第166回 戦国パで鍛えられたソフトバンクの勝負勘

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 秋季キャンプも終わり、球界は契約更改やFA選手の動向などストーブリーグの話題一色になってきました。本格的なオフシーズンを前に、今回は日本シリーズ、ドラフト、そして日米野球について振り返りましょう。

 

 ”甲斐キャノン”が投手に勇気

 今年の日本シリーズは福岡ソフトバンクが1敗1分の後、4連勝で日本一に上り詰めました。内容的には両チームとも大きなミスもなく、非常にレベルの高い面白いシリーズだったと思います。ソフトバンクはクライマックスシリーズでもそうでしたが、日本シリーズでも「変化」を恐れなかった。そして何よりも試合を進めながら、その中でチームを活性化させたのが最大の勝因でしょう。

 

 レギュラーだった内川聖一、松田宣浩を無条件でスタメンに入れることはせず、そして代わりに出した選手が活躍しました。さらに代役も含めて控えの選手に対しても正当な評価をしている印象で、「ダメだったら代えられる、失敗したらどうしよう」というプレッシャーとは無縁のように感じられました。これは工藤公康監督のマネジメントもそうでしょうが、チームとしてそういうコンセプトが徹底しているんでしょうね。

 

 MVPには6連続盗塁阻止で”甲斐キャノン”と話題になった甲斐拓也が選ばれました。私も経験がありますが、ピッチャーとしてはランナーを背負うのは非常にイヤなものです。しかも機動力を売りにする広島が相手だから尚更です。それを甲斐は確実にアウトにしてくれるんですから安心感がある。ソフトバンク投手陣は甲斐の肩に勇気をもらい、そして投手主導でピッチングすることができました。

 

 広島は”甲斐キャノン”の前に完全に自慢の足を封じられました。シリーズの後、「走らせ過ぎだ」との意見もありましたが、僕は広島がどんどん走らせたのは正解で、作戦として間違ってはいなかったと思います。ただし、全体的に甲斐の肩を意識するあまり、ランナーのスタートが若干遅れていた印象を受けました。

 

 甲斐の肩は確かに大きな抑止力ですが、レギュラーシーズン中、パ・リーグのチームは甲斐を相手に盗塁を決めています。走ったからといって絶対アウトになるわけじゃない。それが完全に封じられたのは甲斐の肩だけにとらわれて、他の部分での研究や対策がシリーズの短期間でできなかったんじゃないでしょうか。戦国パ・リーグで揉まれてきたソフトバンクと、リーグでは常に優位に立って戦っていた広島。その差が日本シリーズというギリギリの戦いの場で出たんだと感じています。

 

 高卒野手は夢の塊

 日本シリーズの前にはドラフト会議が行われました。ドラフトに関しては今の時点で成功も失敗も判断できません。プロ野球は入ってからが勝負の世界、結果がすべてですからね。それこそ甲斐のように育成で入ってMVPになる選手もいるでしょう。指名された選手の中から1人でも多くの名選手が出ることを願っています。

 

 上位指名で楽しみなのは中日が指名した大阪桐蔭・根尾昂選手です。野球選手としてどれだけ進化していくのか、楽しみで仕方がありません。彼の他にも広島が指名した報徳学園・小園海斗選手もそうですが、高卒野手というのはどれだけ伸びしろがあるのか期待が膨らみますね。高卒でプロ入りして活躍中の野手といえば巨人の坂本勇人や岡本和真がいます。彼らのように、根尾選手たちもどれほどの選手になるのか、また何年後に頭角を表すのか、それとも即一軍なのか……など、とても楽しみです。

 

 さて最後に日米野球に触れましょう。日本代表(侍ジャパン)がMLB選抜を相手に最後まで粘り強さを発揮し、来日したMLB選手も本気になってくれたようで、とても見応えがありました。そうした戦いの中で埼玉西武の外崎修汰、山川穂高といった「これから」の選手が活躍しました。彼らがこの試合で何かをつかみ、それで一皮むけてくれたらいいなと思います。

 

 ただひとつだけ言わせてもらえば、来日した選手は本気にさせましたが、MLB自体は本気になっていませんよね(笑)。まあ、これは開催時期の関係もあるし、日米野球が親善試合になるのは致し方ないことです。以前、バリー・ボンズが来たこともありましたが、今回、一流選手は来ていましたが、超一流とまでは……。でも、メジャーの選手と戦ったことは選手にとって収穫もあったし、貴重な体験になったはずです。稲葉篤紀監督も様々な仕掛けを見せるなど攻める采配で、常に戦う姿勢を示しました。2020年、東京オリンピックで金メダルを目指す侍ジャパンにとって意義ある大会だったことは間違いありません。

 

image佐野 慈紀(さの・しげき)
1968年4月30日、愛媛県出身。松山商高で甲子園に出場し準優勝を果たす。卒業後に近大呉工学部を経て90年、ドラフト3位で近鉄に入団。その後、中日、エルマイラ・パイオニアーズ(米独立)、ロサンジェルス・ドジャース、メキシコシティ(メキシカンリーグ)、再びエルマイラ・パイオニアーズ、そしてオリックス・ブルーウェーブで日本球界復帰と、現役13年間で6球団を渡り歩いた。主にセットアッパーとして活躍、通算353試合に登板、41勝31敗21S、防御率3.80。現在は野球解説者。

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