「カープの考古学」も連載4回目を迎えた。これまで戦後まもない頃に「広島にプロ野球チームを!」との情熱を持って活動した企業や、広島商業OB、広陵高校OBらの動きをキャッチアップしてきた。原爆投下という人類史上に例のない惨事に見舞われながらも、終戦後の広島には燃えるほどの野球熱があり、それは決して途絶えることはなかった。


 今回はいよいよカープ誕生前夜のクライマックスである。復興の最中、「郷土・広島にプロ野球チームを!」と願いを込めて行われた試合について記すことにしよう。

 

 郷土戦士が巨人と対戦

 終戦の翌年、昭和21年12月14日、球界の盟主である巨人軍を広島に招き変則ダブルヘッダーが行われた。

 

 第1試合はオール広島が対戦し、1対16で大敗を喫した。この試合については前回の「カープの考古学」にて紹介した。続けて行われたダブルヘッダー第2試合、巨人の相手を務めたのは広島の地でプロ化を目指していたグリーンバーグだ。この巨人対グリーンバーグの1戦こそ広島の野球史において最も注目すべき試合である。

 

 グリーンバーグの監督は、あの名将・石本秀一。のちにカープ初代監督となるのは周知のとおりだ。石本監督の下に集った選手の顔ぶれは、主力は濃人渉、門前真佐人という広島出身のプロ野球経験者が多く、郷土色の豊かなチームだった。

 

 この濃人、門前の名前は読者の方々も記憶にあるだろう。そう、カープの考古学第1回で取り上げた「鯉城園倶楽部」のメンバーである。これら鯉城園の主力選手たちは、一時的にグリーンバーグに吸収されることになった。グリーンバーグの発足については、「プロ野球選手謎とロマン2」に、こう記されている。

 

<「もともと『広島鯉城園チーム』というクラブ・チームに、元阪神監督石本秀一が乗り込んで濃人渉、門前真佐人らのプロ野球経験者を加えて作ったチーム」>(*1)

 

 石本はもちろん、濃人、門前ものちにプロ野球の監督を務めるほどの野球の才に恵まれていた。そんなグリーンバーグが弱かろうはずがない。「巨人相手でも勝てるんじゃなかろうか」。スタンドの観衆の期待は否が応でも大きくなった。

 

 余談ながら、グリーンバーグのルーツを辿ると、面白い逸話が残っていた。

 

 濃人、門前など選手の半数はプロ野球経験者で固められたが、中には少し変わり種の経歴を持つ選手もいたという。広義ではプロアスリートには違いないが、グリーンバーグは一時期、力士を選手として起用していたのだ。

 

<しこ名は佐田岬、龍ヶ崎(*2)、銚子海といった。これには選手も驚いた」>(プロ野球選手謎とロマン2)

 

 巨漢で鳴らす力士たちが、直径約70ミリのボールをうまく扱えたのかはさておくとして、日々稽古で研鑽を積んだ力士ゆえに体力的には問題はなかったと思われる。

 

 巨人はエース投入

 さて、本題に戻ろう。

 

 郷土の期待を背負ったグリーンバーグと、盟主・巨人との戦いがいよいよ始まった。

 

 先手をとったのはグリーンバーグだった。初回に幸先よく1点を先制し、試合をリードする。だが、巨人がその裏、すぐさま逆転すると2回、3回にも1点ずつを加えて1対4。試合前の期待はどこへやら。「やはり巨人にはおよばんのか……」、スタンドのファンは序盤で意気消沈してしまった。

 

 だが、4回にグリーンバーグは1点をあげて追いすがり、7回には2つの四球の後、門前のバットが火を吹いた。鋭い当たりはツーベースヒットとなり2者が生還して、4対4の同点。こうなると勢いはグリーンバーグにある。8回にも連続ヒットで一、二塁とし、押せ押せムードの中、しぶとく内野に転がす進塁打も絡めて、巨人から1点をもぎとった。5対4で勝ち越しである。さらに4番・倉本信護(*3)がセンター前ヒットで続き、6対4と引き離した。こうなるともう大変である。「あの巨人に勝つんじゃ!」とスタンドが沸いたことは容易に想像できる。

 

 ところが、である。勝利を意識しすぎたのか、グリーンバーグはピンチを迎えた。8回裏、1死から巨人の3番・千葉茂と4番・川上哲治に連続して四球を与えて一、二塁。続く5番・黒沢俊夫をセカンドゴロに打ち取ったものの、ゲッツーがとれずに2死一、三塁。平山菊二のライト前ヒットで1点差になると、さらに、多田文久三のセンターオーバーのスリーベースが飛び出し、黒沢、平山がホームイン。6対7と終盤にきて再度、リードを許してしまった。

 

 これで勝負があったかと思われたが、石本率いるグリーンバーグは最後まで粘りを見せた。9回表、先頭打者が四球を選び、2死の後、中尾正巳、濃人が連続で歩いて満塁とした。一打サヨナラの場面である。

 

 ここで、巨人は先発の中尾輝三を諦めて、近藤貞雄をリリーフに送った。近藤はこの年、23勝をあげたエースである。盟主・巨人の本気度が分かろうというものだ。ここで右打席に入ったのは3番・荻本伊三武。荻本の当たりは痛烈だったがレフトフライ。ゲームセットとなり6対7でグリーンバーグは惜しくも敗れた。

