<チームJAPANで表彰台独占>――ソチパラリンピック、アルペン・チェアスキーヤー日本代表が掲げている目標だ。これは決して夢物語などではない。近年のW杯の表彰台には、常に日本人選手の姿があり、さらに2011−12シーズン、12−13シーズンと2シーズン連続でW杯総合チャンピオンは“チームJAPAN”から誕生しているのだ。可能性が高いのは、大回転とスーパー大回転だ。4年前のバンクーバー大会では、スーパー大回転で狩野亮が金メダル、そして森井大輝が銅メダルを獲得し、表彰式では2つの日の丸が掲げられた。狩野、森井ともに現在も世界トップクラスに君臨しており、ソチでもメダル候補の筆頭に挙げられている。この2人に加えて、もうひとりのメダル候補が鈴木猛史、25歳だ。
(写真撮影/切久保豊)
 先輩・森井からの助言

「技術的にはほとんど変わっていないんです」
 4年前のバンクーバーパラリンピック以降について訊くと、鈴木は涼しそうな顔でそう答えた。鈴木は08−09シーズンにW杯総合3位に入り、トリノ大会に続いて2度目のパラリンピックでは大回転で銅メダルを獲得した。スーパー大回転、スーパーコンビでも5位入賞を果たしている。

 その後、11−12シーズンはW杯総合2位に入ると、12−13シーズンではついに総合優勝を果たし、世界の頂点にのぼりつめた。それでも技術的変化はほとんどないと語る鈴木。果たして、右肩上がりの成績の要因はどこにあるのか――。
「2シーズン前から、気持ちの面が変わったんです」
 きっかけは先輩のひと言にあった。

 鈴木はバンクーバー後もスランプというほど調子を落としてはおらず、傍目には順調に映っていた。だが、鈴木自身は納得していなかった。
「特に技術系の種目について悩むことが多かったんです。高速系のダウンヒルなどは一発勝負なのですが、技術系の回転、大回転は2本滑って、その合計タイムで順位が決まります。以前の僕は、1本目でトップに立つと、『この順位を守らなければ』と緊張してしまったり、一方では『この順位は実力ではなく、マグレなのかもしれない』と自分自身に疑心暗鬼になったりしていた。だから2本目で力を出せずに終わることが、よくあったんです」

 そんな鈴木の悩みをとりはらってくれたのが、尊敬する先輩でもあり、ライバルでもある森井だった。
「オマエは速いんだから、普通に滑れば大丈夫」
 そう言って、何度も背中を押してくれたという。
「遠征からの帰り道の車中などで、よく森井さんと話をするんです。そんな時に、たわいのない話の中で、僕が悩みをボソッと言うと、森井さんは『もっと自信をもっていい』と。そう言われているうちに、どんどん自信をもって滑れるようになった。気持ち次第で、こんなにもパフォーマンスって変わるんだなと思いましたね」
 近年の好成績は、先輩がきっかけを与えてくれた、強いメンタルによるものだったのである。

 難関コースにこそ勝機あり

 昨年3月のW杯は、パラリンピックの舞台、ソチで行なわれた。湿気を多く含んだ雪はやわらかく、さらに温暖な気候と大雨で、コースは大荒れだったという。ソチの雪質は、深い溝ができやすく、選手にとっては困難を極めた。だが、日本人にとっては有利だと語る代表選手は少なくない。国内の、特に日本海側のゲレンデに近い雪質だからだ。

 とはいえ、やはり日本人選手にとってもソチのコースは難易度が高いことは否めない。狩野などは「史上最高の難関コース」とさえ語っている。「できれば、きれいなコースで滑りたい」と言う選手がほとんどだろう。だが、鈴木は「僕にとっては、荒れてもらった方がいい」と断言する。その理由とは――。

「コースが荒れると、どの選手もスピードが落ちてくる。コースアウトしないように、慎重になるからです。でも、僕はどんなに荒れたコースでも攻めていくことができる。体幹が100%きくので、たとえ溝にひっかかって飛ばされても、空中で姿勢を戻すことができるんです。着地してから身体のポジションを修正していては、ロスが大きい。でも、僕は着地した時には既に身体のポジションを修正していて、次のターンに向かっていくことができる状態にある。だから荒れたバーンでも、安定して滑ることができるんです」

 さらに鈴木が自らの強みとしているのは、スキー板の操作技術だ。スキー板をうまく走らせるには、しなりをつくることが重要となる。スキー板をしならせながら体重を乗せていき、タイミングよく力を抜いて板を解放する。そうすると、雪面からの反発を利用して、ギュンと加速するのだ。

「スキー操作は選手それぞれですが、僕は板の先端で雪面をとらえて、トップから真ん中へ、そしてテールへと板をしならせながら、体重を乗せていく。そうすると、たとえトップが逃げて体重が乗らなくても、テールの部分でカバーすることができるんです。はじめからバンッとテールに体重を乗せるやり方もありますが、それだと、いざテールが抜けてしまった時にリカバリーができないんです」

 また、体重の乗せ方もポイントとなる。ソチのようにやわらかい雪質の場合、アイスバーンと同じように体重を乗せると、板が雪に埋まり、スピードが出ない。そのため、どう板をしならせていくかが問題なのだ。

