3連覇の最大の原動力は、リーグ最強の攻撃陣だ。田中広輔(シーズン途中で6、7番に回った)、菊池涼介、丸佳浩、鈴木誠也、松山竜平……とつながる打線には『流線型打線』の趣がある。

 

<この原稿は広島アスリートマガジン2018年10月号(9月25日発売)から抜粋したものです>

 

 流線型打線――。名付け親は“魔術師”の異名をとった三原脩である。56年から58年にかけて西鉄を3年連続日本一に導いた。

 

『神様、仏様、稲尾様』で知られる鉄腕・稲尾和久は、この3年間で89勝(22敗)をあげている。驚異的な数字だ。
 この稲尾を支えたのが高倉照幸、豊田泰光、中西太、大下弘、関口清治らで構成する『流線型打線』だった。

 

<バッティング・オーダーは、名打者が 各個に、高打率をあげるように仕組まれ たものをもって最上とならない。むしろ、全体的な安打数は少なくても、得点能力 の大であることが望ましいことなのである>(三原修『三原メモ』新潮社・1964年)

 

 三原がもし今の時代に生きていたら、カープの打線を見て「これぞ流線型打線」と舌を巻くのではないだろうか。
 16年=684得点(2位ヤクルト=594得点)、17年=736得点(2位DeNA=597得点)、18年=632(2位ヤクルト=572得点、9月10日現在)

 

 データを見れば分かるように、カープの得点力は群を抜いている。

 カープの黄金期といえば、日本シリーズ連覇を果たした79、80年だが、この時期とは何が違うのか。私が考えるに79、80年はチャンスメーカーとポイントゲッターがはっきり分かれていた。要するに役割分担がなされていた。

 

 打線を見てみよう。79年はトップから順に高橋慶彦、三村敏之、ジム・ライトル、山本浩二、水谷実雄、エイドリアン・ギャレット、衣笠祥雄……。80年は高橋、木下富雄、ライトル、山本、衣笠、水谷、マイク・デュプリー……。

 

 指揮官の古葉竹識は1、2番には出塁して走ることを求め、クリーンアップは勝負強さを重視して打線を組んだ。

 

 ところが現在のカープ打線は、どこからでもチャンスをつくり、どこからでも得点をあげることができる。下位を打つ會澤翼、西川龍馬は3割を超える打率を誇り、時折、5、6番に起用されるサビエル・バティスタは少ない打席数ながら、既に20本以上のホームランを放っている。今季限りでユニホームを脱ぐ新井貴浩も、ことバッティングに関しては、まだクリーンアップに比肩する力を持つ。

 

 その中心にいるのが丸佳浩である。言うまでもなくカープの“不動の3番”である。もし彼が国内に残るのなら、私は彼こそ東京五輪で金メダルを目指す侍ジャパンの3番にふさわしいと考えている。

 

 まるでバットを自らの腕のように扱う丸のバッティング技術は、今や完成品の趣がある。その最大の理由は、自らのストライクゾーンを確立したことにあるのではないか。

 

 とにかく、彼はボール球を振らない。それは四球数にはっきりと表れている。2014年=100(1位)、15年=94(1位)、16年=84(3位)、17年=83(4位)、18年=110(1位)。ボール球で勝負したいピッチャーからすればお手上げだろう。

 

 通算868本塁打の王貞治は、もうひとつアンタッチャブル・レコードを保持している。通算2390四球。2位の落合博満が1475だから、いかにこの数字が偉大かということが理解できよう。

 ストライクかボールか微妙な球でも、王が見送ると審判は「ボール!」とコールした。これが俗にいう『王ボール』である。王の顕微鏡のような選球眼が審判をも味方につけたのである。

 

 さすがに“世界の王”と比べるわけにはいかないが、最近では『丸ボール』と呼べるものが出現しつつあるように感じられる。

 

 出塁すれば、貪欲に次の塁を狙い、ホームに還ってくる。ランナーがいる時は、勝負強い打撃でチャンスの拡大に努める。あるいはピッチャーにプレッシャーをかけつつ、一塁に歩き、鈴木や松山にポイントゲッターの役割を託す。丸の傑出したゲームメーク能力は、年々、熟度を増している。

 

(このコーナーは二宮清純が第1週木曜、書籍編集者・上田哲之さんが第2週木曜、フリーライター西本恵さんが第3週木曜を担当します)


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