石川ミリオンスターズの永水豪です。ルーキーイヤーの今季を振り返ると、とにかく周りの人のおかげでシーズンをまっとうできたと非常に感謝しています。特にトレーナーには体のケアについていろいろとアドバイスをもらいました。そのおかげで1シーズン、ローテーションを守り22試合に登板できました。

 

 コンディショニングの意識

 1シーズンを通して先発を務めて迎えた初のシーズンオフ、やはり疲労は感じています。ですが、ずっと先発で投げられたということは、体のケアがきちんとできていたということでしょう。石川に入団して最初にトレーナーに言われたのが、「肩周りが固くなるので、登板後はその部分を重点的にケアするように」ということでした。アマチュアのころはそんなことを気にしたこともないし、誰かにアドバイスされたこともありませんでした。

 

 こうしてコンディショニングに対する意識が芽生えた結果、マウンドでも変化が生じました。大学時代は思うように結果が出ず、フォアボールを連発して自滅というパターンが多かった。それが石川に入って制球力が向上しました。トレーナーからのアドバイスで肩を常にケアするようになったことで、常に同じコンディションでマウンドに上がれるようになったことも制球力向上の要因のひとつです。大学時代は体調などを含めて調子の波があって、マウンドで迷うことも多かったですからね。

 

 それが石川に入ってからは、コンディショニングによって肩、体の調子は常に良好な状態。いわゆる「準備ができている」という形でマウンドに上がれました。そして登板後は忘れずに体のケアをして次の登板に備える。そうしたルーティンが確立できたのも大きかったですね。

 

 武田勝監督とはそれこそ試合ごと、投げ終わるたびに話をしました。監督には「自分もスピードはなかったのでコントロールを磨いてプロで生き残った」という体験談をはじめとして、バッター心理についても教えてもらいました。

 

 たとえば「初球から空振りした場合、バッターはこういう心理なんだよ」など、初めて聞くことを含めて、22試合、投げ終わるたびにアドバイスをもらいました。それはすごく貴重な財産になっていますね。

 

 また対戦チームからも学ぶことがありました。初先発で富山GRNサンダーバーズと対戦したとき、海老原一佳選手から3三振を奪いました。ですが3週間後に対戦したときには、2本のヒットを打たれました。バッターもチームも一度対戦したら「プロは同じ轍は踏まない」と、きちんと対応してくることを痛感……。それもプラスになっています。

 

 昨年、大学4年の春、進路が未定だったとき、社会人野球も考えていましたが、母校の監督のアドバイスで独立リーグという選択肢を進路に加えました。いろいろと調べたり、相談をした結果、やはり野球を続けるにしてもNPBに向けて「短期決戦」できるところがいいな、と。1年目からドラフト対象となることもあってBCリーグへ入ることを決めました。

 

 BCリーグで1年やったことを振り返ると、非常に手応えを感じています。先発として試合を作るという役割を果たせました。球速もマックスが1キロ上積みできたし、シーズン中にローテーションを守る中で体重が2キロ増え、体が大きくなりました。ですが、まだまだNBPでやるためのスピードやキレという部分では、もっともっと成長できる部分があると感じています。もちろん希望するのは支配下でのドラフト指名ですが、育成ドラフトでもNPBに入れば、自分はもっと伸びると思っています。より上のレベルの野球を目指して、自分の伸びしろを信じ、これからも精進していきたいです。応援よろしくお願いします。

 

<永水豪(ながみず・ごう)プロフィール>石川ミリオンスターズ
1995年12月16日、福岡県出身。小学生時代、野球を始めた当初は内野手。中学進学後、ボーイズリーグではサードを守り九州大会に出場した。投手転向は嘉穂東(福岡)進学後、2年秋から。3年夏、福岡県大会2回戦でその年の代表校・自由が丘高に2対3で敗れて甲子園出場は果たせず。卒業後、首都大学リーグの明星大に進学。大学3年秋に1部リーグ昇格も公式戦での登板は10試合程度にとどまった。大学卒業後はBCリーグ・石川ミリオンスターズに入団。ルーキーイヤーの2018年からローテーションの一翼を担い、5月には4試合に投げて3勝(完投1)をマーク、月間MVPを受賞するなど活躍した。18年、22試合に登板し9勝5敗。107奪三振はリーグ4位。右投右打。身長180センチ、体重88キロ。


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