「世界を目指してみないか」
 通っていた大学の助教授に言われたこのひと言で、小池岳太のスキー人生はスタートした。あれから11年。小池は世界最高峰の舞台、パラリンピックに2度出場した。本格的にスキーを始めて2年目で臨んだトリノ(2006年)では、出場した5種目すべてでトップとは10秒以上の差をつけられ、「メダル圏外。まったく勝負にならなかった」。メダル獲得を目指して挑んだバンクーバー(10年)では、前年夏に靭帯を損傷したヒザのケガが完治せず、「その時のベストは出せたが、『もっとできたはず』という悔しさが残った」。「今度こそは」という思いを胸に、約1カ月後に迫ったソチでは、“3度目の正直”を狙う。
 小池が本格的にスキーを始めたのは、大学2年の時だ。前年秋に交通事故で左腕が麻痺で動かなくなった小池に、スキーを勧めたのは大学で履修していた「障害者スポーツ論」の担当教官だった。長野県出身の小池は、幼少時代からスキーには慣れ親しんでいた。とはいえ、あくまでもそれは趣味の範囲であり、競技として熱を入れていたのはサッカーだった。20歳でのスタートは、競技者としてはあまりにも遅いと言わざるを得ない。
「他の選手に比べて僕はどうしても経験値では劣ってしまう。だからテクニック面だけの差を埋めることは非常に難しいんです」

 そこで小池がとった策は、フィジカル強化に重点を置くことだった。もともと身長180センチと、上背はある。その身体を活かそうと考えたのだ。現在、体重はバンクーバーから4キロ、トリノからは10キロアップし、80キロ。理想は90キロだ。もちろん、筋力による増加だが、果たしてスキーヤーにとって身体を大きく、重くすることは、どんな効果があるのか。

「スキーは落下運動ですから、ボールを転がすのと同じで重い方が加速していきます。それともうひとつは、身体の軸のブレを小さくできるんです。アルペンは足元の雪の状況が常に変化し、また動いている中でターンを繰り返しながら滑り降りていくわけですが、そのターンの時にスキー板をたわまして、“ビヨーン”と跳ね返る力を生かして加速させていくのがコツ。ただ、たわました時に、雪面からものすごい反発がくるんです。その反発力に耐え得るだけの筋力、またバランスを崩さないように軸を維持し続ける筋力がないと前後左右に身体がブレてしまう。そうすると、今度は板がきれいにたわまずにバタバタしてしまって、結果的にブレーキ要素となりスピードが出ない。この点を身体が小さくてもテクニックでカバーできる選手もいますが、僕の場合はテクニックよりも、パワーで抑えていこうと考えました」
 テクニシャンではなく、パワー系のスキーヤーを目指している。

 理想は“板に仕事をさせる”

(写真1:これまで左ターンの時は右手のストックでポールに当たり、遠回りしていた)
 とはいえ、やはりテクニックは重要である。今、小池が課題としているのは「スキー板に仕事をさせるシンプルな身体の動き」だ。
「より板をたわますことで、雪面からの反発をもらって、スピードはどんどん加速していきます。板をたわますには、外足(ターン中自分の外側の足)のかかとにしっかりと加重すること。その際、自分自身の身体の動きは上下動のみで、あとは余計な動きは要りません。ムダな動きをそぎ落として、よりシンプルにする。もちろん、実際は動いてる中でタイミングよく動きますが、軸がブレなければ、見た目には人の身体が真ん中にあって、スキー板だけが動いているように見える。コーチによく言われるのは、『板に仕事をさせろ』と」

 そしてもうひとつ、今シーズンに入って「見つけた」滑りがある。それはスラローム(回転)でのターンの時の身体の使い方だ。ダウンヒル(滑降)などとは異なり、スラロームのポールには旗がついていない。そのため、少しでもロスを少なくするために、身体ごと体当たりし、ポールをなぎ倒すようにして斜面を滑り降りていく。だが、小池は左腕が麻痺して動かないため、ストックを持っているのは右手のみ。そのため左ターン(左方向)の時には、外側の右手に持っているストックで当てにいき(写真1)、右ターンの時には腕の代わりに左肩で当てにいっていた(写真2)。


 しかし、ストックの位置と肩とでは、ポールに当てる際、前後に約30センチほどの距離の差が生じる。そのため、左ターンの時には小回りに、右ターンの時には少し遠回りというイメージで滑っていた。もちろん、小池も右ターンの時に遠回りしていることは認識していた。だが、これが障害による自分の限界と考え、それほど気にはしていなかった。ところが、日本のチームメイトに「かなり遠回りしているよ」と言われたのだ。それが修正するきっかけとなった。

 小池が編み出したのは、ターンする時のポールに当たる部分を、左右ともにヒザにすることだった。そうすることで、左右の動きが均等になり、身体を内側に残したまま、ロスの少ない小回りでターンすることができる。まだ完全とはいかないが、それでも感覚的にはつかめている。残り1カ月で、身体に染みこませるつもりだ。
(写真2:麻痺した左手にはストックを持っていないため、右ターンの時は左肩でポールに当たっていた)

