「やっぱりこの景色じゃ、満足できない……」――1年前、狩野亮のスイッチが入った。2013年2月、スペインで行なわれた世界選手権。狩野はチェアスキー・スーパー大回転(SG)で3位に入った。久々に上がった表彰台。「ようやくこの場所に戻ってきた」という感慨深さと同時に沸いてきたのは、「このままでは4年に一度の舞台で、もう一度あそこに立つことはできない」という気持ちだった。1年後に迫った“本番”に向けて、狩野は自分自身に喝を入れた。
(写真撮影/切久保豊)
「ウソだろう……?」
 狩野は夢を見ているような錯覚に陥っていた。10年3月、カナダ・バンクーバーで開催されたパラリンピック。銅メダルを獲得した滑降(DH)に続いて臨んだSGで、狩野は金メダルを獲得した。
「あの時は、信じられませんでした。もちろんメダルは目指していましたが、正直言って、金メダルに届くとは思っていなかったんです。ただがむしゃらに自分のスタイルである“攻めのスキー”をしようと。そしたら、金メダルが獲れてしまった。そんな感じでした」

 世界最高峰の舞台で、頂点に立った狩野だったが、決して有頂天になっていたわけではなかった。あくまでも「獲れてしまった」金メダル。だからこそ「ここで満足してはダメだ。実力で獲れたわけではないのだから、もっと頑張らなければ」と自分自身に言い聞かせていた。ところが帰国すると、金メダルの反響の大きさは予想以上のものだった。狩野は自分の気持ちが変化していくのを感じていた。
「帰国後、テレビ出演やインタビュー、イベントへの参加など、金メダリストとしての扱いを受けているうちに、『実力ではないのだから』という気持ちが、達成感や満足感に変わっていってしまったんです」

 バンクーバー後も、狩野はトレーニングを怠ってはいなかった。時間も内容も、それまでと何ら変わってはいなかった。だが、なかなかバンクーバー前のがむしゃらさを取り戻すことができずにいた。成績も気持ちに比例し、約2年間、狩野はトンネルから抜け出すことができなかった。しかし、昨年の世界選手権、バンクーバーで自分が立っていたSGの表彰台の真ん中に立つ森井大輝の姿に触発された。
「大輝さんは今でも尊敬する先輩。その大輝さんと一緒に表彰台に上がれたのは嬉しかった。でも、『このままじゃ、大輝さんにも勝てない』という気持ちもありました」
 狩野はようやく戦闘モードに入った。

 レースのカギ握るスタート前

 パラリンピックイヤーを迎えた今シーズン、狩野はバンクーバー以降、心身ともに最もいい状態だという。シーズン初戦となった昨年12月のノルアムカップではSGで第1戦3位、第2戦優勝。今年に入って行なわれたワールドカップ(W杯)初戦でも、SGで3位に入った。
「ソチまではまだ1カ月半ありますので、まだ100%ではありませんが、自分のスタイルや気持ちの作り方など、ここまで計画通りに来ているかなと感じています。不安がないと言えばウソになりますが、それもしっかりと受け入れる覚悟ができています。特に焦りもなく、落ち着いていますね」

 ソチでの目標は、言うまでもなく金メダルだが、狩野にとって最も重要なのは理想のスタートを切ることだという。
「この競技で何より難しいのはスタートまでの気持ちのコントロールなんです。というのも、スタートをするまでには、かなりの待ち時間を要します。前の選手が転倒したりして、何かアクシデントが起こるたびにレースは中断される。その時、僕たちは寒い山の中で待機していなければなりません。ひどい時は2、3時間待たされることもあります。だから、最初から気持ちを張りつめていると、途中で耐えられずにパンクしてしまうんです。待っている間はリラックスして、いざスタートゲートに入ったら集中する。そして、スタートを切った瞬間が、集中力のマックスになるというのが理想です」

