2015年5月、ワールドリーグインターコンチネンタルトーナメントで日本代表デビューを果たした坂上千明は、その後もコンスタントに日本代表に選ばれた。今では守備の要としてなくてはならない存在になっている。

 

愛媛新聞社

 

 

 

 

 ワールドリーグインターコンチネンタルトーナメントでは数試合に出場した。

「初めての試合は緊張しました。私は泳ぐことしかできない。力不足を痛感しました」

 日本代表の先輩たちに必死でついていった。特にオフェンス面で及ばなかったと感じたという。それでも坂上は負けん気、ひた向きさで食らいつく。代表に定着できているのは、ここまで競技に対し、真摯に取り組んできたことも大きいだろう。

 

「国歌を聞くときは今でも緊張します」

 代表戦であれば、試合開始前に流れる『君が代』は、日の丸の重みを感じる瞬間である。

 

 ただ坂上はプールの中に入ってしまえば、スイッチが入る。そのせいか直後はその試合プレーの記憶は残っていないことが多いという。緊張で周りが見えなくなっているわけではない。ゾーンに入るとはまた違った境地に彼女はいる。

 

 アジアユースの日本代表から現在に至るまで指導を続ける秀明大学の加藤英雄監督も、こう証言する。

「試合中でも“どうしたらいいだろう”という顔はしませんね。硬さを感じることもない。しっかり準備ができる選手だから、アップが足りないなんてこともなかった」

 

 遠かったオリンピック

 

「ついていくのがやっと。自分ができることをしっかりやるしかない」

 こうした思い切りの良さも彼女の持ち味だ。さらに謙虚な姿勢も成長に繋がったのだろう。15年の世界水泳競技選手権大会でも代表メンバーに名を連ね、その後も定着し続けた。

 

 この年は大きな大会を控えていた。12月、中国でのアジア選手権だ。リオデジャネイロオリンピックアジア予選を兼ねており、そこで日本と中国との一騎打ちとなった。先に2勝した方がリオオリンピックの出場権を得る。「先輩たちのオリンピックに懸ける想いを知っていたので、気合いは入っていました」と坂上。しかし結果は連敗に終わった。

 

「自分の中でもいいプレーができなかった。失点に繋がるミスもしました」

 自らのプレーを反省する坂上。日本は8-14、6-9と中国に敗れ、日本女子初のオリンピックという檜舞台は遠ざかった。

 

 翌年1月、日本水泳競技連盟はオランダでのオリンピック世界最終予選への日本女子代表の派遣を決めた。当初は派遣をしない方針だったが、現場からの強い要望を受けて変えた。2020年東京オリンピックに向けた強化も考慮した上での判断だった。3月の世界最終予選では12カ国中上位4カ国までがリオ行きの切符を掴める。

 

 しかし予選リーグの日本と同じグループにはロンドンオリンピック金メダルのアメリカ、同銀メダルのスペインという強豪がいた。「胸を借りるつもりで向かっていった」。挑戦者の気持ちで挑んだが、両国には大敗を喫した。1勝4敗で予選リーグ敗退に終わった。

 

「必死に追いつこうとしたけど、まだまだ足りませんでした」

 オリンピックへの道は険しく、そして遠かった――。

 

 監督の考えを超えた銅メダル

 

 17年7月、ハンガリー・ブダペストでの世界水泳は思うような結果が残せなかった。坂上にとっては15位だった15年大会(ロシア・カザン)以来2度目の世界水泳。水球を国技とするハンガリーでの大会に「観客が多くて圧倒されてしまった。でも逆にこれだけアウェイなら“楽しもう”と思えました」と臨んだ。

 

 結果は13位。前回より2ランクアップしたが、目標としていたフランスに勝つことができず悔しい思いをした。予選リーグではハンガリーとオランダには完敗。最終戦のフランスでリーグ戦初勝利を狙うも、8-9で惜しくも敗れた。

 

「世界水泳での悔しさをぶつけるつもりでした」

 8月には台北でのユニバーシアード競技大会に出場した。「学生のオリンピック」と呼ばれるユニバーシアード。2年前は8位だった日本だが、当時のフル代表は坂上をはじめとした大学生が大半を占めていた。実質フル代表で臨めたことも大きかった。

 

 初戦のハンガリーには大敗したものの、その後は連勝する。ニュージーランド、イギリス、カナダを破り、決勝トーナメント進出を決めた。世界水泳からの流れ、そしてユニバーシアードではチームは大部屋で大会期間を過ごした。自然とコミュニケーションを取る機会も増え、チームの成熟度は増していったのだ。

