1996年秋に徳島県阿波市で生まれた秋山大地は4人きょうだいの末っ子だ。2人の姉と、5歳上の兄と同じように身体は大きく、同級生と比べても身長は高かった。父・高明は高校時代ラグビー部。兄・陽路は現在トップリーグのHonda HEATに所属するラガーマンだ。ところが秋山が最初に熱中したスポーツは野球だった。

 

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 母・浩子によれば「外で元気に遊ぶ手のかからない子でした」という幼少期。そんな秋山は小学2年から地元の野球チームに入り、プロ野球選手を夢見た。日々、練習に明け暮れた。

 

 秋山は5歳違いの兄・陽路に憧れていた。野球を始めたのも、先に白球を追いかけていた兄の影響である。秋山のポジションはキャッチャー。小学6年時には身長160cm台にまで伸びていた。その恵まれた体躯を生かし、本人曰く「当たれば飛ぶ」というパワーヒッターだった。

 

 その野球少年がラグビーへの転向を考え出したきっかけも兄・陽路である。秋山が小学5年時、貞光工業(現つるぎ)に進学した兄はラグビー部に入部した。徳島県内にある全国大会常連校だ。憧れの背中を追いかけるのは、秋山にとっては必然の流れ。兄の試合を観に行くうちに、自然と視線は楕円球に向けられていったのだ。

「最初に兄のプレーを観て“ラグビーも面白そうだな”と。それが回数を重ねるにつれて、コンタクトプレーやサインプレーなどにどんどん興味が湧いてきて、“ラグビーをやってみたい”と思うようになったんです」

 

 中学2年時にはレギュラーの座を掴み、4番を務めるほどだった。それでも秋山に高校で野球を続けるという選択肢はなかった。既にラグビー部に入ることを決意していたからだ。

 

 母・浩子は当時を振り返る。

「中学にラグビー部はありませんでしたが、もうその頃にはバットやグローブをラグビーボールに持ち替えて学校へ通っていましたね」

 

 タックルを恐れない

 

 2012年春、秋山は中学を卒業。父と兄と同じ道を辿る。2人が卒業した貞光工に進学し、ラグビー部に入る。身長は190cm近くあった。本格的なラグビー経験はなくとも兄・陽路を指導した都築吉則監督(現・徳島県体育協会職員)は秋山の加入を楽しみにしていた。体格だけでなく、彼の人間性も高く買っていたのである。

「期待の選手の1人。彼のことは中学生の時から知っていました。非常に素直で、人の話をちゃんと目を見て聞ける子だというのは強く印象に残っていたんです。たぶんラグビー以外のスポーツをやっていたとしても、それなりに成長していたと思います」

 

 都築監督の期待通り、秋山はラグビー選手として順調に成長していく。実直な性格で地道な練習もサボらなかった。

「私の経験上、サイズの大きい子はあまり焦って育ててしまうと、その先伸びなくなる傾向にある。だから高校では基礎的なことを中心に教えています。そこは秋山も物足りなさを感じていたかもしれません。でも、こちらが教えれば教えた分だけグングン伸びていった」(都築監督)

 

 ラグビーは他の競技と比べても、とりわけボディコンタクトが多い。だが秋山に抵抗はなかった。「思い切り人に当たれるのが楽しかった」。好戦的なキャラクターではないものの、恐怖心を抱くことはなかった。

 

「都築先生からは自分の強みであるタックルの基本を教わりました」と秋山は入部当初を述懐する。一方の都築監督にとっても秋山のタックルは強く印象に残っているという。

「初めて秋山を試合で起用した時のことです。普通、身体の大きい選手は相手を抱え込むようなタックルになりがち。でも秋山は相手のヒザあたりに低いタックルをスパンと決めた。間合いを詰めて、飛び込む判断はドンピシャでした」

 

 憧れと同じ道

 

 秋山は1年時からレギュラーとなり、主にロック(LO)で起用された。兄・陽路と同じポジションだ。チームのために身体を張り、泥臭いプレーができる選手。いわば縁の下の力持ちである。

「目立ったり、華のあるポジションではないかもしれませんが、地道なところが自分には合っていると思います」

 

 高校ラグビーの聖地・東大阪市花園ラグビー場で行われる全国高等学校ラグビーフットボール大会(通称・花園)。12年冬、貞光工は5年連続23回目の出場を果たした。しかし、チームは初戦敗退。秋山自身はスタメンで聖地に足を踏み入れたものの、途中交代に終わった。

 

「自分とは全然レベルが違うと思い知らされました」

 高校から本格的にキャリアをスタートさせた秋山。全国レベルを肌で感じ、“まだまだ経験が足りない”“もっとラグビーを知らないといけない”と胸に刻んだ。コツコツと努力を続け、実力を磨いた。その後、花園の舞台に立つことは叶わなかったが、個人としてはU−17日本代表、高校日本代表に選ばれるまでに力をつけた。

 

 特に秋山にとって高校日本代表選出は「最大のターゲット」だった。

「兄も高校日本代表に選ばれていて、その時に周りの皆が喜んでいる姿を見ていたので、“自分も高校日本代表になりたい”と思っていました」

 再び憧れの兄と同じ道を歩むこととなった。

 

 高校日本代表ではキャプテンも任された。遠征で強豪スコットランド、フランスの19歳以下の代表選手と対戦する機会を得て、世界との距離を知った。

「タックルの部分では結構倒せる場面もありました。通用すると感じた部分もあれば、ラインアウトの高さでは通用しなかった。特にフランスのボール回しは上手く、“世界にはこんなプレーヤーがいるんだ”と衝撃的でした」

 

 14年春、秋山は自らの更なる成長を求め、生まれ育った徳島を離れて東京へと旅立つ。当時全国大学ラグビー選手権大会6連覇中の帝京大学に進学するためだった。そのきっかけには運命的な出会いがあった――。

 

(第3回につづく)

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秋山大地(あきやま・だいち)プロフィール>

1996年11月14日、徳島県阿波市生まれ。小中学生は野球部に所属し、高校からラグビーを始めた。ポジションはロック。貞光工業(現つるぎ)高では1年時に花園出場。3年時にはキャプテンを務め、高校日本代表にも選ばれた。帝京大進学後は1年時に公式戦出場。3年時にレギュラーの座を掴み、関東大学対抗戦7連覇と全国大学選手権9連覇に貢献した。今年度から主将を務める。身長192cm、体重110kg。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

 

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