 

 試合に負けたとは言え、この時、広島総合球場に集まったファンは満足した表情を浮かべていた。巨人はこの年、優勝した近畿グレートリンクにわずか1ゲーム差およばず2位だった。その巨人を相手に善戦したのである。

 

 盟主・巨人を土俵際まで追い詰めたのは、石本の待球作戦(*4)がうまくハマッたのが理由だった。ボールを見極めることで四球を計12個選び、巨人を苦しめた。試合には敗れたものの、グリーンバーグのベンチは手応えを感じていた。こうなると、しわがれ声の石本の喋りも滑らかになっていた。

 

 石本の有言実行

 試合後の石本のインタビューを、当時の新聞記事を元に再現してみよう。

 

記者:石本さん、いい試合でしたね。グリーンバーグは強いじゃないですか?
石本:チームの中に、プロ野球の世界を知っているものは、主将の倉本、門前、濃人らがいますからね。
記者:これからプロ野球熱も盛り上がりますね。
石本:プロ野球は、戦前に比べて3倍の入りがあり、経費が十分維持していけるので、戦前より盛んになることは、間違いありません。
記者:広島にもプロ野球チームは夢ではありませんね?
石本:グリーンバーグは生まれたてで、まだ、選手も4、5名足りませんし、1年間は鍛えなければダメです。今は未知数というところですね。
記者:今後プロへの加盟が期待されますね?
石本:連盟には、来春加入するつもりです。広島県人を集め、県人気質といいますか。広島県人から生まれる、強いチームをつくります。
記者:ありがとうございます。
(「中国新聞(昭和21年12月17日付)より抜粋し要約)

 

 連盟に来春加入する--。

 

 この言葉は強く広島の人の心を引き付けた。記者も期待を込めたのか、<石本自身が、プロ野球に復帰することこそ、球界の再建に期待がかかる>と記事を締めくくっている。

 

 ちなみに石本は広商の監督時代、毎日新聞広島支局で記者を務めていたことはあまり知られていない。記者生活で培った時代を先取りする能力には人一倍長けていたことだろう。巨人戦の後、インタビューに答えていた石本の頭の中には、「広島にプロ球団実現に向けて、世論を呼び込みたい」という一心もあったと推察できる。

 

 カープの誕生は石本発言から3年後となるが、それより先にグリーンバーグはもうひとつのプロ野球といわれた国民リーグに加盟した。石本の有言実行によって、広島の人の思いは、少しずつではあるが、郷土のプロチーム実現へ向けて高まっていくのである。

 

 さて、物語はカープ誕生前夜から、いよいよ誕生へ向けた動きが具体的に加速してくる。広島にはプロ球団実現の第一条件ともいえる球場施設が焼け跡の中に残っていたことも見逃せない事実である。次回、「カープの考古学」は、カープ誕生以前に広島にあった球場施設の歴史を辿りながら、それを巡るカープ誕生に向けた動きをキャッチアップしていく。
(つづく)

 

【注釈】 *1 グリーンバーグの成り立ちには他説として、鯉城園倶楽部の主力選手は、一時期、東京カッブスというチームに移籍した後、グリーンバーグになっていくという記述もある。東京カッブスの竹内愛一監督が、当時、酒好きな上に奇人と称されたこともあり、采配が不安視された。チーム存続を危惧する声から、監督に石本を迎え入れ、チーム名もグリーンバーグに一新されたという。

*2 龍ヶ崎と原文で表記されるのは竜ヶ嵜唯雄のことでキャッチャーを務めたとされる。

*3 倉本信護。広陵中-阪急軍-名古屋軍-金鯱軍-満鉄倶楽部-広島鉄道局-鯉城園倶楽部-グリーンバーグ-結城ブレーブス

*4 待球作戦。石本の戦術のひとつ。相手ピッチャーがコントロールに難を抱えていた場合、初球ボールの後は2ストライクになるまで打たせずに一球でも多くを投げさせるという戦法。

 

【参考文献】 『プロ野球選手謎とロマン2』(大道文著・株式会社恒文社)、『焦土の野球連盟』(阿部牧郎著・株式会社サンケイ出版)、『中国新聞(昭和21年12月17日付)』

 

 

<西本恵(にしもと・めぐむ)プロフィール>フリーライター
1968年5月28日、山口県玖珂郡周東町(現・岩国市)生まれ。小学5年で「江夏の21球」に魅せられ、以後、野球に関する読み物に興味を抱く。広島修道大学卒業後、サラリーマン生活6年。その後、地域コミュニティー誌編集に携わり、地元経済誌編集社で編集デスクを経験。35歳でフリーライターとして独立。雑誌、経済誌、フリーペーパーなどで野球関連、カープ関連の記事を執筆中。著書「広島カープ昔話・裏話-じゃけえカープが好きなんよ」(2008年・トーク出版刊)は、「広島カープ物語」(トーク出版刊)で漫画化。2014年、被爆70年スペシャルNHKドラマ「鯉昇れ、焦土の空へ」に制作協力。現在はテレビ、ラジオ、映画などのカープ史の企画制作において放送原稿や脚本の校閲などを担当する。

 

 

(このコーナーは二宮清純が第1週木曜、書籍編集者・上田哲之さんが第2週木曜、フリーライター西本恵さんが第3週木曜を担当します)


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