いまから22年前の欧州選手権。スペインとの対決を控えた地元イングランドのタブロイド紙がこんなブラックジョークを1面に掲げていた。

 

「スペインでは美人のことを何というか知っているか? 外国人って言うんだぜ!」

 

 はて、かくいうイングランドはそんなに美人の産地だったっけか、と思いつつ、つい笑ってしまったわたしだった。

 

 そのときついでに思ったのが、このジョーク、「美人」を「GK」に置き換えても通じてしまうな、ということだった。後の暗黒時代の兆候がはっきりと表れ始めていたとはいえ、当時のイングランドは依然として世界に冠たるGKファクトリーとしての地位を保っており、スペインのGKと言えば、フランスやブラジルのGKと並んで、笑い物に近い存在だったからである。

 

 無理もない。世界屈指の守護神と言われたこともあったアルコナーダは、84年欧州選手権決勝でトンネルに近い形で失点を喫している。彼に絶対的信頼を寄せていたレアル・ソシエダードのサポーターは、リーグ戦のたびに「心配ないさ、俺たちにはアルコナーダがいる!」とのチャントを歌ったが、残念ながら、それはあくまでも国内に限ってのことだった。

 

 さて、ようやくというべきかやっとというべきか、日本でもGKの重要性が語られるようになってきた。W杯で勝つためにはレベルの高い守護神の存在が不可欠、一刻も早く育成をとの声もあがり始めた。素晴らしい。Jの守護神が外国人ばかり、という状況は確かにちょっと寂しすぎる。ただ、このままでは育たないだろうな、とも思う。

 

 フィールド・プレーヤーと違い、GKは反復練習を積み重ねることによって上達するポジションである。野球のノックのように、同じようなシチュエーションを気が遠くなるほど経験することで、実戦でのベースを作っていく。はっきり言ってしまえば、MFやFWに比べれば「造る」ことが可能なポジションだとも言っていい。

 

 だが、かつてのスペインでは、なぜかいいGKが育たなかった。フランスでも、ブラジルでも育たなかった。なぜか、イタリアやドイツ、イングランドのようなGKは出てこなかった。どの国でも、同じような練習をしていたにもかかわらず、である。

 

 最近では求められる資質がずいぶんと変わってきたとはいえ、そもそも、GKとは相手の得点を阻むためのポジションである。得点を取るスペシャリストと対峙するポジションである。

 

 80年代から90年代にかけて、スペインにはいいMFがたくさんいた。けれども、世界的なFWは非常に少なかった。そして、同じことはフランスやブラジルについても当てはまった。プラティニやジーコはいても、リネカーやフェラーはいなかった。

 

 GKが育つためには、優れたストライカーの存在が不可欠である、と私は思う。それも、さまざまなタイプのストライカーが。

 

 さて、現在の日本に、多様なストライカーを育てる土壌はあるだろうか。

 

<この原稿は18年8月2日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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