「雪面がやわらかいからといって、あまり優しく体重を乗せようとすると、スピードが出ない。かといって、力を加え過ぎても雪に埋もれて、もっとスピードが出なくなる。加減が非常に難しいですね。でも、国内合宿でいろいろと試していくうちに、つかんだ感覚があります。例えば、板に力を加える、抜くという切り返しのリズムを、板に頼るのではなく、自分がそのきっかけを早めにつくってあげればいいんだということ。そうすることで、雪質によってスキー板への体重の加減を微調整することができるんです。『この雪質なら、これくらいかな』という引き出しも増えてきた。さまざまなシーンを想定した準備ができているので、どんな環境の変化にも対応することができるという手応えを感じています」
 国内合宿で、ソチ対策は万全のようだ。

 過去2大会からの学び

「これが4年に一度の大舞台か……」
 06年、初めてパラリンピック(トリノ)に臨んだ鈴木の目に飛び込んできたのは、それまでの世界選手権やW杯では見たこともない数の大観衆だった。
「レース前にコースを下見をしたのですが、ゴール付近に降りていったら、そこに観客が大勢いたんです。『パラリンピックに来たんだなぁ』と改めて思いましたね」
(写真撮影/切久保豊)

 さらに選手の顔ぶれは、いつもW杯などで会っているメンバーばかりだというのに、スタート前の雰囲気はまったく違っていた。普段であれば、スタート前はリラックスして会話をしている選手の声があちこちから聞こえてくる。それもまた、本番での集中力を高めるひとつの方法なのだ。ところが、パラリンピックでは話し声はあまり聞こえてこなかった。いつにも増して選手たちの表情はかたく、その目は鋭かった。
「特に海外ではパラリンピックのメダリストになれば、人生がガラッと変わる。だから、すごい集中力でした。スキー板のワックスを調整するサービスマンの顔も、いつも以上に真剣でしたね」

 一方、鈴木自身はパラリンピック前、「メダルは欲しいけど、それよりも楽しむことが一番の目標」と思っていた。たが、その目標は達成することはできなかったという。最後までパラリンピック独特の空気感にのまれ続けた。それが身体にも現れた。1種目目の滑降でいきなり4位入賞を果たした鈴木には、その後に続く得意の回転、大回転でのメダルが期待された。ところが、滑降のレース後、鈴木の体に異変が生じたのだ。

「初めてのパラリンピックということで、楽しめたらいいなと思っていましたが、いざ行ってみると、それどころではなかった。ダウンヒル(滑降)で4位になって、ほっとしたとたんに、今度は体調を崩してしまいました……」
 それほどの緊張感だったのだろう。高熱を出した鈴木は、得意の回転では12位、そして大回転とスーパー大回転は棄権を余儀なくされた。

 4年後、「今度こそは」と挑んだ10年バンクーバー大会では、体調こそ崩さなかったものの、悪天候による日程変更に対応することができなかった。
「2度目ということもあって、結果を残さなければいけないという気持ちが強かったですね。特に得意の回転ではメダルを獲らなければと。ところが、悪天候によって日程が大幅に変更されたんです。普通はダウンヒルなどの高速系が先で、後半に回転などの技術系が行なわれる。だから、少しずつ調子を上げていって、回転でピークにもっていこうと考えていました。そしたら、急に回転が初日に行なわれることになったんです。『やばい、やばい』という感じで、まったく気持ちをつくれないまま終わってしまいました」
 結果は15位。その後、大回転で銅メダルを獲得したものの、悔しさが残る大会となった。

「体調管理」「アクシデントへの対応」。過去2大会で学んだことをいかし、ソチでは今ある力を出し切るつもりだ。そのために、鈴木は今回、“平常心”で挑む。
「パラリンピックだからといって、特別に何かしようとは思わずに、いつものW杯と同じような気持ちで入っていきたいと思います。トリノ、バンクーバーでは落ち着きがなかったし、プレッシャーに負けていた。だから今回は、あの独特な雰囲気を楽しもうかなと」

 目指すは得意の回転での金メダルだ。自らも「“3度目の正直”を狙いたい」と意気込む。そして、日本人表彰台独占だ。森井、狩野の両先輩らとともに、スーパー大回転あるいは大回転で3つの日の丸を掲げるつもりだ。

 鈴木はいつもスタートを切る直前、笑顔になる。結果を考えず、試合を楽しもうという気持ちからだ。その方が力まずに滑ることができ、好結果にもつながることは、既に証明済みだ。とはいえ、普段のことができなくなるのが4年に一度の舞台。実際にトリノ、バンクーバーではできなかった。
「ソチでは笑顔でスタートを切りたい」
 それこそが、金メダルへの予告宣言となるはずだ。

鈴木猛史(すずき・たけし)
1988年5月1日、福島県生まれ。駿河台大学職員。小学2年の時、交通事故に遭い、下半身を切断。1年後、チェアスキーを始め、15歳で出場した2004年の世界選手権では回転で銅メダルを獲得した。高2で出場した06年トリノパラリンピックでは滑降で4位入賞。駿河台大3年時に出場した10年バンクーバーパラリンピックでは大回転で銅メダルを獲得した。12−13シーズンにはW杯総合優勝。ソチパラリンピックでは悲願の金メダルを目指す。

(文・斎藤寿子)