サッカーロシアW杯で2大会ぶりにベスト16に進出した日本代表が5日、帰国した。成田市内のホテルで行われた記者会見には田嶋幸三会長、西野朗監督、長谷部誠主将が登壇。SNSで代表引退を発表した長谷部は改めて公の場でそれを伝え、田嶋会長は西野監督に関して「慰留することはない」と7月末での任期満了を発表した。

 

 W杯ロシア大会2カ月前に、ヴァイッド・ハリルホジッチ前監督を解任し、西野技術委員長が指揮を執ることになった。あの時、日本代表にロシアでの活躍を期待する人々は少なかっただろう。

 

 ところが、強豪のコロンビアを相手に勝利を収めるなど勝ち点4を積み上げてグループリーグ(GL)を2位で突破。決勝トーナメントではFIFAランキング3位のベルギーを土俵際まで追いつめた。結果は2点をリードしながら後半残り約30分で3失点して逆転負け。それでも日本国民に勇気を与える活躍を演じた。

 

 前回のブラジル大会では1勝もあげられなかったことを振り返り、当時も主将を務めていた長谷部は「ブラジル大会が終わった後、このロシアのピッチに立っている自分を全く想像できなかった」と語り、こう続けた。

 

「心の奥底にブラジル大会からロシア大会に向けての思いはそれぞれが共通して持っていたと思います。その思いの強さが今回のGL突破につながった。もちろん、これで満足しているわけでは全くない。今回、また味わった悔しさを糧に次のカタール大会でさらに上に行ってほしいと思います」

 

 自身の代表引退については、こう語った。

「これまでも目の前の1試合、1試合が最後のつもりでやってきた。それはこの大会も変わらなかった。もちろん、大会前に自分の心の中では決めていたので、より1つ1つのプレーに思いを込めながらやっていました。今は“終わったな”という感傷的な気持ちはあります」

 

 ベルギー戦では2点をリードしながら、約30分でひっくり返された。世界との差をまざまざと見せつけられた。この時の場面を指揮官はこう語った。

 

「ゲームが日本にとって好転していた中で、あのシナリオは自分の中では全く考えられなかった。あの30分間で自分が(何かを)判断できる、そういうスピード感が全くなかった。ベルギーに対して3点目を取りにいけると、チーム力に自信を持っていましたし、実際にチャンスもあった。でも、紙一重のところで流れが変わってしまった。こういうときにどういう感覚が働けばいいのかなと、自問していました」

 

 西野監督は、今後の日本代表の飛躍の鍵に「アンダーカテゴリーの成長」と「Jリーグの日程改善」を上げた。

 

 再び西野監督のコメント。

「一朝一夕にA代表が爆発的に成長することはない。今、日本のアンダーカテゴリーは本当に期待できます。U−20、U−17は世界と渡り合える力を持っている。これは着実に育成に対して協会が働き掛けてきた結果だと思います。U−20の選手たちが(今のA代表の選手に)取って代わる状況であると感じていますし、スケールの大きいダイナミックな、かつ日本人らしいボールを使ったサッカーができる。それに加え、海外組と国内組の選手たちが融合しなければいけないのですが、難しい。9月、10月、11月のA代表の活動が毎年、毎年、強化にならないぐらいの状況。これはヨーロッパがシーズン中で選手の招集が難しいからです。そのあたりも改善しないと……」

 

 日本代表がより上のレベルに到達するため、Jリーグが渋っている春秋制から秋春制への移行を提案した。海外の多くは秋春制を採用している。海外組と国内組の日程面のストレスさえなくなればもっと密な合宿が組める、というのが西野監督の考えである。

 

 また、田嶋会長は西野監督の続投を否定した。

「監督の任を西野さんにが引き受けてくれた時に、“結果がどうであれ、この大会で終わる”と言われました。その約束はしっかり守りたいと思っています。ですから慰留はしませんでした。この7月末をもって、日本代表監督を終了することになりますが、また違った形、さまざまな形で日本サッカーに貢献し、サポートしていただければとは思っています」

 

 開催国枠により楽な組み合わせでGLを突破した2002年日韓大会や、守りを固めてGLを突破した2010年南アフリカ大会とは明らかに価値が違うロシア大会のGL突破。“日本人らしいサッカー”とは何かを長考し続け、おぼろげながら形を見出してくれた主将と名将が日本代表から離れる損失は小さくない。だが、彼らが残してくれた種に水をやり、肥料をやり、根気強く育てればベスト8進出の花が咲くはずだ。

 

(文・写真/大木雄貴)