「転機でした」

 秀明大学女子水球部4年の坂上千明は幕張総合高校での3年間を振り返る。それは教師を目指す道から水球を極める道へと進路を変えたのも、この時期だからだ。教員志望の坂上は当初、国立大学への進学を考えていた。彼女の想いを動かしたのは、ひと夏の経験が大きかった――。

 

愛媛新聞社

 

 

 

 

 ユース代表での経験

 

 幕張総合、千葉水球クラブでプレーしていた坂上は、同じ関東にある埼玉県の秀明英光高と合同練習や試合をすることも少なくなかった。その時に出会ったのが同校の加藤英雄監督。加藤監督とは、のちにユース代表、日本代表の指揮を執り、そして現在も秀明大で指導を受ける坂上の恩師である。

 

 2013年、坂上は高校2年時にユース日本代表としてシンガポールで行われたアジアユースに出場した。日本は準優勝を果たし、世界ユースへの切符を手にしていた。坂上によれば、当時はまだ主力と言えず「加藤先生の水球をわかっていなかった」という。加藤監督の掲げる“カウンター水球”“全員水球”をすぐに理解し、実践できたわけではなかった。

 

 それでも「努力した分、結果がでてきたのが楽しかった」と水球に対するモチベーションは高まっていた。秀明英光の練習にも千葉から通って、加藤監督の水球を理解しようと努めた。ポテンシャルは高く、指揮官も坂上の実力を認めていた。高校3年時の世界ユースに出場するメンバーにも選出された。

 

 そして約1カ月、国内での世界ユース直前合宿で叩き込まれた。坂上は「みんなと一緒に過ごし、加藤先生の水球もわかるようになってきました」と力を付けていった。その成長ぶりは加藤監督も感じていたという。「ガチッと練習するようになってからグーンと伸びてきましたね」。徐々に坂上はチームになくてはならない存在になっていったのだ。

 

「余裕を持ってやれるようになってきた」

 迎えたスペインで開催された世界ユース。初戦でブラジルにこそ勝利したが、予選リーグは連敗。決勝トーナメントでは強豪のハンガリーに敗れた。結果は10位。上位進出はできなかったが、強豪相手に善戦する場面もあり、「加藤先生の水球なら世界に通用する」と選手たちは確かな手応えを感じていた。それは坂上も同じで、彼女の中で水球を続けるという選択肢が大きくなり始めた時でもあった。

 

 新興校の快進撃

 

 坂上は15年から女子水球部を創部する秀明大に進んだ。同大には加藤監督が就任し、世界ユースを共に戦った代表メンバーたちも集った。その中心にいた秀明英光の鈴木琴莉、風間祐李、小川栞璃ら8人が入学した。「私が考える世界と戦うための水球に共鳴したからウチに来たのでしょう」とは加藤監督。現在も日本代表に名を連ねる精鋭たちは、共鳴し高め合っていく。

 

 さらに秀明大は環境面で整っていた。15年5月には日本で唯一の女子水球専用施設「秀明大学ウォーターポロアリーナ」が完成。総工費約13億円の3階建ての施設には屋内プールのほか、トレーニングルームも備わっており、天候に左右されず練習場所に困ることはない。指導者、チームメイト、環境にも恵まれた坂上の成長は止まらない。日本代表にも選出され、5月のワールドリーグインターコンチネンタルトーナメントでは代表デビューも果たした。

 

 秀明大では1年生8人で日本学生選手権水泳競技大会(インカレ)に臨んだ。水球はGKを含め1試合7人が必要となる。ギリギリの人数ではあるものの、創部1年目から大会出場は可能となった。そして、ここから秀明大の快進撃は始まる。1年生のみで初出場初優勝を成し遂げたのだ。

 

 当時のことを坂上のチームメイトである風間は「(初出場初優勝は)狙っていました。私たちの代で獲れなかったら、その後、優勝したとしても“後輩たちが入ってきたから優勝できた”と思われる。それが嫌だったんです」と振り返る。風間と同じく秀明英光から秀明大へと進んだ小川は、人数が少なくとも勝ち抜く自信があった。

「加藤先生が日本代表の監督だったこともあり、ウチの大学の施設(「秀明大学ウォーターポロアリーナ」)で代表合宿を実施していました。だから代表選手たちと一緒に毎日のように質の高い練習を積めていた自信もあったんです」

 

 歴史は浅くとも彼女たちのプレーヤーとしてのプライドが優勝へと導いた。その一方で坂上は「勝ちたいという思いはありましたが、私たちはチャレンジャーだった。テクニックがあるわけじゃないので、勢いでいくしかないと考えていました」と、ガムシャラに頂点を目指した。2年時にはインカレ連覇、秀明大のメンバー中心で臨んだ秀明水球クラブで日本選手権水泳競技大会を制した。

 

 日本代表を多く揃える秀明大。坂上にとって秀明英光出身者はエリートに映っていた。最初はライバルではなく、追いかける存在だった。「目の前のことに必死でした。他の子たちについていき、加藤先生の水球を理解していくしかなかった」。それでも一緒に練習するようになって、“負けたくない”という想いもふつふつと湧いてきた。そして質の高い練習を積むことで、泳ぎやディフェンス面において日本代表トップレベルとなり、チームの要へと成長していったのだ。

 

 エリートコースを歩んできたわけではなく、「特別な選手ではない」と自己評価をしていた坂上だが、その頃にはオリンピックという文字は“目標”としてくっきりと見え始めていた。

 

(最終回につづく)

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坂上千明(さかのうえ・ちあき)プロフィール>

1996年6月5日、高知県高知市生まれ。小学2年から水球を始める。中学生時には長身を生かし、バレーボール部に所属した。幕張総合高に進学すると、水球を再開。ユースの日本代表に選出された。秀明大学ではインカレ4連覇、日本選手権の実質3連覇(1度目は秀明大を中心とした秀明水球クラブ)達成に貢献した。15年に日本代表デビュー。以降、守備の要として活躍。17年のユニバーシアード大会銅メダル、今年のアジア競技大会銅メダル獲得に貢献した。身長165cm。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

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