 本格的に競技を始めて約15年の狩野にとって、今やスタートまでの気持ちのコントロールはそう難しいことではない。だが、普段通りのことができなくなるのが、4年に一度のパラリンピックの怖さでもある。実際、狩野はトリノに続いて2度目の出場となったバンクーバーの初戦、DHではスタートゲートに入るまでの間、緊張を制御できなかった。だが、そこで銅メダルを獲得したことで、狩野は普段の自分を取り戻すことができた。2種目目のSGの時には、余計な意気込みはまったくなかった。ただあったのは「自分のできることを出し切って、楽しんで滑り終えよう」という気持ちだけだった。今思えば、理想のスタートを切れたことが、金メダルにつながったのだと狩野は感じている。
(写真撮影/切久保豊)

「バンクーバーの時以上に、ソチでは金メダルを獲りたいという気持ちが強いのは確かです。でも、メダルに縛られるのではなく、それはいったん横に置いて、まずは理想のスタートを切ること。そうすれば、結果は自ずとついてくる。とにかく、集中し切ってレースに臨めるかどうかが重要だと思っています」
 勝負はスタート前から始まっているのだ。

 ハイリスク・ハイリターンの勝負

 昨年3月、W杯最終戦はパラリンピックの舞台、ソチで行なわれた。狩野はDHではトレーニングランと合わせて3本滑った。そのうちの2本で、狩野は大転倒している。当時のブログには、宙に舞うようにして激しく転げ落ちる映像と、こんな言葉が載っている。
<初めておびえたDH>
 ソチは、稀に見る悪条件との戦いだった。

「僕ら選手としては、気温が低くて雪面がガチガチに締まっている方が滑りやすいんです。でも、ソチはその真逆。気温は15度くらいまで上がるので、雪は融けてグチャグチャですし、その中を100回以上も同じところを滑るわけですから、もう溝だらけ。チェアスキーは1本の板で滑らなければいけないので、転倒のリスクは非常に高いんです」
 スピードを上げれば上げるほど、ミスをする確率は高くなる。その中で、いかに攻め切れるか。まさに“ハイリスク・ハイリターン”の勝負といえる。

 さらにレースを難しくしているのは、天候の移り変わりの激しさだ。晴れていると思えば、突然雨が降り出し、気温も一定していない。そのため、昨年のW杯では悪天候のためにレースのキャンセルが相次いだ。パラリンピック本番でも、日程変更はざらにあると狩野は予想している。だからこそ、彼は戦略をかためていない。
「ソチのコースは、何百回も繰り返しイメージしていますから、完全に頭に焼き付いています。でも、『こうしよう、ああしよう』というふうには考えていません。何が起こるかわかりませんから、たくさんの引き出しをもって臨みたいと思います」

 そして、こう続けた。
「ソチは、僕が経験してきたレース史上、最も難関だと言っていいくらいです。でも、だからこそ観ている人にとっては、これ以上面白いレースはないかなとも思うんです。チェアスキーならではの、迫力やスピード感をぜひ味わってほしい。その中で、僕ら日本チームがいい成績を出して、『こんなかっこいい世界もあるんだ』ということを感じてもらいたいですね」

 スタート前、狩野には楽しみがある。それは、山の上から無限に広がる大自然の壮大さを感じることだ。そして、こう思うのだ。
「自然に比べたら、僕らは何てちっぽけなんだ。そんな自分が感じるプレッシャーなんて、圧し潰されるほどのものではないはずだ。とにかく、この大自然の中を思いっきり滑ろう」
 1カ月半後、狩野はソチの自然を感じながら、最高のスタートを切る。それが、最高の結果をもたらすことを信じて――。

狩野亮(かのう・あきら)
1986年3月14日、北海道生まれ。小学3年の時に交通事故で脊髄を損傷し、車椅子生活となる。5年からスキー指導員の父親のもと、チェアスキーを始める。岩手大学在学中の2006年、トリノパラリンピックに出場。08年、アミューズメント店経営大手のマルハンに入社。10年バンクーバーパラリンピックではスーパー大回転(SG)で金メダル、滑降(DH)で銅メダルを獲得した。ソチでパラリンピック3度目の出場となる。

<第12回は1月27日に更新します>

(文/斎藤寿子)