャーでは123勝の野茂氏が候補に挙がったこと自体、快挙と呼べるものだった。

 今回、野茂氏は記者から有効投票の8割以上の得票を集めた。渡米時には批判的論調が少なくなかったマスコミの捉え方は19年の時を経て、ほぼ180度転換した。同じく日米でクローザーとして通算381セーブをマークした佐々木氏も殿堂入りし、この先、元メジャーリーガーが表彰を受けるケースは増えるだろう。野茂英雄は名実ともにその道を真っ先に切り開いた人物として歴史に永遠に刻まれる。