 2本勝負の難しさ

 アルペンの難しさは、コースの雪面状態が変化することにある。特に2本滑って、その合計タイムで争うスラローム、G・スラローム(大回転)は、1本目と2本目の条件は同じではない。そのため、1本目で好タイムを出した選手が必ずしも2本目も成功するとは言えないところにアルペンの難しさがある。

 その条件とは――。まずは雪面状態である。天候や気温の変化はもちろん、同じコースを全選手が滑り続けるのだから、特に雨が降ったりするなど、湿気を多く含む雪質の場合は、あちこちに溝ができる。たとえ雪面硬化剤をまいたとしても、固まるのは表面だけである。滑っていくうちに、またやわらかい雪が現れるという具合だ。

 昨年3月、ソチで開催されたワールドカップで、小池は本番と同じコースを滑った。いくつかの種目がキャンセルを余儀なくされるほど、コースは大荒れだった。大雨が降ったこともあったが、もともと温暖な地域のため、雪にはたっぷりと水分が含まれ、滑るとすぐにボコボコに掘れてしまったという。普段、ガチガチのアイスバーンの傾斜を滑っている北欧の選手の中には、足を取られて苦戦している者も少なくなかった。

 実際滑った感想を小池はこう語っている。
「ザーザーの大雨に加えて、気温は平均5度と高く、もう雪はグチャグチャでした。本番でも荒れた状態で滑ることになるでしょうね。でも、どちらかというと、日本人選手には有利に働くと思います。湿気が多い雪質は、馴染みがありますからね。僕はそんなに悪いイメージは持たなかったです」

 雪質以上に、選手にとって難題となるのが、毎試合異なるポールや旗の位置取りである。ひとつひとつの距離や間隔はルールで定められている。そのルールの範囲内であれば、自由に立てることができるのだ。そして、その立て方の選択権は抽選によって選ばれた代表チームに与えられる。さらに2本滑るスラローム、G・スラロームにおいては、1本目と2本目で旗の位置を決めるチームは異なる。つまり、これが戦略のひとつとなり得る。

「今回のパラリンピックではまだどこのチームが抽選に当たったのかはわかりませんが、ロシアに当たっていたら一番やっかいですね。コースを知り尽くしてもいるでしょうし、自分たちが有利になるような独自の立て方をしてくる可能性は十分にあると思います」
 勝負は既に開幕前から始まっている。

 限界を超えた時の涙の意味

 スタートまでの待ち時間が長いアルペンでは、自らの順番がまわってくるその時まで、他の選手と話をするなどしてリラックス状態を心掛ける選手が多い。だが、小池は違う。チームメイトの輪からも離れ、ひとりになろうとする。可能な限り、コミュニケーションを取らないのが、小池流だ。

「傍から見たら、余裕がないということになるのかもしれませんが、僕は自分の世界に入り込みたいんです。自分のリズムで、気持ちをつくっていきたい。途中でコミュニケーションをとってしまうと、そこまでつなげてきた気持ちがフッとそらされてしまうから、なるべくひとりでいるようにしています」
 それは肩の力を抜いた、最高の状態が訪れる瞬間を待っている儀式でもある。

 小池は自分自身にプレッシャーをかけ、とことん追い込む。そうして限界を超えた時、小池の目からは決まって涙がこぼれ落ちる。その涙こそが、緊張から解放され、落ち着きと自信を得た状態になったというシグナルだ。

「特に高速系のダウンヒルのレースでは、ほぼ毎回のように涙が出ます。トレーニングランも含めて3本滑るのですが、1本終わるたびに『もっと攻めなければ』という気持ちになる。120〜130kmのスピードの中で、見えない起伏の先に飛び込んでいく滑走ラインをさらに直線的にしていく。その作業を繰り返していくと、最後はイメージで自分の限界を本当の意味で超える。そうして恐怖心を克服した時に、思わず涙が出るんです。そしたら、『よし、大丈夫。いける』という精神状態になるんです」

 ソチではその高速系の種目で、金メダルを狙う。そこには、なかなか出現しない若手の台頭を願う気持ちもある。
「チェアスキーは若手がどんどん出ているのに、立位の方はうまく発掘できていません。だからこそ、『競技を始めるのが遅くても、ここまでなれるんだぞ』というモデルケースになって、『自分もやってみたい』という若手のきっかけになりたいと思っています。それにオリンピックも含めて、身体の小さい日本人選手がアルペンスキーの花形と言われているダウンヒルやスーパーG(スーパー大回転)で金メダルを獲るのは容易なことではありません。だからこそ、何としてもやり遂げたいなと思っています」
 自らを追い込んで、追い込んで、極限状態となった時、小池岳太は“勝負の時”を迎える。

小池岳太(こいけ・がくた)
1982年8月2日、長野県生まれ。セントラルスポーツ株式会社所属。高校時代からサッカー部に所属し、ゴールキーパーを務める。日本体育大学1年秋に交通事故で左腕神経叢麻痺となる。翌年、スキーを始め、アルペン(立位)でパラリンピックを目指す。2006年トリノ大会では大回転19位、10年バンクーバー大会ではスーパー大回転9位。3度目のソチ大会では、高速系の種目で金メダルを目指す。

(斎藤寿子)