1979年、80年とカープは日本シリーズを連覇した。言うまでもなく立役者は“不動の守護神”江夏豊である。

 

 79年の近鉄との日本シリーズは“江夏の21球”で知られるが、80年も近鉄との対戦となり、第7戦にまでもつれ込んだ。このゲームでも最後を締めたのは江夏だった。

 

 79年と80年、カープにはもうひとり左のリリーフがいた。若き日の大野豊である。79年はリーグ最多の58試合に登板し、5勝5敗2セーブ。80年は49試合に登板し、7勝2敗1セーブ。大野から江夏へのリレーは、ほぼ盤石だった。

 

 周知のように大野は江夏の愛弟子である。名前が同じ豊ということもあり、江夏は自分の弟のようにかわいがった。ピッチングのイロハのイ、キャッチボールから手取り足取り教え込んだのである。

 

 その江夏に過日、「3連覇の条件は?」と問うと「左の中継ぎ」と答えた。できれば2人欲しいが、ひとりでも出てくればチームには御の字、と語っていた。

 

 現在、カープのブルペンには飯田哲矢、ヘロニモ・フランスアと2人のリリーフがいるが、勝負がかかった大事な場面で使われることは、ほとんどない。

 

 球団内には「力のない左(のリリーフ)よりも、力のある右(のリリーフ)」との声もある。確かに、それは一理ある。しかし、首脳陣に育てる気がなければ、いつまでたっても“左殺し”は育ってこないのではないか。

 

 大野の1年目の防御率は135.00である。母親は息子が自殺するのではないか、と心配したという。それでも根気よく使い、一人前に育てたのが監督の古葉竹識だった。常勝軍団になるためには「左の中継ぎ」は必需品である。

 

(このコーナーは二宮清純が第1週木曜、書籍編集者・上田哲之さんが第2週木曜、フリーライター西本恵さんが第3週木曜を担当します)


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