「こういうことか……」。昨年1月、イタリアでのヨーロッパカップで夏目堅司は初めての感覚を味わっていた。その日行なわれたスーパー大回転、夏目は4位に入った。W杯メンバーがほぼ勢ぞろいする中での好成績だった。そして、内容にも夏目は納得していた。
「これまでは攻めようという気持ちはあっても、どうしても守りの気持ちがあって、攻め切れていませんでした。でも、その時はなぜか思い切っていけたんです。日本チームの選手たちが次々と滑っていくのを見ていて、“よし、自分も”という気持ちが大きかったのかもしれません。スタート台に立った時、“行くしかない”と初めてスイッチが入ったんです。滑り終わって“あぁ、突っ込むってこういうことなんだ”と思いましたね」
 その時、夏目はこれまでの苦労がようやく報われたような気がしていた。
(写真撮影/切久保豊)
 “羨ましさ”と“悔しさ”味わったバンクーバー

「自分もあの仲間に加えてもらいたいな」
 2010年バンクーバーパラリンピック。スーパー大回転で金メダルに輝いた狩野亮と、銅メダルを獲得した森井大輝が、肩を抱き合って喜ぶ様子に、夏目は羨ましさを感じずにはいられなかった。
「もちろん、尊敬しているチームメイトですから、素直に“おめでとう”という気持ちはありました。でも、やっぱり自分もという気持ちはありましたね。悔しいというよりも、あの中に入りたいなと」

 バンクーバーは夏目にとって初めてのパラリンピックだった。故に緊張感は半端ではなかった。だが、ちょっとしたアクシデントのおかげで夏目は緊張感から解放されたという。
「同じ日本チームの鈴木くんの前の選手がゴール付近でコースアウトしてしまって、既に滑り始めていた鈴木くんがリスタートになったんです。それで、僕の前に鈴木くんが入ったんです。その時に、鈴木くんとひと言、ふた言、言葉を交わしたおかげで緊張がほぐれました」

 夏目は落ち着いてスタートした。ところが、序盤のターンで自分が思い描いていたラインで滑ることができず、そこで焦りが生じた。みるみるうちに冷静さは失われていった。
「出だしが急斜面だったんです。“こういうふうに滑っていこう”というイメージをもってスタートしたのですが、それとはまったく違う感じになった。そこで、すべてが飛んでしまって、あとはもう何も考えることができませんでした」
 最低限の目標だった完走は果たしたものの、21位という結果に達成感は感じられなかった。悔しさだけが残った大会となった。

 滑りを変えた肉体改造

 実は夏目の身体は万全ではなかった。パラリンピックの約1カ月前、トレーニングで激しく転倒し、左肩を痛めていたのだ。本番直前だったため、痛み止めの薬でごまかすしかなかった。バンクーバーから帰国後、夏目は精密検査を受けると、左肩の腱板が損傷していた。競技を続けるには、手術しかなかった。
「手術後のことが一番不安でしたね。リハビリにどれくらいかかるのか、本当に治るのかって」
 6月8日に入院した夏目は、2日後に手術を受けた。退院するまでには、夏目の予想を上回り、4カ月半を要した。

 退院後、夏目が取り組んだのは肉体改造だった。それまで彼は、トレーニングといえば大きく硬い筋肉をつけていた。それは夏目が本来求めていたものとは正反対のものだった。
「本当はしなやかで弾みのある筋肉が欲しいと思っていたんです。ところが、いつのまにかがむしゃらに筋肉をつけていた。ただひたすら硬い筋肉をつくって、ストレッチも一切していませんでした。今思えば、故障してもおかしくない身体だったんです」

 当時の夏目の身体の状態がわかるエピソードがある。バンクーバーの時のことだ。日本チームに帯同していたトレーナーにマッサージをしてもらおうとしたところ、あまりの痛さに耐えられず、マッサージを断ったのだ。それほど、夏目の身体はガチガチに硬くなっていたのである。

