25日、ソチパラリンピックで2冠(滑降、スーパー大回転)を達成したアルペンスキー男子座位カテゴリーの狩野亮が、所属する株式会社マルハンの東京本社で報告会を行なった。約300人の社員に拍手で迎えられた狩野は、韓裕代表取締役社長から花束が贈られると、「こういうかたちで金メダルを報告できて、本当に嬉しい。今後の自信につなげていきたい」と喜びを口にした。滑降での金メダルは日本勢初。スーパー大回転で達成した連覇も冬季では日本人で初めてと快挙を成し遂げた狩野。その金メダル獲得には、いくつもの支えがあったことを語った。
(写真:壮行会で渡された韓社長<左>からの手紙で、恐怖心を消すことができたと語る狩野)
 社長からの手紙

「メダルに縛られることなく、集中してスタートすることが一番重要」
 ソチパラリンピック開幕前のインタビューでそう語っていた狩野だったが、やはり4年に一度の舞台で、自分の気持ちをコントロールすることは難しかったようだ。「自信と準備は完全にできあがった状態」で現地入りした狩野だったが、開幕が近付いてくるとプレッシャー、そして「成績が出なかったらどうしよう」という不安に襲われることもしばしばだった。特に初日のレース前日は、狩野にとって最も精神的に厳しかったという。

 そんな狩野を救ってくれたのが、ある一通の手紙だった。それは出発前に行なわれた壮行会で「ソチに行ってから読んでほしい」と言って韓社長が狩野に手渡したものだった。レース前日、狩野はその手紙の封を開けた。そこには韓社長からの温かく、そして心強い言葉が書かれてあった。
<この4年間の金メダリストとしての葛藤や苦労ははかり知れないものがあるだろう。しかし、勇気を持ってチャレンジして欲しい>

「それまで僕の中では“覚悟”や“決意”という言葉は強くありました。でも、“勇気”ということをあまり考えたことがなかったな、と思ったんです。確かに勇気をもってパラリンピックという舞台に挑むことができれば、どんな結果であっても受け入れられるんじゃないかなと」
 狩野は恐怖心がスーッと消えていくのを感じた。翌日のレースは狩野が一番金メダル獲得を狙っていた滑降だった。それだけに最もプレッシャーのかかる種目でもあった。しかし、スタートに立った狩野にプレッシャーはもうなかった――。

 初使用の新アイテム

 3月8日、現地時間午前10時、アルペン競技の1種目目・滑降がスタートした。視覚障害、立位、座位の順に行なわたアルペン競技では、最後の座位カテゴリーの時にはコースに大きな溝ができており、レースは転倒者が続出する大荒れ状態となった。どの種目でも抜群の安定感を誇る日本選手団主将の森井大輝でさえも、スタート直後の急斜面で大転倒したほど、コースは最悪な状態だった。

 狩野のひとつ前に出走した選手もまた、ヘリコプターを要請するほど激しく転倒し、レースは20分ほど中断された。果たして、その時の狩野の心境は――。
「まずはコースがどういう状況なのか、という情報収集をしました。そのうえで、どうすれば勝てるのか、再度戦略を練っていました」
 狩野の集中力はまったく切れていなかった。

 狩野はまず、既にレースを終えていた森井と鈴木猛史と無線で連絡を取り、コースの状態と滑った感触を聞きだした。
「森井選手は最初の急斜面、3旗門目あたりのところで転倒したのですが、何が原因でミスをしたのかということを聞きました。それによって、僕はその急斜面で攻めるのではなく、そこは守ってでも、その下の緩斜面につなげたが方がいいと考えました。最後まで滑り切っていた鈴木選手からは、コース全体の荒れ具合をいろいろと聞き出しました。そしてトップ選手のタイムを確認し、『よし、じゃあトレーニングランよりも0.7秒縮めればいけるな』と思いました」

 本番前に行なわれたトレーニングランで、狩野は最初の急斜面のパートが終わった後の緩斜面でミスをしていた。そこをノーミスで滑ることができれば、1秒は縮まるだろうと計算した。しかし、転倒者続出の荒れたコースということを考えれば、その後にもいくつかのミスは十分に考えられた。では、そこで生じたロスをどうするか。狩野には新アイテムがあった。オートバイに使われる風の抵抗を減らすためのカウルだった。それを両足の前面に装着したのだ。

「これまでカウルは使ったことがなかったんです。実はトレーニングランの最終日に試そうかなと思っていたら、中止になってしまった。それでぶっつけ本番で使うしかなかったんです」
 狩野はこの新アイテムで、1秒は稼ぐことができるだろうと踏んだ。これでミスをしても、トータルで1秒は速いタイムが出せるという戦略だった。果たして、狩野はただひとり、1分23秒台でソチの難コースを滑り切ってみせた。

 ソチの地で切った平昌へのスタート

(4年後は全種目での表彰台を狙う)
 振り返って狩野は語る。
「ダウンヒル(滑降)は、森井選手と鈴木選手からの情報がなければ、おそらくあの滑りはできなかっただろうし、金メダルという結果も出ていなかったと思います。それに、ソチの舞台にまで引っ張っていってくれたのも、2人でした。彼らが表彰台に上がる姿を見て、僕も感化された部分は大きい。2人の存在なしでは、今の僕はありません」

 その森井と鈴木とは、既に4年後の平昌大会を見据えて、ソチの地でスタートを切ったという。
「大会が終わって、2日間ほど選手村に滞在していたのですが、既にもう3人でウエイトトレーニングをしていました。僕にとっては、もう次に向かって動き出したなと思っています」

 4年前、初めて金メダルを獲ったバンクーバー大会後、狩野は金メダリストであることの達成感と満足感から抜け出すことができず、苦しんだ。しかし、今の狩野には浮かれた気持ちは一切ない。
「世界のトップであり続けるためには、今のまま立ち止まっていてはいけない。技術的にもマテリアルの面でも力を伸ばしてくるであろう各国に負けないよう、これからもどんどん自分を高めていきたい」

 史上初の3連覇、さらにはソチで叶わなかった“日本人表彰台独占”――。狩野の挑戦は、まだまだ続く。

(文・写真/斎藤寿子)