 

 その結晶はかたちになって表れた。準々決勝はイタリアを下したものの、準決勝ではアメリカに敗れる。3位決定戦はロシアとの対戦となった。予選リーグ最終戦では14-18と負けた相手だった。

 

 終始競った展開で試合は進んだ。第4ピリオド終盤、ユニバーシアード日本女子代表を率いていた加藤監督も「監督の考えを超えるようなプレーがありました。選手たちが自立し始めた証拠」と語るゴールが生まれた。

 

 ロシアが退水で1人少ない状況。タイムアウトを取った加藤監督は「じっくり攻めていこう」という指示だったが、選手たちは「打てると思ったら打っていい」との考えがあった。再開後、ポイントゲッターの有馬優美が積極的に打ち、ゴールを決めた。「これまできつい試合を乗り越えてきたからこそできたプレーだった」と坂上。これが決勝点となり、日本は銅メダルを手にしたのだ。

 

 変化したシュートへの意識

 

 歓喜の表彰台から1年後、今年8月のインドネシア・ジャカルタで行われたアジア競技大会は悔しい銅メダルとなった。「ただただ悔しい」(坂上)結果だったという。ライバル中国に敗れ、最終戦のカザフスタン戦も落としての3位だった。上位2カ国までが得られる来年の世界水泳の出場権を逃してしまった。

「力は近付いてきていると感じていたのですが、まだ足りなかった……」

 

 坂上自身は全5試合に出場し、毎試合の10得点を挙げた。個人として成長に手応えを掴んだ部分あったものの、チームとして結果が出なければ彼女は納得しない。

「中国に勝つことがメダルへの第一歩だと思ったんですけど、それができなかった。もう1回作り直さないといけない」

 

 自国開催の東京オリンピック。開催国だからといって出場が保証されているわけではない。日本水連に実力を認められなければ、日本代表を派遣しないという選択もあり得るからだ。今後出場する大会で結果を残していくことが求められるだろう。

 

 そのためにはチームとしてのレベルアップはもちろん、個々のレベルアップも必須だ。坂上の守備力はピカイチである。チームメイトのGK渡部歩美は「GKとして有難い存在です。シュートコースを限定してくれるので相手のシュートを読みやすい」と語る。相手と駆け引きをしながらシュートブロック、インターセプトを連発する場面も多い。

 

 坂上の課題はオフェンスだ。秀明大と日本代表のキャプテンを務める鈴木琴莉は、攻撃で司令塔としてチャンスメイクをする。その鈴木が「ボールを持つと彼女が目に入る」と語るようにポジショニングが悪いわけではない。坂上は味方へのアシストもできる万能型の選手だが、シュートに苦手意識を持っていた。

 

 今年1月にはオーストラリアへ単身留学に渡った。そこでシュートへの積極性を身に着けたという。事実、今年9月の日本学生選手権水泳競技大会(インカレ)、10月の日本選手権ではミドルレンジから積極的にシュートを打つ姿が見られた。

 

「まだ技術は追いついてきていないのですが、意識は変わってきました」と坂上が口にすれば、加藤監督も彼女の成長を認める。

「打つべき場面で打たなかったということがありました。そうした失敗体験を経て、成長していったのだと思います。やはり迷いながら打つのか、そうでないかでも決定率は変わってくる。打ってダメだったら守ればいいんです。彼女はその境地に辿り着いたのだと思う」

 

 坂上は大学卒業後も、加藤監督の下、秀明大でトレーニングを積む。好きな言葉は「己に克つ」。驕らず、謙虚な姿勢を崩さない。そして自らを追い込むことができる強い心の持ち主だ。それは高校、大学の恩師からも聞かれた。2年後の東京オリンピックへはつらく険しい道が待っているかもしれない。だが彼女なら乗り越えられる――。そう思わせる選手である。

 

(おわり)

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坂上千明(さかのうえ・ちあき)プロフィール>

1996年6月5日、高知県高知市生まれ。小学2年から水球を始める。中学生時には長身を生かし、バレーボール部に所属した。幕張総合高に進学すると、水球を再開。ユースの日本代表に選出された。秀明大学ではインカレ4連覇、日本選手権の実質3連覇(1度目は秀明大を中心とした秀明水球クラブ)達成に貢献した。15年に日本代表デビュー。以降、守備の要として活躍。17年のユニバーシアード大会銅メダル、今年のアジア競技大会銅メダル獲得に貢献した。身長165cm。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

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