 退院後、夏目はしなやかな筋肉をつけるためのトレーニングを徹底的に行なった。
「身体が変わるのに、少なくとも3年はかかるよ」
 トレーナーの言葉通りだった。スーパー大回転で4位に入ったヨーロッパカップは、ちょうど3年目だったのだ。

「身体が変わることによって、滑っている時の意識や使い方にも変化がありました。一番はターンするときの身体の軸の作り方。スキー板のエッジを立てる時、単に身体を傾けるのではなく、首や肩を残しながらもグッと腰を入れて軸をつくるんです。この時意識するのは、脇の下から背筋の部分。ここがうまく使えるようになった。すべてはしなやかな筋肉がしっかりと支えてくれているからなんです」

 刺激を受けた上村愛子の姿

 夏目の滑りを変えたもうひとつの要因がある。それは、チェアスキーのシートだ。手術後、レースに復帰した11−12シーズン、夏目の滑りはボロボロ状態だったという。まだトレーニングの成果があらわれていなかったこともあったが、夏目はシートにも原因があると感じていた。
「力が伝わりきらず、自分が身体を動かしても、反応が鈍い感じがしたんです」
 思い切ってシートをかえる決断を下した。
(写真撮影/切久保豊)

 新しく選んだのはチームメイトの森井のシートだった。森井は06年トリノ、10年バンクーバーで計3個のメダルを獲得していたエースであると同時に、マテリアルにも強く、メカニックの役割も果たしていた。その森井のシートに乗った夏目は、すぐに「これだ」と感じたという。それまでのシートとは、フィット感がまるで違ったのだ。
「下半身がきかない僕らにとっては、身体をグッと動かした時に、いかにスムーズにスキー板に力が伝わるかが一番大事なんです。そのためには、身体にフィットしたシートが不可欠。その点、森井くんのシートは骨盤から脇腹のラインにかけて、ピッタリとフィットしていた。きちんとスキー板が反応してくれたんです」

 オフに入ると、すぐに夏目は自分用のシートをつくり、翌シーズンからそのシートを使い始めた。それまでとは違うスキーの反応の速さに、はじめは苦労も要した。だが、徐々に力の入れ具合やタイミングをマスターすると、それまではバラバラだった自分の身体とスキー板が一体化するような感覚が出始めた。
「それまではスキーに操作されているという感じだったんです。それがちゃんと自分の思うように操作できるようになった。雪面をとらえる速さが増して、急斜面でもしっかりとスキーが動くようになったんです」

 自らの身体もマシンも進化させて臨むソチパラリンピック。最大の目標はスーパー大回転でのメダル獲得だ。そしてもうひとつ、目標がある。バンクーバーでは叶えられなかった自分が納得のいく滑りをすることだ。その思いを強くしたのは、ソチオリンピックで見たフリースタイルスキー・女子モーグル上村愛子の姿だった。1998年長野から5大会連続で出場し、前回のバンクーバーでは4位とメダルにあと一歩届かなかった上村。“5度目の正直”が期待されたものの、ソチでも表彰台に上村の姿を見ることはできなかった。しかし、最後まで攻め切った彼女のパフォーマンス、そしてすべてが終わった後の清々しい笑顔と言葉に感動した者は少なくない。夏目も、例にもれずそのひとりだった。

「愛子とは今大会も白馬村で開かれた壮行会で顔を合わせていたんです。フェイスブックでも愛子が“お互いに頑張りましょう”とコメントをくれたこともありました。その彼女がああいう姿を見せてくれて、すごく刺激になりました。自分もレースが終わった後、彼女のような清々しい気持ちで笑顔になりたいですね」
 今度はスポーツの力を、夏目たちパラリンピアンが見せる番だ。

夏目堅司(なつめ・けんじ)
1973年12月4日、長野県生まれ。ジャパンライフ所属。高校卒業後、スキー専門学校に進学し、インストラクターとなる。2004年、スキー事故で脊髄を損傷。退院後、チェアスキーを始め、06年には日本代表に選出される。10年バンクーバーパラリンピックに出場。ソチパラリンピックではスーパー大回転でのメダル獲得を目指す。

(文・斎藤寿子)